82 inakamono

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最近の記事

大学教員を同僚として持つこと

皆様お久しぶりです。ほぼ数か月ぶりに更新します。甲信地方にあるとある公立大学に就職が決まり赴任してほぼ2年が経過しました。家族と離れ、二重生活を送る中で、大学に専任教員として稼働することがいかにストレスフルであるかを実感しています。中でもやはり学内の人間関係がもとのストレスは大きな問題です。研究と教育は各教員の個人プレーなので、これが原因のストレスは皆無です。やっかいなのは、いわゆる学内運営業務を遂行するために、他の教員とも深く関わらなければならない、ということです。カリキュ

    • 13 教授昇任へ。息子の不登校問題。

       しばらく更新していなかったので、何を書いていいのかわからず。とりあえずは、最近の問題について綴ろうかと思います。  末息子の不登校の問題は、未解決のまま、夏休みを迎えてしまいました。三者面談(息子は同行せず。実質、二者面談)で、担任の先生からは「二学期からは何とか登校させるように」とのお話が出ましたが、そう簡単に解決するとは思えず、親として頭が痛いものです。  勤務校では、今度の教授会では昇任人事が議題となり、私を含めて複数の同僚が昇任人事にかかりそうです。私は海外での准教

      • 12 ある公立高校の評議会

         先日、勤務校の近くにある、とある県立高校の学校評議会があり、私もその評議員の一人として出席してきました。地域貢献の一環ということで、学長から依頼されていたので、高校との教育連携、いわゆる高大連携を視野に入れた活動に関する提言をしようかと思い、私も意見表明をさせていただきました。評議員には、私のような大学教員もいれば、地元の商工会議所の会頭とか、会社経営者、PTA会長さん、複数の近接市町村の学校教育課の課長さんや指導主事なども列席していました。  まあ、当たりさわりのない高校

        • 11 不登校になった息子のこと

           久しぶりの更新です。ここのところ、色々な問題がありました。自分の父親の介護のことや、中学校3年生の末息子が不登校になってしまったこと、二重生活を維持するために経費上の問題、などなど。頭が痛くなります。とりわけ息子の不登校には参りました。  その原因はよくわかりません。最初、学校でいじめがあったのかと思い、担任の先生と相談しましたが、どうもそうでもないらしいことがわかり、余計に親として悩みました。自分の部屋ではネットの世界に浸りっきりで、どうもそこに自分の居場所を見出したらし

        大学教員を同僚として持つこと

          10 三流大学出身でも研究者になれる

           自分は、いわゆる旧帝国大学の出身ではありません。関東の某県西部に位置する、とあるマンモス私立大学の卒業です。まあ、ネットでは「三流大学」のレッテルが張られていますが、お世辞にもものすごく優秀な大学ではありません。「優秀」の定義づけは難しいのですが、偏差値で言えば私の出た学部は50から55前後といったところでしょうか。  私はかつての国公立の共通一次試験で失敗し、そのすべり止めとしてこの大学に入学しました。両親に比較的財力があったので、それに甘える形でこの学校で学部から大学院

          10 三流大学出身でも研究者になれる

          9 競争的研究助成金の獲得

           今日は少しお金の話をしてみたいと思います。人間先立つものがなければ生活できないのは当たり前なのですが、生活基盤を保ちながら研究を進める場合、どうしても研究費獲得という非常に頭の痛い問題に直面します。非常勤講師時代、職務として研究活動は求められていないにせよ、自分としては「どうしても研究したい」、という強い意志がありました。学会内での「あの人は非常勤だから」などというネガティブな風評を一掃したい、なんとか業績をあげたい、という気力に満ちた強い意志がありました。ただ、非常勤務校

          9 競争的研究助成金の獲得

          8 大学専任教員の職務

           長いトンネルを抜け、晴れて専任教員として大学で勤務できる喜びとありがたさを感じる今日この頃です。ただ如何せん。家族を残しての二重生活で、実のところ経済的に今でも安定しているとは言い難い状況は続いています。ただ、毎月、定額の給料と年2回のボーナスがいただける身分は、何事にも代えがたいものです。  非常勤講師時代と大きく異なる点は、専任教員として個室の研究室が与えられること、低額ながらも個人研究費がもらえ、科学研究費助成、いわゆる科研費に応募できることです。昨年、自分が研究代表

          8 大学専任教員の職務

          7 単著刊行の奇跡

           今日は、自分が単著を刊行できた奇跡話をしてみます。研究者を目指す場合、特に人文社会科学系等の研究者にとって単著刊行は一つのメルクマールとして位置づけられるものです。たいていは、博士論文の成果を単著として刊行する場合が多いのですが、私の場合はそれとは異なった経緯を経ました。  海外でPh.Dを取得した私は、その論文を現地の大学出版局から刊行してもらおうと思ったのですが、計画倒れに終わってしまいました。それから数十年経過し、数々の論文を発表してきた私ですが、非常勤講師として生活

          7 単著刊行の奇跡

          6 大学非常勤講師の研究生活

           今ふりかえってみると、長い間の非常勤講師生活(10年以上)の中で、曲がりなりにも研究業績を増やすことができたのは、ひとえに自分の両親と家族の深い理解があったからだと思っている。私の両親は私の研究生活に多大な理解を常に示してくれていた。父は、「自分の生きたいように生きなさい、そして、自分の生きたいところへ行きなさい。困ったら金は送ってあげる」といつも言っていた。それほど裕福な家庭ではなかったが、私の教育には多大な投資をしてくれた。海外留学中、学生結婚をしても、子供が生まれても

          6 大学非常勤講師の研究生活

          5 採用までの道のり

           私は、大学教員選考公募へ応募したとは言っても、今の若いポスドクの人たちやその他、非常に優秀な方々と比べて劣る面が多くあり、一時選考通過後の面接歴を示すほどの例がそれほど多くありません。そのほんの少しの例と、それと並行して積み重ねていった業績などを重ね合わせながら、私のささやかな応募歴を、数少ない面接に残った例に絞って示してみます。 1 東北地方の某公立大学、1997年。初めての面接審査 分野:一般総合教育で分野を問わない領域 結果:不採用 当時の業績:博士論文(海外Ph.

          5 採用までの道のり

          4 英語教育歴と大学教員採用

           大学の教員を目指している人たちの多くは、博士課程満期退学者、博士課程修了者、ポスドクの身分で無給の待遇で研究している研究生、学術振興会のPDでかろうじて生活の糧を得ながら研究している人たち、非常勤講師で日々の生活の糧を確保しながら研究している人たち、等々多岐にわたります。おそらくほとんどの方々は、毎日、JREC-INのサイトをながめながら自分に合ったポストを探していることでしょう。  人文社会科学系等のポスト探しだけに限っ、言いますと、自分の専攻や研究内容とうまく合致したポ

          4 英語教育歴と大学教員採用

          3 とてもつらかったアカポス就活

           今度は、自分の就職活動について書いてみます。一言で言って、とてもつらかったです。なぜなら、就活という長いトンネルに入った途端、いつ出口に到達できるのかがわからなかったからです。その出口まで10数年以上の時間が経過してしまいました。  業績の積み上げについては前回書きましたが、業績は努力すれば何とか積み上げることはできます。しかし、就職は努力すれば、実現できるという類いのものではありません。ここで言う就職活動とは、もちろん大学のアカポスの事です。小中高校の先生になるには、教員

          3 とてもつらかったアカポス就活

          2 大学非常勤講師生活で業績作り

           2011年3月に帰国しました。タイミング悪く、東日本大震災に遭遇しました。郷里の家屋も半壊の状態になりました。実家からさほど遠くないところで家族で暮らしていましたが、つてを頼っての地元国立大学での語学非常勤講師としての稼働が遅れに遅れました。ようやく5月になり、週数コマの授業を担当することになりました。地方国公立大学の非常勤講師の待遇は悪く、実績給で暮らさなければなりません。実績給とは、まあ早い話が時給です。首都圏内の私立大学とは異なり、「一コマで一カ月いくら」の計算ではあ

          2 大学非常勤講師生活で業績作り

          1 大学非常勤講師。海外での教育研究

           この10数年、紆余曲折を経ながら、家族の理解を得つつ研究生活を送ってきました。海外留学を終えて、帰郷しアルバイトをしながらの極貧生活。生まれた長女はまだ3歳にも満たない幼児でした。家内とは、留学先で知り合い結婚しました。学生結婚だったわけですが、貧乏なので結婚式も挙げませんでした。前回でも触れましたが、ミッション系の短大で語学を担当し、ささやかながら大学教育に関わることができました。  ただこうした状態で研究業績を積み上げるのは容易ではありませんでした。留学先で収集した史資

          1 大学非常勤講師。海外での教育研究

          大学教員へのつらく、険しい道のり

          はじめに 現在、私はある地方の公立大学で准教授として働いています。もう還暦間近です。昨年、ここに採用されたばかりで、今までずっと非常勤講師という身分で複数の大学や教育機関(看護専門学校等)で教えてきました。元来、私は自分の苦労話を他人にするほうでははないのですが、昨今、大学の先生になるにはどうしたらいいのか、のようなブログが多く目につき、自分自身も自己の体験談を書き残すことで、若い研究者志望の人たちの励みになれば、という思いがつのってきております。そのような理由で、今回私は、

          大学教員へのつらく、険しい道のり