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感情は表に出すべきなんだ


小学生のとき、朝のニュースで沢尻エリカが何かの舞台挨拶の受け答えで「別に」って答えたのを見て好きになった。

厳密にはその前に「1リットルの涙」というドラマで彼女を知っていた。毎週吸い付くように見ていた。当時9歳、初めてハマったドラマだと思う。色々ドラマみてたけどこの作品だけ凄く印象に残っている。子どもの頃は感動的なドラマばかり見ていた。思いっきり泣いていてもおかしくないから。

あんなにも素晴らしい演技をして評価されていた彼女が「別に」の一言で大バッシングだったが「かっこいい」と思った自分がいた。勿論褒められた言動ではないが、11歳の私は憧れた。今でもよく覚えている。

「感情のコントロール」を再考


一人時間の多くを書店で過ごす。居るだけで幸せだからだ。

1年ほど前「アンガーマネジメント」「怒らない考え方」「感情のコントロール」といった類の本が並んでて引っかかったのを覚えている。私は怒りを感じない。怒るほど他人に期待していない。世の中には「つい怒ってしまう」「怒った後に自分が嫌になる」という人がいることを知った。

「コントロール」ということは、ネガティブな感情は発生している前提だ。だけど私は発生していない。いや、いつからか発生していることに気付かないようになっていた。子どもの頃は明確に「我慢している」という感覚があったのにな。
気付くとすれば爆発した時だ。急に涙が止まらなくなる現象が小学高学年〜社会人になっても定期的に起きていた。それでスッキリして、また溜めて爆発の繰り返しがデフォルトだった。何故かは分からなかった。


私はずっと、感情をコントロールできていると思っていた。怒らないから。それを強みだと思っていた。だけど本当にそうだろうか。あれは私の弱さの現れだったのではないか。そしてその根源が少しずつ分かってきた。

泣くのをやめた子ども

昔から感情を表に出すのが苦手だった。怒り、悲しみ、寂しさ、不安、などのネガティブな感情だ。

仕事で多忙だった親には「姉や弟と違ってあなたは手がかからない」とよく褒められた。欲しいものや抱っこをねだることはない。一人で遊ぶ。一人で寝る。売られた喧嘩は買わない。姉がおもちゃを譲ってくれなかったら諦めて別の楽しみを探しに出た。両親がショッピングセンターに私だけ忘れて置いて帰りそうになった時も「仕方ない」と思った。「花都ちゃん忘れるところだった〜!」って笑っている親と一緒にケラケラ笑った。

自分の思い通りにならないと泣いたり怒ったりと忙しい姉。甘えん坊で手がかかるのに愛される弟。私は、物事が思い通りにいかないことも、自分の感情を自分で処理するのも当たり前な子どもだった。そしてどうやら、子どもとして大事な、人間が精神的に成熟するための何かをスキップして27年、歳を重ねてきたらしい。

小学校の時、友達に「花都、あの子と私どっちが好き?」と聞かれた。私は基本的に、誰の味方にも敵にもなりたくなかった。嫌われたくないし、誰かと親密になることもストレスだった。胃がギューってなりながら何も答えず笑っていたら八方美人だと言われた。

当時打ち込んでいたサッカーでは、暴言を吐く仲間がいた。険悪な空気になった時でも私はおかしなことを言って笑っている。数分前までブチギレていたその子が「みんな、花都みたいに笑顔で頑張ろう!」と言った。それでいつも安心していた。チームプレーに嫌気が差したのか、中学は陸上部に入った。理由は「何も考えず一人で走ってるだけでいいから」。

それ以降、私は人と一定の距離を取ることで心の平安を保つようになった。「ミステリアス」なんて言われて心なしかモテた。ラッキー。友人とは楽しいことを一緒に楽しめれば充分だった。


とにかくずっと笑っていた。私の笑顔に皆が安心していて、それが私も安心だった。「手がかからない」「頼もしい」「花都の笑顔は人を幸せにする」「いつも前向き」・・・私は、強く明るくポジティブでいることで自分に存在する価値を感じていたのかもしれない。


感じたかった感情を取り戻す日々


アメリカのヒューマンドラマ「THIS IS US」を見ていた。

3つ子の長男ケヴィンが大人になってアルコール依存症になり、その治療で家族全員を呼び出し家族セラピーを受けていた。

肥満の妹と、唯一養子で黒人の弟は昔から注意深く両親にケアされていた。表面的には何も抱えていないケヴィンに対しては、ついつい蔑ろになってしまう。ケヴィンは誰よりも自立していて勇敢に育ったが、自分だけ十分に愛されなかったという認識があり、ずっと「自分はダメだ」と思いながら他者に承認されることで自分を満たして生きていた(そんなケヴィンの職業はイケメンで俳優でセレブ、美人の彼女持ち、高校はバスケの推薦が決まるほどスポーツも万能)

その話を聞いた妹弟は「何を言ってるんだ、わざわざ家族を呼び出して、お前は目立ちたいだけだろ」となる。母も「3人とも平等に愛した」と主張する。でも私はケヴィンに同情した。私が爆発して泣いた時の姉と弟の反応がまさに「そういうのええて」だったから笑。その家族の激しい口論のシーンで涙が止まらなくなった。全員の言っていることに頷ける。事実は見る人の目によって違う。誰も間違っていない。でも確かに満たされなかった感情があるのだ。私の状況はケヴィンほどではないが、思いっきり泣いたあと初めて、その部分の自分を直視した。

その口論の後、母とケヴィンが和解するラストシーンが印象に残っている。

母「あなたのことを心配したことがなかった。必要ないと思ってたから。でも今日それが間違いだったって気づいた」
ケヴィン「不幸じゃなかったよ」
母「でももっと幸せだと思ってた。だけど私とあなただけの思い出もあるわ。しっかり感じるの」
ケヴィン「そうかもね。だといいな」

「THIS IS US」S2 E11


私「爆泣」w

母に抱きついて寝た日、私のストレスが爆発して困りながらも膝の上で泣かせてくれた日、NZまで会いにきた最終日に泣きながらハグされた日などを思い出した。

ちょっと母と話したくなった。でも話さなくてもOKと思う自分もいる。ぼちぼち海外も行くし、割と早い時期に母に自己開示することを諦めているし、それはそれでOKとも思っているからだ。
面白い楽しい話は沢山してきた。テレビを見て議論も沢山した。旅行にも沢山行った。仲は良い。でもお互いのことを深く話をしたことがない。私は会話(言葉)が大事なのかな。あ、じゃあ話をすればいいのか。

すると現れるのが「母への期待」だ。あの素晴らしいドラマのせいでほんの少し期待が生まれてしまった。他人に、てか母に期待するってこんな感じなのか。でも母の反応がどうであれ自分は前進して成長する未来しか見えない。これはきっと自分が大人になるための壁のようなものだ。

母とはまだ話せてないが、その日の気付きから少しずつその壁を壊している。
一人でも、誰かといても、涙が出そうな時は我慢せず流すようになった(その多くは子どもの頃の話をしている時だ)。お酒に潰れて爆泣きして友人に迷惑をかけることができるようになった(麻美ありがとうごめんありがとう)。母と話すことはその壁の最後の一撃なのかもしれない!大丈夫だな、今の私には心強い友人たちがいる。

そして沢尻エリカみたいに、嫌なことを嫌だと主張するようになった。流石に「別に」とは言わないけど、ちょっとした選択、YES/NOをを答える前に一呼吸置いてたまにNOを選ぶようになった。私にとっては成長だ。そしてNOの伝え方に苦労しないのは、成長する過程で身につけてきた「感じの良さ」や「想像力」のおかげなのかもしれない。

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