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未来の自分について考え、話す事って凄く大切だと思う

引き寄せの法則って
少し前に流行ったかなぁと思います。

それって私が思うに
自分のやりたい事や
欲しい事、
興味がある事を
言語化して発信する事で
知らずに自分がアンテナを張っていたり
周りの人も気に掛けてくれるからではないか
と思っています.

例えば、
私がコーヒーHOLICな事は
結構な方が知って下さっていて
事務所に訪問される時に
買ってきて下さったり
何かとあれば
スタ○のドリンクチケットを
送ってくれたりします( ´ ▽ ` )❤️

自分が本が好きだと言う事もあり
頻繁に本屋さんだったり
いろいろ見ていると
おおぉ✨という本に出逢えたり
映像も好きで見ていると
これはぁあ✨と言うものに
出逢ったりします。

私的には引き寄せと言うより
自分の事について言語化する、
発信する事で意識付けが出来るのではないかと
思います。

先週末はクッキーを焼いたり刺繍をしたり
家でまったり過ごしたのですが、
その中で『母の仕事』『将来のこと』についても
少し話題になりました.

銀行員や英会話講師、就職指導員
教育委員会や主事
アパレルもクラブも色々な仕事を経て
どの仕事も楽しくて
どの仕事も大変だったのですが
今の福祉が一番自分に【しっくり】する様に
思います。

なぜそう思うのか。

私自身が精神を病み、一時期ではありますが
障害者だったと言う事もあるでしょう。
父子家庭育ちでヤングケアラーだったと言う
生育歴も関係するかもしれません。
以前も書いた様に思うのですが
私は自己肯定感がバリバリです。
プロフィールにも書いてますが
これは何かというと
理想とする自分像と
リアルな自分像のギャップが殆どないのです。
夢みるユメコで育って来れなかった
常に現実を見て対応せざるを得なかったと言う事が大きいのでしょうが、
そのギャップが全くという程ありません.
なので自己肯定感バリバリと書いています。

ある人に
『Norikoちゃんは弱者の立場で生きてきたから
良い意味でプライドが無い』と言われた事があります。

自分と言うブランドは持っているけれど
誰の真似っ子をする訳でもなく
かといって他者を否定する訳でもなく
自分と言う人間を知っているよね、と。
いまいちピンと来ていなかったのですが
ふと週末、娘との会話の中で
思った事がありました。

私の小学校の卒業アルバムには、
将来の夢として
『世界一背の高い人と
世界一背の低い人の真ん中に立って
通訳をしたい』と書いています。

英語を取得したいと言う気持ちも
当時からあったのでしょう。
英語を学ぶとどんな国の人とも話が出来ると
ワクワクしていたのですね。

でも深く考えてみると
私は英語を学んだけれど仕事として
一生使うツールにはしなかった。
通訳になるのが夢だったのに
そうでは無かった。
好きだったけれど、それは仕事では無かったという事なのでしょう。

中1の娘は将来デザイナーになりたいという
夢があります。
それは洋服とかではなく
街や住環境を、空間をデザインする人です。

娘は現在13歳で、将来を話す時
以前よりぐっと具体的になりましたし
『どうしてか』と言う問いに対しても
自分の言葉で述べる様になりました。

彼女は絵を描くことが大好きです。
イラストや模写、全てが好きで
毎日と言って良いほど何かを描いています。

その中でも小学校の時
ガールスカウトに入っていた経験や
私から聞く海外の事
教育委員会所属時の社会教育や
今の福祉の仕事の話を聞き
誰もが住みやすい、暮らしやすい環境と言う事に
興味を持った様です。

1番は昨年亡くなられたのですが
重度の身体障害でありながら
自分の生い立ちから障害者運動に携わられた方との出会いが大きかったと思います。

元々、私が入所施設にいた時、
通所で来られていました.
山頭火がお好きで俳句を嗜み
自費出版で俳句集も出されていたほど。
かすかに動く顔の頬の筋肉で
パソコンを操作され
作品を作られていました。

娘が4年生だった時、
俳句を作るという宿題が出たのです。
その時にアドバイスを貰ったのが
きっかけでした。
初めこそ娘は驚いていましたが、
数回会うと、優しい笑顔に慣れ
いろんな季語を教えてもらったりと
交流させて頂きました。

その方が重度の身体障害者でありながら
1人暮らしをしている事に
娘は驚き、どうやって生活が成り立っているのか
どんなサービスがあり
どんな住環境なのかを
見せて貰いました。

住まれていたのは県営住宅で
車椅子専用に段差がなく
スロープが付けられただけのものでした。
ベットを置くとそれだけで背もたれ付きの
大きな車椅子が回転出来ない程のスペースの中
1人暮らしをされていました。
もちろん緊急事態が起こっても
電話をすることは出来ません。
かすかに動くのは顔の頬だけなのですから
ベットの頬の当たる部分に
大きな押しボタンを
しかも手作りのもので
押すと支援機関に電話が繋がる様に
作ってありました。

娘が感心したと同時に
人が民間で月旅行に行こうかと言う時代に
障害がある方が1人暮らしをしようと思った時
こんなに設備も何も整っていないのが
現状なのかと衝撃だったそうです。

街を歩けば段差ばかり
おしゃれな古民家風のカフェは間口が狭かったり
店内が狭かったり
地下にあったりと
車椅子では利用出来ません。

街を歩いていても
車椅子が入れるトイレや
介助者も入れる少し大きめのトイレは
数と場所が決まっていたりします。

もっと柔軟なデザインが
暮らしには必要では無いか、と
福祉が日本より先進的なヨーロッパの
資料や動画を見て
日本も福祉や教育には地域格差はあっては
ならないと言う思いが強くなった様です。

彼女はそんな夢を持ちながら
今は風景画やスケッチ、イラストを描いては
人を楽しませたい
年齢や障害やそんな事は関係無く
アートが出来る事として
人を楽しませる
幸せな気持ちになると言う活動をしています。
それがゆくゆくは楽しませるだけでなく
心地よい場の提供だったり
生活を豊かにするものとして
形になると良いなぁと考えている様です。

そんな彼女を見て
私は世界一背の高い人と
世界一背の低い人の中に立って通訳をするって
英語だけではなく
人と人を繋ぐと言う事に興味があったんだなと
思ったのです。
また言葉の違う人
価値観の違う人
バックグラウンドが違う人と接する事
それも興味があったんだなと。

今の福祉の仕事は、近いものがあるなと
思いました。
人見知りはしない
吃音だけど話す事は別に気にはしていない
私はずっと弱者の立場で生きてきた
それは負い目でもなく
私ブランドとして
自分という人を認めている。
人と違う事も
パニック障害があることも
グリーフである事も
負い目ではなく
私の一部だと言う事。

今、障害のある方の就労支援員として
支援する側ですが
メンタルが落ち込む事や
ほんの些細な事に過剰に反応してしまう事も
『うん、そんな時もあるよね』と思えるのです。
空気が読めない事も
人の群れが苦手な事も
不安さや説明出来ない怖さみたいなものが
『うんうん』と思えるのです。

それは医者の様に分析と言う目線でなく
経験したものの目線。

良く言われるのが
福祉に期待とか熱意とか
変にそんなものを持っていないから
現実を現実として見ることが出来ているよねと。

支援者としても
私はややもすると
支援される側になる時が多いのです。
特にパニックが出ちゃたりした時は、そうなります。
だからこそ
自分と違う人の間に居ても
私と言う人で居られるのかもしれません。

そんな事を娘と話していました。

今日、
可愛いみこザウルスが
こんなnoteをあげていました。

先天的に好きな事
うんうん、それって週末に話した事に
繋がるなぁと思ったのです( ´ ▽ ` )

私自身、noteで自己紹介をしていません。
正直に言うと
自己紹介って難しいと思っているからです。

でも好きな事に拘ってみる
そこにフォーカスしてみる。
あとからオプションで付いてきた事も
帽子やスカーフの様に
考えてみると
何だか書けそうな気持ちになってくるのです。

好きって気持ちの種は
大切に育てていきたい.
それがどんな葉っぱをつけようと
花を咲かせようと
実が成ろうと、成らずとも
生まれた種を大切に愛でたいと
そう思いました.

うん、自己紹介、書いてみる( ´ ▽ ` )!!

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