カリーと哲学27
幸せ見つけました。
日々が毎日輝いてた子供時代。
パソコンもスマホも何もなかったけれど、有り余る時間と自然がありました。
兄弟と仲間で1日中飽きずに遊んでおりました。
少々無茶しようが、大人達も無駄に口出しせずに、見守ってくたのでしょうね。
特にスズメバチ退治が日課でありましたのですね。
農協の倉庫に巨大な巣を発見。
隊長のキッズのワタクシが、殺虫剤を噴射と同時にライターで点火。
火炎放射器にて殺処分するという(笑)
ややクレイジーでデンジャラスなプレイをしたり。
あと墓があると、とにかく倒すという、ただのばちかぶり(笑)
あと公園で巻きグソを完成するまで、帰宅を許さないという羞恥プレイ、、、
それを喜ぶ親戚。
謎に満ちた意味不明の日々でしたが、みんなどんだけ不思議な遊びを開発するシアワセな毎日でありました。
やがて股間に毛が生える年頃になりますと、
女の子のこと気にしだしたりする時期であります。
んでファミコンやエアジョーダンが欲しくなったり、久留米の一番街に洒落た服を探しに行ったり。(そもそも久留米に洒落た洋服屋なんてあったっけ笑)
ヤンキーに怯えながら福岡天神なるところに買い物に行ったり。
なーんだか世界が少しづつ広がり、自分自身と世界の関係性を知るにつれ、あの無邪気で有意義な日々が色褪せ、、、自分自身の事を
不幸なんではないか。
そう認識するようになった気がするのです。
不思議ですね。当時はテレビの全盛期であります。あとラジオに新聞に雑誌程度の情報しかなかったのですが。
色々世界が広がるにつれ、自分はどんどんと小さくなっていくと言う現象。
そう。他人との比較の始まりであります。
それは物質的にも精神的にもでありますね。
凄まじい欠乏感と無価値感。
意味のない日々がタダ眼の前に、永遠に続く無限地獄に感じておりました。
もしこれが現代であればどんだけ凄まじい状況か、想像するのはたやすいですね。
ニューヨークの五番街の艶やかなクリスマスであります。一方でヒマラヤのまだ電気も乏しい農家の少年が、一家一台のスマホでその風景を瞬時に知ることが出来るんですね。
この認識が良い方ばかりに向かうわけではありませんよね。
他人との比較。
そう。悪い方向に向かえばワタクシと同じであります。
比較地獄
やがてワタクシは、PUNKロックや文学や漫画に映画を知ることになり、世界はメチャクチャ広いけれども、ちょっとした世界のスキマに、自分の居場所がある事に気がつく訳であります。
そこからようやく、少しづつ世界をフラットに見ることが出来るようになった気がします。
んー。全くカリーが関係ない気がしてきた(笑)
いやいやカリーは凄いです。スパイスはスンゴイです。いやカリーを作る人が凄いんですが!
カリーを作る人達は、
無意識レベルでシアワセを知ってる人種だと信じております。
そして、、、
子供達であります!
子供達は凄いんであります!
付き合うのは、まあ、、シンドイ事も多いのですが、こんなに幸せに気付かされる存在はありませんヨ!!
カリーと哲学。
カリーと幸せについて考えてみようと思いまーす!
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