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平等のための逆ボランティア:不幸に注ぐギフティング

 この国は”寄付”が根付いていない――そう感じないだろうか?
 俺は痛切にそう感じていた。

 他国では富める者が貧する者に施すのが文化として根付いている。
 いろいろな国があるのはわかるが、それでもこの国にそういった崇高な精神性はない。そう肌身で感じないか?

 なぜか。
 それは宗教的な精神性が根付いていないことだったり、と理由はいろいろ言われているが、他者に施しを与えること自体に一種の忌避が働いているように思える。

 なぜならこの国では平等――横並びが善とされているからだ。
 横並びが善で正解となれば、施しや恵みは”ありがた迷惑”なものになる。

 与えられた者にとっては施されることは恥。
 自分が劣るといわれているように感じる。

 与える者にとっても施しを与えると敵意を向けられる。
 自分が富める者だという自慢に受け取られるからだ。

 平等という真ん中にいることが最善のコミュニティにおいて、貧する者も富める者もどちらもハズレ者とレッテルを張られ、異物として扱われる。

 生活に困り、支援を受けるものを怠け者と罵り、
 義援金を出した金持ちに”はした金”とケチをつける。

 こんな国で誰が寄付やボランティアをしようと思う?

 この国は足の引っ張り合いしかしないのだ。
 そんな国で、寄付もボランティアもチャリティーも根付くはずがない。

 施しも温かみも、あったもんじゃない。

 そこで考えた。
 どうにかして、ボランティアや寄付の精神を根付かせられないかって。
 ふと思った。

 他者を幸福にすることにはカネを出さないが、
 他人を不幸にすることにはカネを出すんじゃないか、って。

 そのサイトがこれさ。
 不幸のギフティングサイト。

 不正を働く企業、厚顔無恥な有名人、富を肥やすことしか興味のない政治家、倫理観の外れた行いをする一般人・・・気に入らない出来事、人、なんでもいい。

 袋たたきにする寄付を募る。

 なにかムカつくことがあったら、そのことについての寄付を募る。

 その寄付金を使って、袋たたきにする。
 気に入らない企業や人へのアンチキャンペーンの広告を打ち、炎上させる人海戦術やシステムの原資として使う。

 そんなことができるのかって? 
 不自然な炎上、おかしいほどに過剰反応する世論を見てみろよ。
 アレさ。

 平等から外れた人を救い上げるのではなく、
 上のものを引きずり落とし、
 下にいるものをさらに突き落として、排除する。

 そうすると、平等な、真ん中の人だけが残る。

 そんな非生産的、非論理的、非人道的なことをしてなにになるって?
 そうだな。そんな社会はきっと沈んでいく。
 そんなことにカネを使っていて、豊かになるはずがない。

 真ん中にいた人たちもずるずると下に落ちる。
 平等の位置が、ずり下がる。

 でも、みんな底辺についたら――みんな平等だ。

 みんな不幸で、みんな幸せだろう?
 この国は、こういった善意なら受け入れて、晴れてみな、幸せになれるというわけさ。

 ん? 
 俺がこんなサイトを運営している理由かい?

 ボランティアだよ。



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