私の音楽物語
この記事は、「私の音楽の四方山話」(1)~(3)を一つにまとめたものです 。すでに記事を読まれた方はスルーしてください。
私が音楽に目覚めたのは、小学生の頃 に兄のステレオで聴いたボビー・ソロの「君に涙とほほえみを」 聴いてからだったと思います。「セ ピアンジ ア モーレ イオ ピアンゴ コンテ・・・」 甘くて震えるような歌声に惹かれて歌が好きになりました。小学生の頃はボーイソプラノでよく歌っていて、白黒のテレビで見た「ウィーン少年合唱団」に憧れていましたが、変声期を迎えた中学生の頃は天文の方に興味が移り、音楽への関心は薄れていきました。
しかし、高校生になってから、フォークギターが天体望遠鏡に取って代わりました。フォークソング全盛期で吉田拓郎に憧れたからです。「青春の詩」や「人間なんて」の世界観が好きでした。ギターのレベルはコードが弾けるレベルで止まってしまいましたが、これが後の教師の仕事に役立つとは思ってもみませんでした。
洋楽では、ニルソンの「Without You」。ワムの「Freedom」、「Last Christmas」。そして、「Mrs.Robinson」のサイモン&ガーファンクル。 ビートルズはほとんど聴かず、完全なS&Graf派でした。
この他に、よく聴いたのは、 カーペンターズです。カレンの歌声は音圧が一定で低音域に包み込まれる優しさと艶やかさがあり、リズム感や安定感も抜群で聴衆をリラックスさせる力を持っていました。類まれな才能(タレント)と共に旅立ったカレン。残念と言う外ありません。
カーペンターズと関わりの深かったのが バート・バカラックです。 メロディックで斬新なアレンジの バカラックの演奏を聴くようになってから器楽演奏に興味を持つようになり、一番心惹かれたのは、ビッグ・バンドでした。
BUDDY DE FRANCO 率いるグレン・ミラーオーケストラの ロンドンロイヤルフェスティバルホールでのライブ版は ミラー最高の演奏です 。これ以上の演奏はもう出てこないでしょう。
他に、ビリーヴォーンオーケストラ、 thad Jones mel Lewis &The Jazz Orchestra、 カウントベイシー 、デュークエリントン 、ベニーグッドマン、ウディ・ハーマン、トミー・ドーシー、バディ・リッチ、スタン・ケントン、ルイ・ベルソンなどを聴きました。
聴き続けていくうちに沸き上がってくるのが楽器への興味です。 グレン・ミラーサウンドの特徴はクラリネットとサックスのハーモニーにあります。私は音色でサックスを選びました。思い立ったらやらないと気が済まない性分なので、楽器屋さんに乗り込んで、テナーサックスを買ってしまいました。教師になる前は会社勤めをしていたので、会社の寮にあった小さめの体育館で、早速、音出しをしてみました。すると、フオー、フオー、と息が漏れるだけで、テナーサックスのあの重厚な音が出ないのです。「嗚呼、やってしまった😵💧」と思いました。
テナーサックスの続きの話ですが、結論から言うと、やめました。今も全然吹けません。楽器店に寄ると、ついついサックスを見てしまいます。サックスは姿がなんといっても美しいし、音色も色気があって魅力的です。それなのに何でやめたか、と言うと、ちょうど、進路変更の時期と重なってしまったからです。
私は2年間勤めた会社を辞めることにしました。次のステップの準備のため、テナーサックスはあきらめ、売却しました。
それから何年かは学生とバイトの生活で忙しく、音楽とは無縁でした。
そんな中、暮れも押し迫る、ある日のこと、いつものようにバイトに励んでいたら、第九が聞こえてきました。そしたら無性に第九が聴きたくなって、テナーサックスの時と同じように、バイトを早々と切り上げて、新宿厚生年金会館に乗り込んでいました。
第九はオーケストラの稼ぎ頭ですから、年末は、ほぼ毎日、公演があります。でも、公演はあってもチケットがあるとは限りません。ご多分に漏れず、当日券もキャンセル待ちの状態でした。
ここのまま帰るのも癪だったので、当日券売り場に並びました。程なくして、一人の男性が私に近付いて来て、こう言いました。
「1枚チケットがあります。良かったら譲ります。どうですか?」
この男性は、いわゆるダフ屋ではなく、正規の値段で譲ってくれました。どうしても聴きたかった第九。果たして私の期待に応えてくれるのでしょうか?
その心配は杞憂に終わりました。
指揮は、NHK交響楽団名誉指揮者のオトマール・スウィトナー。オーケストラを生で聴く初めての体験でした。これを境に好きが高じて、毎年、第九をはしごするようになりました。
私の性分からいっても、第九だけで満足するはずがありません。東京文化会館にはよく通いました。長い間、東京交響楽団の年間会員にもなりました。東京交響楽団の演奏は音楽に真摯に向き合う姿勢が常にあり聴衆の期待を裏切ることがありませんでした。
演奏を聴き続けるうちに沸き上がってくるのが、楽器への興味です。勿論、それはオーケストラで使われる楽器です。そこで、私が一番最初に思いついたのはサックスでした。でも、オーケストラでサックスが使われるのは、ドビュッシー以降の曲からなので活躍する場はほとんどありません。熟考の末、私が出した結論はバイオリンでした。この後、「嗚呼、やってしまった😵💧」と思い知らされることになることも知らずに。
取り敢えず、初心者用のバイオリンと弓を買いました。次は先生探しです。最初に習った先生は年配の方で、ひたすらボーイングだけをやらされ、曲はやらないまま、結局、半年で辞めてしまいました。今思えば、あれは愚かな選択でした。バイオリンの場合、音楽を創るのは、右手のボーイングだからです。
この半年で バイオリンのとっつきにくさがよくわかりました 。バイオリンの構え方からして 超不自然。体にマッチしていないので、ヘタをすると体を痛めてしまう 可能性があります 。 こんな楽器、ほかにあるでしょうか ?「嗚呼、やってしまった😵💧」と テナーサックス以上に 正直思いました。
あの先生には、右手ができたら、左手に行くという不文律があったと思います。 右手が完成していなければ 、未完成のピアノで曲を弾くようなものだからです。 生徒の心理としては 、それが未完成のピアノで あったとしても早く曲が弾きたい、 という強い欲求があります。 それが満たされないと私のように生徒はすぐ辞めていきます。 教える側にとっては悩ましいところです。でも、あの年配の先生は自分の信念を曲げませんでした。偉かったと思います。
このあと8人の先生に習いましたが 、上達のスピードは亀よりものろかった と思います 。 とにかく練習する時間がない のです。 サイレントバイオリンのない時代ですから 、毎日、次の日の授業の準備で帰りが遅く、 夜練習することはできません。練習できるのはせいぜい土曜日の午後ぐらいでした。 だから、私のバイオリン歴は全く当てになりません。
そんなとき、朗報が飛び込んできました 。週休2日制の導入です。これで丸々土曜日が練習に使える、とはしゃいでいたところ?
「 時を戻そう 」(ぺこぱ)
楽器の興味がサックスからバイオリンに変わったきっかけが第九だったのは間違いありませんが、私が好きな ベートーベン は交響曲第7番 イ長調作品92 です。 ドヴォルザークも新世界の交響曲第9番よりも第8番 ト長調作品88 の方が好きです。 私はどうも主役よりも脇役が好きになる傾向があるようで、昔からマイノリティと言われる所以です。
ごめんなさい。もう一つ好きな曲がありました。それは、ジャン・シベリウス交響曲第2番ニ長調作品43です。
オーケストラの生演奏は、前述のようにたくさん聴きましたが、強く印象に残っているのは、二つの演奏だけです。
演奏会 とは言えませんが、私にも発表会の場はありました。私の通っていた音楽教室は、毎年、「 リトルコンサート」を 開催していて、そこに大人の部もありました。私はあまり気乗りしませんでしたが、練習曲にアッコーライのバイオリン協奏曲第一番イ短調を先生に勧められて、曲が気に入ったので、発表会に出ることにしました。これを最後に教室を辞めようと決めていたので、真剣に練習に取り組みました。楽譜を貼った厚紙の裏に、モチベーションが下がらないようにするために練習した回数を記録するようにしました。その回数は2766です。この時はもう退職していたので、時間はたっぷりありました。
発表会の前にピアノの先生との音合わせの日が設けられていたのですが、体調不良で参加できなかったので、発表会当日、舞台で1回だけ合わせてもらいました。本番では、息が合わないところが1箇所ありましたが、後は私の息にピアノの先生が合わせてくださいました。曲は2部構成になっていて、1部は初め緊張していてミスがいくつかありましたが、2部からは、平常心で練習通りに弾くことができて、練習はウソをつかないと確信しました。
このコロナ禍で、私は2月からアンサンブル科を欠席しています。でも、辞めるつもりはありません。楽譜が定期的に送られて来るので、受講生の人たちと合奏しているつもりで、それらの曲を練習すると、つながっているような気がするからです。
コロナ禍が落ち着いたら、また、アンサンブル科の参加と近所の音楽教室の8番目の先生の個人レッスン受講も再開しようと思っています。何故なら、その先生は、私が5年生の時に担任した子の高校の恩師だったことが分かったからです。今、その子は、某プロオーケストラの団員として活躍しています。先生には、私がその子の担任だったことは、まだ伝えていません。世間は本当に狭いなぁ。
(See you)