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大学教員へのつらく、険しい道のり

はじめに

 現在、私はある地方の公立大学で准教授として働いています。もう還暦間近です。昨年、ここに採用されたばかりで、今までずっと非常勤講師という身分で複数の大学や教育機関(看護専門学校等)で教えてきました。元来、私は自分の苦労話を他人にするほうでははないのですが、昨今、大学の先生になるにはどうしたらいいのか、のようなブログが多く目につき、自分自身も自己の体験談を書き残すことで、若い研究者志望の人たちの励みになれば、という思いがつのってきております。そのような理由で、今回私は、現在の地位にたどり着くまでどのような過程を経てきたのかを、つらつらと書き綴っていこうと思います。そして、研究者になる心構え、かつ覚悟について少しアドバイスができればいいなと思っております。
 しかしながら、以下に書かれている体験談はあくまで自分の経験であり、すべての研究者志望の人たちがこれを真似ることはお勧めしません。なぜなら、私はたまたま「奇跡的」に大学の教師になれたのであって、これを真似たからといって、この奇跡が今の若い研究者志望の人たちに対しても起こりえる、とは思わないからです。中には本当に優秀な若い研究者志望の方々も多いはずです。そういった方々は、今後紆余曲折はあろうとも、それなりの研究者としての地位にたどり着くことができるはずです。
 一方で私は、元来、地頭がいい方ではありません。一つの事を習得するまで、人の数倍以上の時間がかかります。ただ、自分にとって関心を引くような事柄については、時間をかけながらも、コツコツと学ぶことが好きなタイプです。ですから、私は自分と同世代の研究者と比較すると、大学教師として就職するまでとてつもなく長い時間がかかってしまいました。これからお話しすることは、あくまで私の体験談であって、これを真似ることはあまりお勧めしません。でも、一つ言えることは、自分でいったん決めた目標を達成するには、焦らず無理せずコツコツと努力することが肝要だと、いうことです。ただ、夢をかなえるには、家族や友人の支えも必要です。決して焦らず、余り孤独にならず、英語でいうところの、take it easyの精神で努力していきましょう。それでは、私の体験談に移りたいと思います。

  1. アジア地域研究を志しながらの海外留学。帰国後の無職状態

 自分の専攻は、人部社会科学系の中でもアジア研究の部類に入ると思います。80年代も終わりの頃、アジア研究の中でも当時、それほど人気がなかった東南アジアの某国へ国費留学しました。当時の文部省(現在の文部科学省)からの奨学金を得ての渡航でした。それまで、私は日本の大学院(地方の中堅私立大学)に在籍していましたが、博士課程を修了する見込みがないまま退学し、その某国へ留学しました。バルブル真っ只中の日本を後にして、当時それほど治安が良くなかった某国へ単身で渡航し、新しい生活を始めました。
 現地語を習得し、留学先の歴史学の分野で研究を行い、1998年に博士号を取得しました。渡航からすでに8年の時間が経過してしまいました。ちょうど日本ではバブルが崩壊し、大学教員のポストを獲得するのも極めて難しい状況になっていました。学振PDに応募しようとしましたが、90年代当時、そこへの応募の際、34歳未満という年齢制限が障害となり、申請はかないませんでした。帰国後、指導教員に就職の相談をしましたが、「そんな心配をせず、研究にだけ邁進しなさい」との言葉をいただき、自分の師匠からの冷たい対応に幻滅しながら帰郷せざるを得ませんでした。指導教員は、学会でもかなり名の通った重鎮でしたが、弟子の就職にはほとんど何の関心も示さない方でした。当時まだインターネットはなく、日本の研究者同士のネットワークをほとんど構築していなかった私は路頭に迷ってしまいました。
 仕方なく、生活のために様々なアルバイトをして日々の生活を送る他はありませんでした。一方で実家に帰っていた私は、地元の大学や短大、はたまた専門学校等に電話をかけまくり、非常勤講師の口を探しました。まだJRECINがない時代でした。運良く、とあるミッション系短期大学の副学長と会うことができました。彼女から「専任の口はありませんが、来年度からの語学のコマを担当していただけますか」というオファーがあり、週わずか2コマの授業を持つことができました。1998年4月のことでした。それだけでは生活できないので、塾やコンビニでのバイト(時には郵便局の配達員)で生活費を稼ぎながら週2コマの英語の授業をこなしました。時間を見繕いながら、留学先の大学へ提出した博士論文の一部を日本語の論文としてまとめ、生まれて初めて学会誌へ論文を掲載してもらうことができました。
 それでは、次に非常勤講師という身分でいかに研究業績を積み上げていったのかについて話してみたいと思います。それでは乞うご期待。
 



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