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最終章。別れ、悲しみは突然に、、、

・突然の悲報

残暑厳しい、2016年9月。

師匠とともに、
桶づくりに没頭する日々の中、

それは、あまりに突然の出来事でした。


プルルルル、
プルルルル、、、

お店に鳴り響く一本の電話のベルの音♬

電話のお相手は、
五十嵐さんの奥さんからでした。


あれ?
何で奥さんから電話が、、???

私は、この時
とても「嫌な予感」がしたのを
今でも鮮明に覚えてます。


それは、
あまりにも突然の訃報でした。

お身体悪く
入退院をされているのは知っていましたが、

まさか、

それほどまでにお身体が
悪かったとは、、、

本当に、全く知らなかったです。

お電話の向こうで

奥さんが泣きながら
お話しくださいました。

11年前にガンを発症したこと。

それが5年前に再発していたこと。

前立腺がんというご病気で、

お腹の痛みが
腰まで広がっていたため

常に腰が痛く、

腰痛の原因はがんが原因であったこと、、、

言葉になりませんでした。


そして、
わたしは居ても立っても居られずに
再び秋田へ訪れることに、、、


2016年の冬のことでした。

再び訪れた秋田の地。そこに五十嵐さんの姿はなかった、、


・悲しみの秋田再訪


そこには、

五十嵐さんの姿は
もうありませんでした。

仕事場には、

作りかけの桶太鼓の材料が
まだそのままになっていて、、、


私たち、三浦太鼓店から注文させてもらっていた

FAXの注文書が、
そのまま置かれていました。

FAXの注文書


この時、
五十嵐さんの奥さんは、
いろんなことを伝えてくれました。

去年三浦さんが
来てくれた次の日から

2週間、夫と2人
北海道へ旅行へ行きました。

病の痛みと戦いながら
たぶん、本人は最後の旅行になる

そう決意していたんだと思います。

そして、

お父さん、

本当は三浦さんに
桶作りを教えたかったんです。

自分自身の身体の事があって、

人に教えられるほどの
状態じゃなかったので

断腸の思いで一度はお断りしました。

でも、
必ず元気になって

桶作り教えてあげたい、、、

むしろ、
お父さん

元気になって
三浦さんに桶づくりを教えるようになるんだ!と

それが、唯一の
心の励みだったんです。

と、、、、

そうだったのか、、、


悲しみというより
悔しさが沸き上がるばかり、、、

せめて、

もう一言だけ、
直接会ってお礼が言いたかった、、、

私は、

奥さんに、
この時初めて自分が桶作りを始めた事、

そして
いつか、

五十嵐さんに教えてもらいたいと
リベンジしようと考えていたことを伝え、

悲しみのなか
秋田から愛知へと帰ってきました。

秋田から愛知へ戻るとき、見上げた空。


・奥さんからてのお手紙


地元愛知に帰って数日が経ったころ、、、

五十嵐さんの奥さんから
こんなお手紙が届きました。

奥さんからのお便り

去年の今頃、

まさかお父さんがいなくなるなんて
奥さん自身も考えもしなったこと、、、

三浦さんありがとう。

--------------------/
そんな中、

最後の最後に
三浦さんに出会えたことの意味。

もう少し、お父さんの
身体が悪くなければ、、、

そう思うととても残念でなりません。
--------------------/

そして、

奥さんからのお手紙の最後に、
このような事が書かれていたんです。

お父さんの仕事場で、太鼓を作ってみませんか?

--------------------/
もし、
三浦さんがお時間をとることができたら、
お父さんの仕事場で
桶を作ってみませんか?

長年、私はお父さんのそばで
ずっとお父さんの桶作りを見てきました。

材料も、道具も揃ってます。

実際に、うちにきて
桶を作りながらお話しできたら

何かつかむことができるんじゃないかって、、、
私、思ったんです。
--------------------/

そして、
お手紙の最後にはこう綴られていました。

-------------------/
よくお父さんは、言ってました。

モノづくりをしている人に
一番大切なことは、

カンの良さ、
のみこみの早さ、

絶対に手を抜かず、
ていねいなモノを作る。

人が作れないモノを努力して
作れるようになる事。

三浦さんに、
私が見てきたことこと、聴いてきたことを

伝えられたらと思ってます。
もし、
よかったらいつでも
私はお手伝いしたいと思います

五十嵐祐子
————————————/


悲しみに中に
再び一筋の光

言葉にならぬ、
希望が私の胸に沸き起こってきました。


そして、
2017年6月。

3度目の秋田への旅で
私はとうとう夢を実現したのです。

憧れの人の工房で桶づくりをする私。

・憧れの工房で


ここは、
あの憧れの五十嵐さんの工房。

なぜ?

ご本人がいない今、

わたしがこうして
この場所で仕事をさせてもらえているのか???

不思議で仕方ありませんでした。

五十嵐さんの奥さんは、
本当に丁寧に細かく

桶作りのことを
私に教えてくれました。

こうして、

私の中で止まりかけていた時間
再び動き出したのです。

まだまだ駆け出しとは言え、
愛知の師匠の下で、少しずつ桶作りを積み重ねてきていたので

・これまでの自分のやり方と、
・憧れの五十嵐さんのやり方、

いったい何が
どう違ってあの「音」が生まれているのか?

感じられる感覚
すべてを研ぎ澄ましながら

大切な五十嵐さんの
「道具」も使わせてもらいながら、

この時、2台の桶を
完成させたのです。

この時完成させた2台の桶太鼓。


こうして
五十嵐さん奥さんのお陰で

とうとう、
念願だった五十嵐さんへの夢が

叶った瞬間でした。


秋田からの帰り道、
五十嵐さん奥さんから、

こんなお手紙をいただきました。

夢をかなえるということ、、、

--------------------/
夢を叶えるということは

自分が 自分として
生まれてきた目的を果たすことです。
---------------------/

人は、

何かその人にしかできない
役割を必ずもって

この世に生まれてくると言います。

「夢」っていうのは、

何かすごい事をすることでは決してなくって

夢を叶えるとは、

その人自身が
この世に生まれた役割をきちんと理解して、

その意味、目的を受け止め
行動しつづけること、、、

そう教えてくださいました。


そして、
五十嵐さんのお仏前には

笑顔のお写真とともに
こんなメッセージが今も、飾られています

--------------------/
伝え、

修得した技術を
広く役立てて欲しい、、、、

大空からありがとう。
-----------------------/

世のため、
人のために役立てる事。

人としてこの世に誕生し

自分自身の「夢」の先が
誰かの役に立てるようになる事。

それほど
幸せな人生ってありませんよね。

五十嵐さんと出会って、

私の人生は間違いなく大きく
変化しました。

「本物」のモノづくりの中には
「本物」の生き方がある。

「本物」とは、人の心に届くモノ。

・大切なのは「生き方」なんだ。



私が、

一番最初に五十嵐さん桶を見て
感じた「感動」というのは、

単に職人としての「技」ではなく、

そんな「生き方」にあったんだと
気付かされました。

だからこそ、
私は今、ハッキリと言えます。

「伝統」というのは、

こころ豊かに生きる
先人たちの知恵なんだと。

「伝統」
辞書を引けばそれは、

脈々と受け継がれるモノ、、、

と、あります。

脈々と受け継がれるモノには

やっぱり受け継がれるべくして
受け継がれる「理由」があるんです。

大切なモノは残されるし、

そうでないモノは
残されない、、、

モノも、人の生き方も同じ。

今、私の桶作りの道具は

すべて
大切な五十嵐さんの「形見」として
受け継がせてもらったモノたちばかりなのです。

五十嵐さんの大切な形見


大切なモノは残されるし、

そうでないモノは
残されない。

本当に「大切なモノ」
一体なんなのか???

それを、きちんと考え

理解して、
自分自身の人生の延長線上に「夢」をのせて生きる。

たった一人の人の人生
生き方、生き様が

私にこれほどまで
多くの事を教えてくれました。

三浦さんにバトンを渡します。

こうして、
渡されたバトン。


五十嵐さんから受け取ったバトンですから、

今度は私も、
次につなげられる

そんな「生き方」をしていきたい。


五十嵐さん、、


心からありがとう。


まだまだ憧れの背中は遠いようです。


令和四年五月吉日
株式会社 三浦太鼓店
六代目彌市


・あとがき

物語りを最後まで読んでいただき
本当にありがとうございます。

私は、先祖代々
伝統を受け継ぐ、三浦太鼓店の六代目として
この世に生を授かりました。

現代社会、
今に生きる我々にとって「伝統」というのは

少し縁遠く感じてしまいがちですが、

時代が大きく変わる時だからこそ、
先人たちの「生き方」、「生き様」の中に

豊かさのヒントが隠されている。
私はそう思っています。


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