【書評】数学が結ぶ粘菌とバルセロナ(デイヴィッド・サンプター(2017,原著2016)『サッカーマティクス 数学が解明する強豪チーム「勝利の方程式」』千葉敏生訳,光文社.)

はじめに

 twitter上で誰かが紹介していたのをきっかけに読んでみました。つい先ほどスポーツアナリストで有名な河野大地さんも"聖典"として、さらにサッカー本大賞2018の優秀作品にも挙げられた本です。

数学者の著者

 著者はデイヴィッド・サンプター(David Sumpter)、ロンドン生まれ、スコットランド育ちの数学者です。現在はスウェーデンのウプサラ大学で応用数学を教えています。「あなたの数学観とサッカー観の両方を一変させること(24)」という目的で本書を書いたそうです。

粘菌とバルセロナをつなぐシステム思考

この「チーム全体が部分の総和を上回る」という概念こそが、サッカーを数学的なスポーツにする。[…略…]アリと粘菌も、全体が部分の総和を上回るという特徴を持っていて、サッカーについて考えるヒントを与えてくれる。(12-13)

 この本の根幹にある「チーム全体が部分の総和を上回る」という考えは、近年のサッカー界の潮流です。以前紹介した戸田さんも「サッカーというスポーツはチームあってのもので、ひとりの選手に注目するだけでは、本当の魅力は伝えきれない。(引用元:戸田和幸(2018)『解説者の流儀』,pp.27-28)」と述べていたように、いかにサッカーの全体像を捉えるか、これが今のサッカー界に求められていることです。それはサッカーに限らず学術界にも当てはまるようで、本書ではロンドン生まれの数学者が研究をサッカーに応用してその問いに答えるために、粘菌とバルセロナの共通点を取り上げています。

システムは、部分の総和以上のものです。その挙動は、適応的で、ダイナミックで、目標追求型で、自己保全的なもので、進化的な動きを見せることもあるでしょう。(ドネラ・H・メドウズ(2015)『世界はシステムで動く:いま起きていることの本質を掴む考え方』,p.34.)

 こうした問題意識に早くから着目していたのが生物物理学者のドネラ・メドウズで、彼女は「システム思考」を主張していました。詳しくは以前著作を紹介していますのでそちらをご覧ください
 サッカーをシステムとして捉えて数学的にモデル化すると、アリや粘菌との共通点を見出し、分析することが可能になっています。「footballista」の2018年12月号で取り上げられたエコロジカル・トレーニングではサッカーを生態学の観点から考えていましたが、おそらくこの背景には数学によるモデル化があるのだと思います。

部分を全体に繋げる構造

 システムを考える上で必要なのが「要素」と「相互のつながり」と「機能(目的)」です(ドネラ(2015),p.32.)。このうちの「相互のつながり」についてバッタの研究を挙げています。研究について詳しくは本書をご覧ください。

個々のバッタは主に数センチ先のバッタの動きに反応しているにすぎない。タマーシュのモデルは、動く方向を指示する外的なシグナルがなくても、こうしたバッタの大群が生じうる仕組みを説明している。バッタは風や太陽に従う必要などない。局所的な相互作用だけで、すべてのバッタが同じ方向に進めるのだ。(246)

 この前提にあるのが、「集団をつくる個体どうしの反復的な相互作用が社会的な集団行動を生み出すことを説明するのに用いられる生物学的モデルを取り入れることは、チーム・パフォーマンスの分析に役立つ(235)」、つまり全体の動きを部分の動きの反復的な相互作用によって分析しようという著者の考えがあります。そしてこの考えの根拠は、個体は全体を瞬時に把握できないということです。

サッカー選手はピッチ上の変化にすばやく反応することはできても、チーム全体の正確な配置を計画できるわけではない。オフサイド・トラップを仕掛けようとしているとき、ディフェンダーは仲間や相手側のフォワード選手を注視する必要があるが、22人全員とボールの位置を把握することは不可能だ。(73-74)

 もちろんバッタの例は単純なモデルです。しかし全体のシステムを機能させるために、局所的な関係をデザインして、それを全体に有機的に関連づけることは可能ということです。つまり全体の理解がなくとも、認識すべきポイントさえ各選手が理解しておけばチームは機能する、ということを示唆しています。「優秀な監督は、チームのためにプレイすることが自分自身のためになるような構造をつく(206)」り、そして「チームワークは、周囲の選手の動きをしっかりと把握できるかどうかにかかっている(247)」のです。

データとの向き合い方

数学や科学をサッカーと融合するには、繊細なバランス感覚が必要だ。そして、私たちは今ようやくそのバランスを理解しはじめているにすぎないのだ。(130)

 一方で統計データに盲信するのではなく、バランスが重要だと主張しています。ここでいうバランス感覚は、最近よく言われる美意識とかアーティスト感覚に近いのでしょう(たとえば経済学者松島斉の『ゲーム理論はアート』)。こう指摘する理由は、選手たちが予想外で驚異的なプレーを時々見せてくれるからです。そのためサンプターはデータを見ることは「天気予報を見るのと似ている(101)」と表現しています。
 そして最後には論理で説明できない部分があるとの見解を示し、その部分は運と魔法という言葉で補っています。

選手がピッチ上の上で取る動きは、これからも運、構造、魔法のユニークな組み合わせでありつづけるだろう。この3つの組み合わせこそが、サッカーのサッカーたるゆえんなのだから。(142)

 その限界を日々拡張していくの研究者だからこそ、データの限界がわかるのでしょう。とはいえこの辺りの感覚は立場によって変わると思うので、さまざまな意見を比べてみたいですね。

おわりに

 数学でサッカーのさまざまな事象を解明しています。たとえばイブラヒモビッチのオーバーヘッドの凄さや、バルセロナと粘菌の関係、勝ち点を3にしたことによるサッカーの変化など。この辺りは書評で紹介するには図表が多すぎてカットしましたが、どれも興味深かったのでぜひ手にとってみてください。


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文系大学院で浮世から離れて文化とは何かを考える日々、に戻りたいと思う毎日。 #川崎フロンターレ #サッカーを文化に。 twitter:@frontale_foot6
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