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オーバーステイの代償 Chapter 3 自費出国 サリダ・ボルンタリオ

留置施設への入所手続きが済むと、個室を与えられた。2名部屋だ。俺は看守に案内され、個室に移動した。そこにはすでにベネズエラ人の男がいて、彼はミゲルという名前だった。話を聞くと、ベネズエラから陸路でアメリカに密入国しようとしたが、途中で捕まったとのこと。弟と二人で旅をしていて、二人ともこの施設に勾留されている。ミゲルはすでに1年以上ここに勾留されている。

俺はここに何日いなけりゃいけないんだ?そう考えるようになった。何年もこんなところにいるのはごめんだった。当初数日程度で釈放されるのかと思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。俺はどうやったらここから出られるのか、他の囚人達に話を聞くことにした。数日後、勾留所生活に慣れてきた頃、どうすれば出れるのかがわかった。

サリダ・ボルンタリオ(Salida Voluntario)。自己的に出国すること、だ。俺は早速看守を通じて、移民局のオフィサーとの面談にこぎつけた。面談では、取り上げられていた財布を渡され、電話で指定された日に日本行きの飛行機を手配した。留置所に入ってから、3週間後だ。

日本に帰国する手配を終えた後、留置所では暇な時間との戦いだ。基本的に何もやることがないので、他の囚人達と話をして過ごすことが多かった。
俺が居た区域には、おかまの囚人が何人かいた。そのうちの一人は、俺に好意を持っているように思った。優しくていいやつだった。彼の名前は忘れたが、彼は俺のことをジャパンと呼んだ。3週間の留置所生活では、囚人達は俺のことをジャパンと呼ぶようになっていた。

通常、アメリカの留置所や刑務所などでは、同じ人種同士で行動し、同じ人種のコミュニティに入るのが常識だ。メキシカン達はギャングの連中とそうじゃないグループに分かれていた。ギャングはスレニョス(Surenos)、ノンギャングはパイサ(Paisa)と言っていた。スレニョスとは英語でサウスサイダース。SUR13、正真正銘の青ギャングだ。パイサは同胞というニュアンスらしい。スレニョスの連中は、目つきがギャングのそれで、彼らはあまり他の囚人達とつるんだりしない。俺はトラブルを避けるために、スレニョスの連中に話しかけたり、目を合わせるような事はしなかった。
そこに日本人は俺しかいなかった為、俺はいろんな囚人と仲良くなった。留置所でも俺は、その場所の慣例やルールの外側にいる気がした。同じ人種と連まないといけないルールは、俺には当てはまらなかった。

留置所を出る日の前夜、俺は一人のメキシコ人に呼ばれた。彼はオレンジ色の囚人服だった。俺がいた留置所では、水色、オレンジ、赤の囚人服があり、囚人の危険度や犯した罪の程度によって、囚人服の色と、留置所ないの配置区域を分けている。オレンジ色の彼は、おそらく麻薬売買と入管法両方において、何らかの罪を犯して、ここにいる。彼の年齢は40代と言ったところだろう。当時26歳だった俺にとっては、年長者という感じだった。
彼は俺に家族との写真や、手紙などを見せてくれた。何年勾留されていて、どこから移動してきたのか等、色々教えてくれた。刑務所や留置所で個人的な写真や物語を他人に教えることは、リスクだ。普通はそんなことはしない。俺が翌日退所するので、俺にその話をしても大丈夫だと判断したのだろう。彼はもう何年も勾留されていて、いつ出られるかもわからない。みんな心を開ける相手に飢えている。そんな気がした。

退所当日の朝、夜明け前に起こされた。迎えに来た看守は、微笑んで俺にこう言った "You are leaving us today" 「今日はここを去る日だよ」

看守に案内され、また水槽のような部屋に入れられた。そこでは没収されていた持ち物を全て渡され、自分の服に着替えるように指示された。衣類は全て選択され、くしゃくしゃのまま透明のビニール袋に入れられていた。カリフォルニアの運転免許証等、その他のアメリカ国内で有効な証明書等は、全て没収されていた。

留置所の外には空港行きの車が用意されていて、その車には運転手の男と、制服を着た移民局のオフィサーが乗っていた。俺は背面で手錠をかけられ、後部座席に座るように指示された。制服のオフィサーはさらに手錠と後部座席を固定した。俺が空港に向かう途中に逃走しないようにする為だ。車にはもう一人の乗客がいた。韓国人の女の子だった。彼女は、メキシコ経由でポイェロと一緒にアメリカに密入国しようとしたところ、捕まったらしい。年齢は20代くらいで、一般的な女の子といった風貌だった。

何語で彼女と話したのかは覚えていない。少し日本語が通じたのかもしれない。間違いないのは、彼女は俺より罪が重い。密入国をしようとしたからだ。世の中上には上がいるし、信じられない事が起こっている。俺と韓国人の女を乗せた車は、サンディエゴから、LAX(ロスアンゼルス国際空港)に向かった。確か私語は慎むように指示されていたため、俺と韓国人の女はその後言葉を交わす事はなかった。

LAXに到着すると、制服のオフィサーが手錠を外してくれた。車を降りると、オフィサーにエスコートされ、俺は成田行きのUnited航空のゲートに直行した。出国手続きもセキュリティチェックも全部スキップした。搭乗口ゲートに到着すると、オフィサーは俺のパスポートをキャビンアテンダントに預けた。俺が変なきを起こして、バックれないようにする為だ。当然そんな気は全くなかった。

飛行機に乗り込み、座席に座ると、日本人の女性がフライトアテンダントに何か聞いていた。座席に充電用のコンセントがないか聞いていたのだ。
2007年の時点で、飛行機の座席に充電用のコンセントが付いている機体は少なかったはずだ。フライトアテンダントは、座席に充電用コンセントがないと言った。それに対して日本人女性は、ANAの飛行機にはついてるんだけどね、と答えた。日本の航空会社はUnitedよりすごいんだぞ、とでも言いたかったのだろうか。フライトアテンダントは苦笑いをしていた。

続く




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