ADHDとの出会い。
ジムに通い始め、筋肉痛の日が続いてるしょーまです。
さて、皆さんこんな言葉をご存知でしょうか?
ADHD
HSP
何か見たことあるような、聞いたことあるような...。
そうなんです、私はこの二つの特性があるのかなと、自分自身で感じています。(あくまで医学的に診断されたわけではありません。)
そもそもいったいこの言葉はなんぞやという方に、wikiを載せておきます。
注意欠如・多動症(ADHD)とは、年齢あるいは発達に不相応に、不注意、落ちつきのなさ、衝動性などの問題が、生活や学業に悪影響を及ぼしており、その状態が6ヶ月以上持続していることと定義されています。 脳機能の発達や成熟に偏りが生じた結果と考えられていますが、その原因はまだよくわかっていません。
ハイリー・センシティブ・パーソン(英: Highly sensitive person, HSP)とは、生得的な特性として、高度な感覚処理感受性(あるいは生得的感受性[1][2])を持つ人のこと。テッド・ゼフの著書「The Highly Sensitive Person's Companion」による定義では「産まれたときから幼少期に渡り説明のつかない体験を繰り返し、HSPではなく生まれた人より五感が鋭く、精密な中枢神経系を持ち、良い刺激にも、悪い刺激にも強く反応する感受性の強い人達」[3]とされる。
つまるところ、ADHDは不注意、落ちつきのなさ、衝動性があり、HSPは、感受性が豊か過ぎるということですね。
この言葉に出会う前の私は、ほんとにこの言葉そのものでした。
大学の時が一番辛かったですね。
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私は、大学まで何となく生きてきたと感じていました。
このままじゃ、社会人になったら苦労する!
そう感じた為、大学で一番辛いと言われているゼミへ入りました。
そこでは、プレゼンを毎週毎やり、常に調べ物をしないといけないゼミでした。
また、4年生になる頃には、自分の一つテーマを設けて、そのテーマを徹底的に調べ上げる”輪講”というものをやりました。
この輪講で自分は挫折をしました。
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周りは皆いわゆる”できる人”の集まりですので、当然何となく生きてきた自分とは比べても似つかないほど差はありました。
ですが、今まで通り私は”何とかなる”精神でやってました。
ですが世の中はそう甘くはありませんでした。
比較癖がある私は、周りと常に比較していました。
ゼミでも同じです。
ふと感じたことがありました。
それは、
周りがやっていることは簡単と感じるのだが、自分にはできないということ。
私は今まで、あいつがやってできるなら俺にもできる!
そう感じながら生きてきました。
なので、ゼミでも同じく周りの人達ができることなら俺にもできるとやってみるのですが、なぜか”自分だけ”できていない感覚に陥りました。
例えば、論文の添削を依頼する時、誤字脱字が周りの人より多かったり、自分の名前を書いていなかったり、指摘されたことを忘れて同じことを注意されたり。
これって今思えば”ADHDの不注意”にあたる行動ですよね。
そうやって”自分だけできない”、”周りの人より劣っているんだ”と自分で自分を責め続け結果的に鬱っぽくなってしまいました。
だんだんゼミにも行かなくなり、言い訳をし始め、結果的に辞めてしまいました。
今でも後悔はありますが、自分の体のことを思うと合っていなかったのだろうと思っています。
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精神科にも行ったりしましたが、ADHDとは診断されず、誰にでもあると言われました。
誰にでもある
ADHDではない
私はその言葉を信じていません。
腰を浅くして椅子に座り、話し方もカジュアルで、そんな先生の言うことなんて信用できないですよ。
なので、私はADHDではなくとも、特性はあるのだろう!そう捉えています。
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今では、自分でそう認められたからこそ、受け入れ対策しながら生きています。
それからというものの凄く生きやすくなりました!
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きっと周りと比較して、自分だけなんかおかしいなと感じている人もいるかと思います。
その気持ちとても分かります。
周りと比較するなとは言えません。(きっと出来ないと思うので)
ですが、一歩一歩でいいんです。
ゆっくり前に進みましょう。
私も一緒にこの人生を楽しみたいと思います。
あなたもあなたらしく楽しい人生にしませんか?
意外と長くなってしまったので、HSPのことは次回にしたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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