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サッカー! サッカー! サッカー!

ボクシング、車椅子ラグビー、フィギュアスケート。私には、観戦専門の大好きなスポーツがいくつかある。
いちばん長いのが、実はボクシング。そして、二番目に長く観てきた競技がサッカーだ。
Jリーグが始まった、1993年からなので、実に四半世紀以上ということになる。

初めてサッカーの試合を観たのは、日本初のプロサッカーリーグということで、嵐のようなJリーグブームが巻き起こった、その年の春のことだ。
そんなに面白いものなら見てみようと、一人暮らしをしていた小さなアパートの、14inchのテレビで観た、ヴェルディ川崎VS浦和レッズの試合。
当時のヴェルディは、三浦知良や武田修宏など、綺羅星のごとく輝くスター選手をずらりと揃え、人気も順位もぶっちぎりのトップに君臨していた。
一方のレッズは、福田正博や柱谷幸一などの有名選手はいたものの、ほとんど勝てずにぶっちぎりの最下位。今思い返すと嘘のようだ。
当然、私が見たその試合も、ヴェルディがレッズに襲いかかる、一方的な展開。緑色に輝く選手たちが、何度も何度もレッズのゴールにシュートを放っていた。
けれど、サッカーを知らない私が惹かれたのは、ヴェルディのスター選手たちではなかった。
そのシュートを体を張って止めまくる、レッズのゴールキーパーのプレイだったのだ。
そのキーパーは、2点は奪われたものの、その何倍もナイスセーブを連発して、ゴールに鍵をかけていた。その姿が、とにかくカッコよくて、カッコよくて仕方なかった。
「そのキーパー」とは、現在、横浜FCで指導者を務めていらっしゃる、田北雄気コーチのことだ。彼のセーブにすっかり魅せられた私は、この試合だけで「サッカーはゴールキーパーが最高」という、もしかしたら少数派な価値観を、がっちりと握りしめた。

私のスタート地点はそこだったが、当時はテレビでも中継を流していたので、レッズの試合ではなくても、サッカーをしばしば観るようになった。
キーパー至上主義は今でも変わらないが、何度も試合を眺めていると、フィールドを駆け回る選手達の魅力も、少しずつわかってきた。
フォワードは点取り屋、ボランチは司令塔・・・そんな基本的なところから始まっても、何度も観戦するうちに、ボールを持っていない選手の動きや、駆け引きが見えてくるものだ。
やがて、最初はプラチナチケットだったJリーグに、そこまでの熱がなくなってくると、スタジアムにも足を運べるようになった。
現場には勿論、解説などないけれど、サポーターの熱い歌声やコールがこだまする会場は、異次元空間だと思った。ボールの動きひとつで、時には何千のため息が渦巻き、時には歓喜の叫びが地鳴りのように空気を震わせる。この世界を体感してしまったら、次の生観戦を求めずにはいられない。
また、その頃は日本代表も楽しかった。今では海外組の選手ばかりになってしまい、遠い存在のようだが、当時はJリーガーが殆どだった。いつも見ている選手達が日の丸をつけている姿を、本当に身近に感じられたものだ。
その頃の私は、みんなが知っているトップチーム、トッププレイヤーを見ているのが楽しかった。

そんな私の見方が、少しづつ変わっていったのは、1999年にJ2リーグが始まったことがきっかけだった。
今ではJ2も強く、J1のチームもそう簡単には勝てないが、創成期のJ2は実に弱く、実に貧乏で、そして知名度も注目度も実に低かった。
(但し、1年で昇格した浦和レッズを除く)
最初の年の天皇杯で、モンテディオ山形がベスト8まで勝ち上がり、話題になるまで、私はJ2という存在を知らなかったほどだ。
翌年、浦和レッズが降格したことと、水戸ホーリーホックが参入したことで、私はよくJ2を観るようになった。
弱くて貧乏で、知名度も注目度も低かったかつてのJ2には、同じリーグで戦う同志という、全体的な仲間意識があったものだ。
今も一部に残っているかもしれないが、試合開始前、お互いのチームにコールを送り合う光景が、J2のスタジアムでは当たり前に見られた。それも、お互いのチーム名だけでなく、その後に掛け合い漫才のようなコール合戦が続く。
道ですれ違うサポーター同士も、お互いに挨拶をしたりと、リーグ全体が暖かい雰囲気をまとっていた。
そして、気がつくと私は、J2ばかり観るようになっていたのだ。
当時はネット配信など、夢の世界にさえなかったので、CS放送や水戸ホーリーホックのホームで、よくJ2を楽しんだ。そして時々、個性的な選手が多かった、モンテディオの試合を山形まで観に行ったものだ。
低身長ながら垂直跳びで1m近く飛び、ヘディングで点を取りまくっていた、フォワードの根本亮助。
自陣の端から敵陣の端まで、ドリブルで一気にフィールドを駆け上がり、サポーターを沸かせるサイドバックの太田雅之。
誰が見ても司令塔とわかる、クレバーなミッドフィールダーの高橋健二。
そして、いるだけで頼もしかった守りの要、渡辺匠。
今思い返しても、素晴らしい選手がたくさんいた。

やがてJ2もチーム数が増え、それに伴って、知名度も注目度も少しづつ上がり、資金力もついていった。かつては珍しかった、専用の練習場やクラブハウスを持つことも、今では当たり前だ。
J1に勝てば、下克上だと騒がれていたJ2は強くなり、J1のチームがJ2との試合に、戦力を落として臨もうものなら、叩きのめされることが増えた。そして、昇格争いはとても熾烈に、とても面白くなっていったのだ。
しかし、昔のようなJ2全体の仲間意識や、暖かい雰囲気は失われてしまった。それだけは、仕方ないのだろうけれど、とても残念だ。

更に時は流れて、2016年。
私の地元に生まれた、「いわきFC」というチームが、本格的に、そして大々的に始動した。
(それ以前から足跡はあるのだが、株式会社ドームの子会社が運営母体となったことで、この年からチームが大きく動きだした)
それまで私にとって、サッカーというのは「他の街にある、お気に入りのチームを応援する」ものだった。
しかし!
今は、自分が暮らす街に、存在感の大きなクラブチームがある、その幸せを満喫している。
いわきFCについては、別に語る機会を作らせていただきたいが、テナントを一体にしたクラブハウスを建てたり、「筋肉」がチームの代名詞になるほど選手を鍛え上げたり、スポーツイベントやスクールで市民まで鍛えたりと、なかなか個性的なことをしているのだ。
私も、テナントの英会話スクールやレストランを利用したり、ヨガやサーキットトレーニングに参加したりと、サッカー以外のいわきFCも楽しんでいる。
勿論、最も面白いのはサッカーそのもの。チームは福島県、そして東北の社会人サッカーリーグを最短で駆け上がり、現在はJリーグの1つ下部の、日本フットボールリーグ(通称JFL)で奮闘中だ。
コロナ禍でいろいろな制限を受けてはいるが、クラブとサポーターが目指す、当面の目標はJ3昇格。自分のベースタウンからJリーグのチームが出るなんて、まだ上手に想像できないが、その日はきっとすぐそこまで来ている。
そして「WALK TO THE DREAM」をスローガンに掲げるこのチームは、きっと、もっと高い所へ登っていくだろう。その歩みを、愛する地元で見ることができる幸運に、いちサポーターとして、心から強く感謝している。

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