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この《暴力》は誰のもの? 『ファニーゲームU.S.A.』(2007,ミヒャエル・ハケネ) 2021/7/10の日記

・『ファニーゲームU.S.A.』(2007,ミヒャエル・ハケネ)を観た。カタルシス0のホラーって感じの映画で、気持ち悪さやイライラを得たい人(そんな人いるの?)にオススメだ。

・あらすじ(映画.comより)
夏の休暇で湖のある別荘にやってきたファーバー一家のもとに、卵を分けてほしいと隣人の青年が突然やってくる。母親のアンは感じのよい青年に卵を分けてやるが、青年は卵を不自然に落とし……。

・映画を中毒的に観る人が観るべきなんだろう。青年2人組は映画、特に暴力系映画のファンのメタファーなのかもしれない。映画後半、青年2人がヨットに乗り、語ったことは、メタ的であり、ある種のカタルシスをもたらす。このシーン以外にもメタ要素がふんだんに散りばめられており、彼らの暴力性を鑑賞者自身に投影できる余地が生まれる。そこに映画それ自体を超えた恐怖がある。

・最近はホラー映画に少しハマっている。決して夜は見ないことをルールとして守れば、なんとか。戸田山先生の『恐怖の哲学』という新書を読んだ影響なんだが、たしかに意識してみると、ホラー映画を見ているときに私たちは何に恐怖しているのか、不思議に思える。

・そういえば、昨日は久しぶりに外で走ることができた。夏に汗をひたすらかくのは、本当に気持ちが良いな。急な雷雨に気をつけなさいと天気予報が警告していた通り、空には皮肉にも綺麗な積乱雲が発達していた。私が綺麗と思う一方、あの雲の下では誰かが急な雨にびしょ濡れにされたり、道路を冠水させたり、河川を氾濫させたり、と考えると複雑になった。

・でも、その二面性が、人間みたいで僕は好きだった。

・驟雨。夕立やにわか雨をこう言い換えると素敵だ。

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