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『グリッドマン・ユニバース』~シリーズを通して見えた風景~

 またもや少し遅い作品になった。劇場では観れなかったのでAmazon Primeで視聴させてもらった。見放題で観れた中では当たりの作品だったと言える。過去の作品もしっかりと視聴済み。
 今作で制作陣が伝えたいこと、その景色がしっかりと見え、よりシリーズの色合いを認識できるようになった。その感想と考察を簡素に綴っていく。考察していくキャラクターは完全に自分の好みで選んでいます。


1.見た目は90年代、中身は現代

 シリーズを通して戦隊モノ、変身モノ、巨大ロボットモノ、とまさに90年代、あるいは80年代に人気をはくした作品群の再来モノとなっている。グリッドマン自体がそもそも特撮作品として有名なコンテンツだ。それを元にアニメ版グリッドマンとダイナゼノンは作られている。昔ながらの特撮ヒーロー作品の演出や展開を取り入れ、現代風にアレンジしている。そして各キャラクターの性格や心情は物語の展開と共に変化していく。
 描写されるストーリー、演出は90年代だが各キャラクターが持っている悩み、葛藤などの心情は現代の悩める若者像を取り入れている。劇中でキャラクター達が突き当たっている壁は現実にありそうなものが多い。

わりと王道な学園モノと言える

2.響裕太と宝多六花の場合

 例えば響裕太と宝多六花はアイデンティティの確立や社会での自分の役割や居場所の発見といったかなり普遍的な悩みだ。響は物語のほとんどにおいて記憶喪失であり、文字通り自身のアイデンティティがすっぽり抜け落ちている状態。その状態からグリッドマンや仲間達との戦いを通して空っぽの器に少しずつ思い出を満たしていく。
 それを横で見守っている立花も自分が出来ること、自分がやりたいことを認識していく。この2人は最初のシリーズではずっとすれ違いであり、今作においてようやく交わる、つまりは付き合い始めることになる。
 最初の段階ではお互いの自我が確立しておらず、会話すらまともに出来ていない。このコミュニケーションがままならない様子は思春期の子供によくある光景だ。
 現代では人間同士のコミュニケーションはインターネットという文明の利器のおかげで非常に多様化、複雑化した。それは便利になると同時に、人間が直に会って行うマウストゥーマウスなコミュニケーションハードルをかなり上げてしまった感がある。さらにはオンラインとオフラインの境界線も曖昧になってきている。
 そんな中で真の自己を表現しつつ他人との関係性を維持するということはかなりのエネルギーを要する。人間関係はただ楽しくしていればいいものではない。常にその調和を保つための調律をしなければならない。オンライン上ならその悩みはほぼないと言っていい。関係が嫌になったらすぐにシャットアウトすればいい。それならもう現実世界で人と関わる必要はないのでは? となる。現代人の普遍的な悩みであろう。響と六花は現代人が感じているハードルをSFの世界で表現しつつ、それをローカルなやり方で乗り越えて行くというものを見せてくれる。

何か情念の女、みたいなイメージがある

3.麻中蓬と南夢芽の場合

 蓬と夢芽は響&六花よりも現実的というか、生々しさがある。2人とも内容の違いはあれど現実逃避に走っている。
 蓬は母子家庭で母親が再婚しようとしている最中、他人が自分の空間に入ってくるのが嫌になってそこから逃げ出そうとしている。その為に自身を顧みずに過度な労働に勤しんでいる。
 夢芽は身内の不幸な死がトラウマになっており、人間関係の構築が上手く出来なくなっている。その結果、他人だけでなく、自分自身ですら許容できない人格になっていた。
 蓬も夢芽もどこか現実から目を背けたような生き方をしていた。そんな2人が出会ってお互いの内面を垣間見つつ、惹かれ合い、触れ合っていき、結ばれていく。その過程はトラウマからの解放や自己を受け入れるというメンタルヘルスの重要性を教えてくれる。心の傷を癒すという行為はひとりでは出来ない。信用し、信頼し、思い合っている相手でなければ出来ないのだ。
 人間関係が希薄になったうえにストレス社会と言われている現代で、蓬と夢芽の成長はとても魅力的に映るだろう。

一番メンヘラっぽかったが

3.新条アカネの場合

 アカネは人間の登場人物の中では唯一、現実世界の住人になる。コンピューターワールドの外の世界だ。アカネは外の世界では孤独感や疎外感から自身が創造した世界に逃げ込んでいた。
 現実の日本の若者は他国の若者よりも自己肯定感がかなり低いという調査結果があり、そのせいなのかSNSや仮想現実に入り浸るようになるという傾向があるそうだ。これはアカネの内面の問題と同じ。現実の人間と違い、アカネは自分が作り出した仮想現実で自分に都合のいい世界を構築しようとした。
 しかし自身が作り出した都合のいいはずの仮想現実に他者が入って来た。それが響や六花たち。彼らと戦いを通じて少しずつ自己中心的な世界観から、他者の存在や感情を尊重し、思いやっていく人間に変化していく。
 ユニバースでは成長して他者を思いやることが出来る人間に成長したアカネを、現実世界で生きているアカネを見ることができる。アカネはデジタルが発達した現代社会の若者が直面する問題とその克服を描き出しており、現実逃避から現実受容、そして自己実現までをも内包している。

4.視聴者の年齢層はどこか?

 この作品がウケる年齢層はおそらく10~30代ではなかろうか。
 10~20代は登場するキャラクター達と年齢が近いこともあり、共感できるシーンが多いと思われる。登場人物それぞれが現実の少年、青年が持っている同じ悩みや葛藤を抱えて生きており、お互いに影響されあい、戦いの中で何か獲得していく。多感な思春期にはいろいろと刺さる部分が多い。
 そして30代以上になると過去作である特撮・グリッドマンを観ていた層になる。この年代に人達は子供の頃に夢中になった作品の後継作品となるアニメグリッドマンシリーズを観て昔を懐かしみ、かつての思い出に花を咲かせるのだ。
 特に自分が感じたのはキャラクター造形が上手いと思った点。アカネや六花はちょうどお互いが被らないような属性に当てはめてある。次回作であるダイナゼノンでも同じく。キャラクターの被りがなく、それでいて人気が出そうな造形美を誇っている。共感しやすいストーリーだけでなく、見た目でも親しみやすくしている。この点でマニアックな人達にもウケるのだ。
 媚びいていると言われることもあるかもしれないが、人を惹きつけ、魅了する外見というもの娯楽作品においては重要と言える。ヒット作品を産み出したいのならば無視していい要素ではない。

子供が大きくなっても観れる作品だろう

5.まとめ

 今回の映画作品を持ってしてひとまずは終幕となったグリッドマンシリーズ。自分としてはけっこう満足のいく作品だった。実はロボットモノはあまり観ないのだが、キャラクターと声優さんに惹かれて観始めたシリーズだった。面白いかどうかはストーリーと展開が握っているのだが、やはりアニメは『視聴』するもの。『観て』楽しむもの。前述したように、見た目から入るのは致し方ない。
 わかりやすく、それでいて何回も観たくなる作品のひとつと言っていい。何年か経って、ある時、またふと観たくなる瞬間が来ると思う、その時には、どうか見放題のコースに入っていてほしい。
 ひとつ気になる点があるのだが、このシリーズ、女性はどれだけ観ているのだろうか。基本的に男、男の子が観る作品だと思っているが、だが女性像がなかなかにリアルとかさっぱりしてていい、と言った意見も聞く。意外と女性陣からウケるキャラクター像もあるので、そのへんの意見を聞いてみたい。周りにはいないので、どこかで見れないだろうか。

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