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イイコト?

スペインに住んでいると、いろいろな日本との文化の違いに気づく。その一つが誕生日である。

僕は、人の誕生日を祝うのは好きだが、自分の誕生日を”祝って欲しくない”人間である。できればそっとしておいてほしい。もちろん、プレゼントをサプライズで貰ったり、誕生日飲みなど開かれると嬉しい気持ちもあるのだが、小っ恥ずかしいのである。できれば誕生日も普段と変わらぬ普通の日として通り過ぎていって欲しい。一方で、人から祝われたい側の人も世の中には大勢いることだろう。どう感じるかはその人によるものの、日本社会全体としてみれば、誕生日は”祝われる日”であると思ってきた。

しかし、一般的にこの国では誕生日は自ら”祝う日”のようである。職場にはケーキやワインを持参して同僚たちと祝う。自ら料理を用意して家で誕生日パーティー催したり、あるいはレストランを予約したりして、家族、友達や同僚を招待する。招待された人はプレゼントを贈る、という点については日本と同じなのだが、己の誕生日を自ら周囲の人にアピールするという点は明らかに僕の持っていた”日本の誕生日感”とは異なる(もしかするとそう感じているのは僕だけかもしれない...)。

どうして前もって誕生日を周囲に知らせ、職場や家、レストランで大々的にパーティーを自ら催すのか?

友達に理由を聞いてみたが、彼らにとっては”それが普通だから”、という答えしか返ってこなかった。逆に日本の”祝われるの待つ誕生日”は不自然だと言われた。おそらくこの”自ら祝う”と”人から祝われる”の感覚の違いは、宗教や歴史、思想の違いなどからくるものだとは思うのだが、どなたかこの違いが何に由来するのか知っておられたら是非とも教えて欲しい。

自分の性格と矛盾するようだが、この積極的に自らの誕生日祝って周りの人と共有するスタイルを僕は”なんかイイネ!”と思った。今も人から誕生日を祝われたい気持ちはないが、何かしら”自分にとって喜ばしい出来事”があれば、極めて個人的なことであってもその出来事あるいは喜ぶ気持ちを人と積極的に共有することは、日々の生活に変化を入れ、周囲の人々との関係性をよりよく構築する、という点において”イイコト”なのかもしれない。


職場で僕は自分の誕生日をいちいち言わない。言った覚えもない。ところが、どういうわけかカレンダーには”Kazu's birthday"と赤字で書かれていた。

秘書のクリスティーナは、

「今日はあなたの誕生日でしょ?ケーキはどこかしら?」

....まじか...  

彼女はグルテンにアレルギーがある。同僚のヴァネッサはラクトース不体耐症。したがって、ケーキの条件は”グルテンフリー/ラクトースフリー”でなければならない。その日僕は街のあらゆるケーキ屋さんを調べ上げ、ダブルフリーのパウンドケーキを売っている店を発見し、早速買いに行かされる羽目になった。


ケーキは意外と美味しかった。

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