映画をもっと早く好きになりたかった。 映画館に一人で行けるようになったのは20歳か21歳の頃。 当時は「ひとりで映画観れる、ワタシ。」的な感じで ナルチシズムに浸っていた部分もきっとある。 年間で観る映画は決して多くはないけれど 周りの友人よりは多い気がしている。 世の中には「わざわざ観ないと出会えない映画」があると思っていて そういう類の映画がわたしはすきだ。 この世にはきっと映画なんてあってもなくても生きていける人とそうでない人がいて わたしは完全に後者
久しぶりに2連休で、今日は1日目。 12時まで存分に寝て、ceroのDVD流しながら家事をこなして 観たい映画がもうすぐ終わりそうだから 上映時間は遅いけど、明日も休みだし、出掛けてる。 札幌で1人でふらっと入れる店がほしい。 結局行き着いたのはコメダ珈琲。 映画まだあと2時間以上あるのに コーヒーもミニサンドも食べ終わって ミニシロノワール食べようか迷いながらこれを書いてます。 「花束みたいな恋をした」を観ました。 血まみれになりました。滅多刺し。 あ
あけましておめでとうございます。 長らく書いていなかったことなんぞには一ミリも触れずに書きます。 7歳。小学校は好きでした。 1年生でリレーの選手に選ばれました。 当日バトンパスに失敗し、まわりがとんでもない評定をしている瞬間を 運動会について回ってるおじさんカメラマンにまんまとおさえられました。 1年生の頃、兄は5年生で、参観日のとき、母は懇談会があるので 兄と一緒に帰るように言われました。 私と兄と兄の友達と学校を出ましたが 兄は友達の前で私と関わるのが
「秒針が気になってもう2704秒経つ」 「『ホンワカパッパ』の語源を知ったのはこの時だった」 「バファリンの半分は本当に優しさでできていた」 「数珠を探していたら結婚式に遅刻した」 「あの時利き手で食べていればと、もう何度も考えている」 「排水口から部長の臭いがする」 「ちょうど400円、ポケットに入っていた」 「私だけ口ずさめない曲が流れている」 「コロナにかかることじゃない、かかったと知られることが怖かった」 「ちょうど終電を諦めた頃だった」 「またし
父が亡くなって小学校に入るまではずっと家にいました。 小学校に入った当時わたしは完璧主義で 黄色い帽子ひとつ忘れたり、箸を忘れたりするだけで大泣きをして よく先生の机で授業を受けていました。 今思えば扱いにくい子供だったと思います。 授業中の発言はほとんどしていなかったと思います。 母は私たちを養うため保育園でパートをしていました。 家にはおばあちゃんがいましたが 放課後は学童へ行っていました。 姉は中1、兄は小5でケンカは全然しませんでしたが 仲が良いと
父はかなり弱っていました。 入退院を繰り返して 少しでも家族と時間を過ごそうと自宅療養に切り替わった頃 私は誰に言われたでもなく、本能的に 「幼稚園にいきたくない」と言うようになり 母も、父と過ごす時間を少しでも与えようとしてくれて 幼稚園をやめました。 それからおそらく半年ほど経ち、最後の入院。 いろんな管に繋がれた父が息を引き取る時 わたしは病院の階段で姉と遊んでいました。 その頃はもう「死」を認識していて もう父には会えないんだと、わかっていました
犬と金魚とカメを飼っていて 4歳の私には犬の散歩は難しかったので カメに餌をやるのがわたしの任務でした。 父は町営のレストランでコックさんをしていて 仕事が終わった父をランクルのトランクに隠れながら 迎えに行って驚かすのが好きでした。 お風呂上がりになかなかパンツを履かない私のおしりを 「チメチメだよ!!」といって父に良くつねられました。 この頃おそらくもう父は病気でした。 私はおそらく何も知りませんでした。 仲の良い五人家族。 父と母と姉と兄と私。
私が3歳の頃のはなし。 おそらくこの頃、父方の祖父が亡くなりました。 どんな人だったのか、これといって記憶がなく寂しくもあり。 家に親戚が集まって「なくなった」という言葉が飛び交い わたしは初めての「死」との対面で理解が及ばず おじいちゃんが病院から失踪したのだと、本気で思っていました。 私は幼稚園へ通って、ブロックで遊んだり 職員室のきれいな先生のところに行くともらえる 画用紙に傘とか太陽の下書きが書いてる紙を 針と毛糸で刺繍する謎の遊びが好きでした。
28歳になりました。 からっぽな人生だなーと日々自信をなくすので 本当にからっぽなのか?ということを確かめるためにも 0歳からの人生を振り返ってみようと思います。 1992年8月14日。 地元の有名な花火大会の真っ最中、私は生まれたそうです。 母は私がもうすぐ生まれるかもしれないにも関わらず花火大会へ行き 凄まじい人混みの中救急車を呼びました。たぶん。 当たり前ですが0歳の記憶などありません。 人から聞いたことでも書きたいのですが 私が0歳の時の話を誰から
夜って暇なんだろうね。 答えのないことを何千回も何万回も考える。 人生このままでいいの? 本当にやりたいことは? どうやったら変われるの? あの人はどう思ってる? 自分はどう思われてる? 生きてる意味あるのかな? 死んだら誰か悲しむの? 朝には忘れるくせに 答えのない問いを何千回も何万回も 1人で考える。 1人で考えすぎるのがよくない。 人に聞いてみたらいい。 答えはないけど意見がたくさんある。 夜は暇だ。 寝よう。 夜を乗り越えよう。
『8分間の二度寝のために生きている、そんな気がしていた27歳。』 『「絶対虫刺されだよ。」そう言われてから痒みが出始めた』 『21時から24時は実質1時間らしい。』 『「歯磨き粉にフローラルな味つけたん誰?」それが初めて聞いた彼女の声だった。」 『魚の骨が刺さった、二の腕に。殺される、と思った。』 『知らない人のお墓の前で泣いてしまった。「そこに私はいません」と、真顔で言われている気がした。』 『なるべく小さめのダイニングテーブルを探していた。』 『トイレがない
今まで本当に「人生やり直したい」と思ったことがなかったんだけど 今初めて思っています。 いろいろ気付くのが遅すぎた。 なぜ勉強しなきゃいけないのか。 なぜ選挙に行ったほうがいいのか。 なぜ毎年こんなに暑くなっていくのか。 なぜ黒人差別があるのか。 なーーんにも知らずに27歳になってしまいました。 理想の世界をつくるには 就くべき職務があって、やるべき勉強があって、準備があって それには年齢制限も伴って。 本当に「いまさら」なことだらけでがっかり。 諦め
自粛期間でギターが弾けるようになったんですけど それを人に伝えると へぇー!と驚く人 へぇ〜と流す人 すごい!と褒めてくれる人 鼻で笑う人 いろいろいます。 それがみんなにとっての「ギターが弾けること」への価値観なんだな〜 と思いました。 人の価値観って会話することでけっこう測れる気がしました。 今日はなにもない素晴らしい1日でした。
全然眠れないし 眠ろうとすることをやめました。 昨日夜に公園のブランコ乗りながら 友達と喋ってたの楽しかったな。 おかげで虫刺され4箇所。 今ムヒを塗りました。 ミッドナイトインパリという映画をさっき見たけど 思ってたのと全然違った。笑 あんなファンタジー系だったとは。 そんでコロナの自粛きっかけで Netflixでアニメのワンピースを見始めたんだけど これ仕事が普通に戻ったとして 見終わる時何歳なってんだよ、って思いますよね。 さっきやっとサンジが
大事なもの?に気付く時って だいたいネガティブな気がする。 ファスティングをしました。 2度とやりません。 準備食もしっかり摂り、 三日間水と塩のみ。 断食中は好転反応といって頭痛、めまい、吐き気、関節痛など 身体が良い方に変わっていってる反応が出るんだけど それがエグすぎた。 元々の食生活がひどかったり、 元々痩せすぎてる人は症状がひどいらしいんだけど わたしは絶対に前者。 だいたい二日目過ぎたくらいに好転反応が出る人が多いらしいけど わたしは一日
夜になると あーNote書かなきゃーってなるから昼に書いてみよう。 夏で28歳になるんですけど 今まで全く興味のなかった海外にすごく興味を持ち始めました。 全て藤原しおりさんのおかげ。笑 すごく楽しそうに一人旅をしている彼女にすごく惹かれて すごく海外に行きたくなりました。 こんなご時世のくせに。 日本の都道府県の地理はめちゃくちゃ覚えているんですが 世界地図が全く頭に入っていないのて 勉強しようと思います。 国連加盟196?国覚えれたらいいなー。 で