見出し画像

震災を経験していない私たち

2022年9月の上旬、

真夏のピークは過ぎ、大学生になって3回目の夏休みも終盤を迎えた頃、私は4泊5日で宮城県石巻市を訪れました。ただの旅行ではなく、東日本大震災の復興支援ボランティアとして。

復興の地として成長を続けるローズガーデンの整備

かつて街が広がっていた地に新たな命を再生する植樹活動

震災遺構の見学

子どもたちが通った非難ルートの検証

被災者の語る言葉

防潮堤から見た景色

この5日間は、間違いなく私の人生観に影響を与えました。
はじめて被災地を訪れてみて、知ったことや感じたことは、リアルに1万個以上あったのではないかと思います。心が震えた瞬間はそれ以上かもしれません。その全てを覚えておくことは不可能だけれど、この5日間をできる限り覚えていたい。
そう切に願い、帰ってすぐにこの5日間の記録をノートに向かってペンを走らせましたが、それは事実と感情が時系列で並べられたただの箇条書き。いや、殴り書き。 そこで思いました。
やっぱりちゃんとした文章として残したいなと。
そして、私がこの旅全体を通して受け取ったメッセージの1つでもありますが、
自分が知って終わりじゃなくて、一人でも多くの人に伝えなきゃいけないなと。
だから書くことにしました。

まずは今日、もったいぶらずに、震災と向き合った5日間を通して、私が最も伝えたいと思った内容を語らせていただきます。
(各地での細かいレポートはこれからおいおい上げていくつもりです)

長文にはなりますが、
どうか最後まで読んでいただきたいです。

よろしくお願いします。




あなたは、

被災を経験した人とそうでない私たちとの間で、抱えている過去の大きさや当事者意識の差などから、一定の距離感を感じたことはないだろうか。

私はある。

極端に言えば、
震災を経験した人が当事者であるならば、私たちはおそらく第三者。

東北の力になりたいと一歩を踏み出そうとしても、3.11の悲しみの果てに
「部外者」がどこまで踏み込んで良いのか、

震災の教訓を学んだとしても、
経験をしていない者が震災を語って良いのか、

私には分からなかった。

これはきっと私やあなただけでなく、
これまで被災地域で活躍してきたボランティアスタッフ、
取材と報道を続けるマスコミ、
子どもへ防災教育を行う教員、
この他にも多くの災害非経験者が直面した「壁」であると思う。

この壁のせいで、私たちは関心があるにも関わらず、震災と距離を置いてしまう。
震災の恐ろしさを知る被災地とその他の地で、記憶の継承や防災への意識には、おのずと温度差が生まれる。

災害を体験したことがない私たちは、
このまま距離を置き続け、震災の復興と高齢化の表裏の姿を黙って見守るだけで良いのだろうか。

災害を知らない私たちにできることは
東北から思いを託された私がすべきこととは
いったい —


こんな風に言うと不謹慎かもしれないが、私は以前から被災地に興味があった。それは別に、震災跡地を見てみたかったわけでも、悲しみから学びを得たかったわけでもない。

知りたかった。

2011年3月11日14時46分

当時私がまだ小学生だった頃、
あの地で一体何が起きたのか。

震災から10年余りの時を経た今、
東北であの日を生きた人たちは何を思うのか。

これまで報道や本でしか震災を知ってこなかった私たちは、

いったい何を見て、何を見ていなかったのか。

それが知りたかった。

この活動の存在を知ったのは実に応募締め切りの二日前で、広報のポスターで発見した。どうやら私の通う大学は2011年から毎年希望者を募り、東日本大震災の復興支援ボランティア活動を行ってきたらしい。(コロナ禍により、今年の活動は3年ぶり)そして、後の報告会で活動での教訓や感じたことを語り合うという。うちの大学にそんな一面があったなんて少し感激した。是か非でも行きたいと思った。

だが、まずい。

募集定員は20名。
超過の場合は作文や自己PRによる選考あり。
うちの大学の学生は約2万人。
破格の値段で東北へ行けるとなると、超えないわけがない。募集の締め切りまでも二日足らず。
今日も明日もバイト+締め切り間近のレポートもいくつか。

果たして応募は間に合うのか?

応募できたとして、
いけるのか? 俺は —


結果:行けた。

終わってみて思うけど、今回だけはあの時の自分の決断と集中力を褒めたい。褒めちぎりたい。選考の作文で被災地を訪問することで自分は何を知りたい、どうなりたいかを率直に書いたのが良かったのかな。
こうして私は、大学のNPOボランティア活動センター主催の、「東日本大震災復興支援ボランティア活動」に参加することになったわけだ 。


自画自賛はさておき、ここからが本題。
私は、 活動への参加が決まり出発の日を迎えるにあたっていくつか懸念した点があった。

「自分のために震災を正当化して良いのか」

という点で。
前章で挙げたような「知りたい」ならまだしも、今回私が被災地へ行くことを決意した動機には、

”就活で話せそう”
”自分を変えるきっかけになるんじゃないか”

こうした思わくも少なからず含まれていた。

私は気付いてしまった。

自己実現のために、自分が震災を利用しようとしているということに。

人の死を、悲しみの記憶を
どのような理由であれ、正当化して良いのか。

良いわけがない。

私は震災を遠回しに自分への”教材”としか認識していなかった。見かけでは「東北のために」と偽善を装っておきながら、私利私欲で多くの人々の死と、計り知れない町や人々の悲しみに平気で踏み込もうとした自分に失望した。吐き気がした。
また、同時に思った。

「災害を経験していない偽善者を装う私に、被災の記憶を巡り、震災を語る権利があるのか」

自分は被災地に行ってはいけない気がした。

こうして私は4泊5日分のバックパックと共に、
期待と不安ではなく、罪悪感と葛藤を抱えながら出発の日を迎えた。

自分のために震災を正当化して良いのか
災害を経験していない者や偽善者に、
被災の記憶を巡り、震災を語る権利があるのか


前置きが長くなってしまったが、このジレンマのような2つの問いに対する答えが、今回私の最も伝えたいことだ。

この「問い」は冒頭で言った「壁」とつながる。おそらくこの壁は、越えることができなければ近年問題視されている震災の風化を食い止めることはできない。

しかし、

自分の足で被災地を巡って、
私のなかでこの問いは晴れた。現地に行ったことでこの答えを確信できた。今ならきっとこの壁を超えられる。

結論を言う前に1つ断っておきたい。

たまにこのような発言を耳にする。

“震災のボランティアに行ったおかげで成長できた”

そこに悪気など1ミリもないとしても

上記で示す「 正当化」が自身の成長や出来事のきっかけを「震災のおかげで」などと理論づけることであるならば、それは違う。絶対に。

仮にそうであっても、
そこに悪気がないとしても、

「おかげで」なんて決して言葉にすべきではない。してはいけない。
震災により犠牲になった人が、
あの地震と津波で両親や恋人、故郷や実家、自分にとってのすべてを不条理に奪われた人がいるのだから。「あれがあったから」とは表現しても、
「おかげ」は違う。
口が裂けても言っちゃだめだ。

ただ

どんな動機や目的であれ、
それが偽善であったとしても、
3.11や震災復興に少しでも関心があるならば、
私はこう伝えたい。

まずは被災地へ行け。

自分の目と耳と足、それと全部で、あの日を感じろ。

そして語るんだ。あなたにとって大切な人に。

自分のためでも、就活のためでも、旅行のついででも、

動機は何だって良い。

そこに当事者意識も善意も関係ない。

本質は行かなきゃわからない。


これが答えだ。もちろん異論は認める。
一回行っただけのお前に何がわかると思われるかもしれないけれど、あの地に行けば、東北で懸命に生き、懸命に未来へ託そうとする人々を見れば、どんな個人のエゴや偽善も、それは必ず使命感に変わる。
「震災を風化させてはならない」と。

あらゆる場所に設置された津波到達点の標識、
終わりの見えない高く反り立つ真新しい堤防、
学校の裏山の草木に交じって落ちている本来そこにあるはずのないガラスの破片や貝殻、
それを目にすれば、
自然災害を前に、人間は無力なんだと思い知る。

教員も含む多くの児童が津波の犠牲となった震災遺構・大川小学校へ行けば、
大きくなった自分の手は、子どもたちの小さな命を守るためにあることを教えられる。
子どもを守るのは他でもない私たち大人なんだ。

慰霊碑に刻まれた、震災により犠牲になられた方のお名前を1つ1つ読めば、
これまで自分が、失われた命を数字としか
捉えてこなかったことに気が付く。
東日本大震災による死者・行方不明者は2万人を超えると言われている。それは確かな数字かもしれない。
でもそうじゃない。
命は数じゃないんだ。
名前があるんだ。
そう思うと、命の重さを肌で感じて知らぬ間に呼吸が苦しくなる。

そして
自身の被災経験を語ってくれた現地の方々の
“同じ思いを経験してほしくない”
“どうか震災を忘れないで欲しい”
そう私たちに強く訴えかける声と、強さの傍らに見せる悲しみの宿った目を見聞きすれば、
震災に向き合うきっかけや立場の違いなんてどうでもよくなる。
現地の方々は、
想ってくれることが、
行動してくれることが
また来てくれることが 嬉しいんだ。
そう言って優しく微笑んでくれた。

被災を経験していない私たちにできることは、

耳を傾けて、
はじめて痛みを感じて、
被災地・被災者の想いに
自分の気持ちも乗せて未来に託していくこと。


これが全てだと思う。

震災を学ぶことで、

深い哀しみと恐怖を覚えるかもしれない。
涙が出るかもしれない。
命が惜しくなるかもしれない。

それでも目を背けちゃなんだ。

幸いにも震災を経験せずに済んだ私たちが
ご遺族や被災者の想いを「復興」の2文字で
置き去りにしちゃだめなんだよ。


とはいえ、読んでくれている人の現在地にもよるが、東北は簡単にすぐ行ける場所ではない。
まずは本や映画で震災を知るのも良いし、知識を増やすのも良い。3月11日に東北に思いを馳せて手を合わせるだけでも良い。それだけでも震災への無関心は遠のくし、防災意識も高まる。

でもでもでも

特に私と同じ大学生諸君、

人生の中で比較的時間にゆとりのある今、

守られる立場から

“守る立場”に変わりつつある今、

ぜひとも一度被災地を巡ってみてほしい。
現地へ行ってみてどんな感想を抱くかは人それぞれだけど、きっと何かメッセージを受け取るはず。見えてくるのは、良いところばかりではない。被災地に残された課題や、行政と市民の考えのズレを直接目にすれば、「復興とは何なのか」と本気で思う。

いつか自分の家族も、友達も、恋人も、みんな連れていきたいな。


想いを託された以上、

あなたにこんな長文を読ませた以上、

「がんばれ東北!」

「がんばれ石巻!」

なんて他人事は言っていられない。

自分を含め、みんなで頑張るんだ。


偉そうに。

お前はほんの少し東北に行っただけで、
実際の震災は体験していないじゃないか?



うるせえ。



体験してなくたって、
一生懸命知ろうとすることで、
語ろうとすることで、
3.11の記憶がまた違う誰かに届く。

それでいいじゃん。

世の中では「復興」と聞くと、瓦礫が撤去されることとか、新しく建物ができることとか、コミュニティの再構築だけに目を向けるけれど、

きっとこれも復興なんだよ。
俺の下手くそな語りだって復興なんだ。

復興に定義なんてないからこそ、そういうことにしようよ。

「経験者」に及ばないところは確かにあるけれど、説得力や共感力よりも「伝え続ける」ことに意味があるんだと思う。

今は関西に住むただの大学生の私が

これから先どんな職に就いたとしても、

どこに住んだとしても、

いくつ歳を重ねたとしても、

あの日を決して忘れはしない。

忘れさせない。

東北の地に心からの思いを寄せ

私は、伝え続ける。

読んでくれてありがとう。


宮城県牡鹿郡女川町の誓いの鐘






















この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,285件

#防災いまできること

2,469件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?