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精神が世界を作る

いろいろな物質があって、ツールがあって、ハックなんて言い方をして便利な活用方法を教えてくれる。

使うのはいつでも人間なのだけれど、人間も使っているのか使わされているのかわからなくなる。

何かしらのツールを使って楽しい気持ちにもなるし、しみじみとした気持ちになったりもします。そう考えると感情とか気分というのも外的な原因で発生するものであり、自分の内側から発生しているとは言えないのではないか。

感情とか記憶について多く書いています。


お墓参り

地方に住みますと集落にはお墓があります。集落に住んでいる各家庭のお墓です。○○家って書かれた墓石。お盆とかお彼岸とかになると都会や他の地域に住んでいるご家族さまも帰って来られます。

お墓というのはそこに出かけるひとつ言い訳になります。「お墓があるから実家に帰ろう」って選択肢ができます。そういった普段バラバラでいる家族単位を集めるツールとして作用する。

お墓の中に故人がいるとは思いませんが、墓石に向かって話しかけたりもする。故人を思い出すツールとしてもお墓は働いている。

故人を思い出して過去へ旅立つタイムマシンのようにも活用される。

いろいろなツールを用いて、芋づるのように記憶がよみがえる。よい記憶も悪い記憶もよみがえる。時間と共に美化される記憶もあるだろう。

どうせだったら都合いいように記憶したいし記憶を作り変えたいとも思う。



幸せなりたいという願いと風水と

お金持ちになりたいと思う。家族を得たいと思う。よい仕事に就きたいと思う。有名になりたいと思う。いろいろな願いや望みがあります。
誰だって好んで貧しくなりたいとは思わないでしょう。
でもそうではないでしょう。みなさん、お金持ちになりたいわけではなく幸せになりたいと願っています。

幸せになるにはお金が必要だと思っているのでしょう。確かに実際に生活していくうえでお金などの物質はひつようなのかもしれません。
しかし、自分ひとりの力ではどうにもならないこともある。

風水は趨吉避凶という考えがあります。なるべく凶を避け続けることで吉を呼び込むということです。風水というと方位と思われます。吉方位と凶方位という言い方もしますね。

たしかに凶方位にいると病気をしてしまったり自動車事故を起こしてしまったりします。すべてを方位の責任にすることはできませんが、よい方位を取ろうというのは人為的に吉を呼び込む方法として効果があるなと思っています。

風水をすることでお金持ちになるということもあるでしょうが、趨吉避凶、凶がない、何気なく暮れていく毎日がいい。

積極的に危険から逃れる方法は今を生き延びるためにとても重要なことだなと思っています。


梅雨に起きること

リンクタイトルにもありますが、梅雨になると打撲が出てきます。
身体を強く打ち付けた経験は学生時代に運動をしていた人にとってはあることです。サッカーとかラグビーとか柔道や剣道など人間と人間が激しくぶつかる競技はもちろんですが、バレーボールなどの体育館スポーツもそうですね。床に強く身体を打ち付けることで打撲ができる。

昔負った古傷、過去の打撲が出てくるのが梅雨です。

古傷は身体だけでなく心にもあります。昔のイヤな経験を思い出して暗い気分になる。過去の打撲ですね。

過去の打撲が現れ、イヤなことを思い出して鬱々としてくる。
誰かに言われた一言にたいへん心を痛めた。子どもの頃に両親から言われた一言。学校の先生が何気なく言った言葉。友人の何気ない態度がいつまでも記憶の中から消えない・・などなど。
そんなときに自分の性格や精神が悪いと思いがちですが、そうではない。単に梅雨であるというだけです。

梅雨になるとイヤな気持ちになる。
人間は自分の気持ちさえも自分の思い通りにならないものなんだな。


精神が世界を作る

学生時代に競技スポーツをしていました。全国大会に出るとか出ないとかそういう学校でやっていました。周りを見ると地域や県の選抜チームに入るような人たちばかり。プロに入る人もいるくらいでした。
そういった環境ですから先輩も後輩も競技に優れた人たちばかり。

先輩との競争に打ち勝つと有望な後輩が入ってくる。有望な後輩の挑戦を退けると次は違う挑戦者がやってくる。

そんなことの繰り返し。いつまでもいつまでも続く戦い。
戦い続けるのは修羅道だ。
漫画バガボンドにも書かれていた戦いの螺旋。
命の取り合いではないけれど、戦いはいつまでも続き、息を抜く暇がない。
誰よりも結果を出そう、ああしようこうしようというのが現代的修羅道とでもいうものだろうか。

お釈迦さまが六道輪廻というものを説きました。
六道輪廻の世界があるわけではない。六道輪廻のような意識状態、精神状態があるということです。

修羅道の精神状態から脱却しよう。いつまでも競争するのは消耗するから。まずは精神状態からやめること。精神状態が世界を作っているということを知ることだ。霊的知識のひとつ。


自分で自由に何でもできると考えていてもそうではないことが多くて、ジレンマを抱えている人は多いと思います。そもそも何でも自由にできるという前提がまちがっているんじゃないかなと。

本日もお読みいただき、ありがとうございます。


読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。