「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて②「刀鍛冶の徒弟」(前編)

まずは大前提として、現代においての刀鍛冶の師弟は全て雇用関係にありません。労働契約でなく、弟子の自発的な修業です。
修業において師匠の作業に従事することは弟子本人の「学ぼうとする意思」のみです。労働ではありませんので、社会的には「無職」です。
我々は全員、ただただ刀鍛冶になりたくて、ただただ刀が作りたくて仕方がなくて、それぞれの師匠の修業環境で弟子に入って技術その他を習得をしてきました。
労働基準法などをもとに待遇を揶揄されましても、弟子は一見労働に従事しているようで、単に師匠は弟子の「意思(熱意)」に応じて「学び舎」と「技術習得のチャンス」を提供しているにすぎません。
ですから、私は求人募集の文言をもっての発信はどこにもしておりません。刀鍛冶への「弟子志望者」に「将成鍛刀場 受け入れ可」という情報を公開しているだけなのです。
今回の炎上にはここの誤認が多すぎるので、この大前提をよくご承知ください。


では先の①(歴史的考察)に引き続いて、刀鍛冶としての徒弟制の変化をお伝えします。

刀鍛冶も他の職種と同じく徒弟制のもとで継承され、継続してきました。ただ、歴史に翻弄されて、継承の分断がありました。
それは明治初めの「廃刀令」と、太平洋戦争敗戦後のGHQによる刀剣製作禁止です。

前提として刀鍛冶の業務形態と、設備の変化について申し上げます。
先の歴史上の継承の分断があったとしても、少なくとも太平洋戦争中までは、刀鍛冶の仕事には必ず弟子や職人が必要でした。それは向鎚(大ハンマー)を振るう「先手」がいなければ、刀剣製作の作業の大部分は行うことができないのです。
業務上、弟子がいるから仕事が成り立ち、常に弟子等が手伝っているのは当たり前の環境なのです。余談ですが、その頃までは「先手」専門の渡りの職人、つまりはフリーランスのプロの打ち手が僅かに居たそうです。

戦後、刀剣の製作はGHQにより禁止されましたが、識者、関係者の尽力により美術品としての側面を認められて、製作が再開されました。

ただ、私は戦後からの刀鍛冶を取り巻く事情がそれまでとは大きく異なっていると思っています。
古来から刀剣製作には、強い後ろ盾、厚い支援があったことが殆どだったはずです。
それは貴族、殿様、大名など時の権力者、戦争中ならば大日本帝国軍などです。

しかし戦後にはそんな後ろ盾は無くなりました。単に「刀鍛冶の自由意思」によって刀剣製作を行うことになります。
そして同時に、戦後からは電動式機械ハンマーの普及で、人力による「先手」が不要になってきます。
とすると、常に弟子を抱えておく必然性は失われます。
また社会は自由主義となり、かつては一般的であった労働環境としての「徒弟制」は一部の伝統的なところに名残りを残すのみで、極めて特殊なものとなりました。

幸運にも戦後の刀鍛冶は高度経済成長の恩恵による日本刀ブームなどの影響を受けて、昭和40年代非常に盛んに製作をしております。ですので、「自由意思」のもとに来る弟子も受け入れるところがありました。
この「自由意思」が重要で、現代の刀鍛冶全員が自分の意思で「弟子入り」をし、① 「歴史的考察」のような古い徒弟制の形態を残す環境に耐え、技術を習得して一人前になり、顧客を得て、刀鍛冶として生活をしているのです。

続く

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