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【食レポ】大分名物 りゅうきゅう丼を食す

大分出張のランチは  (さすがに唐揚げはもう食べ飽きたとして…) 

いつも、とり天orりゅうきゅう丼という選択肢になる。

りゅうきゅう丼セット ¥1200
お刺身やいくらが輝いて宝石のようだ
豪快に混ぜ混ぜして食べるものらしい
いかにも漁師のまかない飯らしい男臭さがいい
今回は大分駅前の商店街にある「八條」さんにて

大分県は瀬戸内海に面して豊富な魚種に恵まれ、昔から漁業が盛んな地域。

九州にありながら、四国との距離が近く、例えば愛媛の八幡浜港から別府港まではフェリーで2時間半ほどだ。

一方で、別府から博多までは、山間部を貫くトンネルを潜って特急で2時間程度かかることを思えば、いかに四国との関係が緊密なのかが知れる。

トンネルが無かった時代は、海岸線沿いの道を牛車や馬車で、へーこらと歩いて交易をしなければならず、それはそれは大変な労力だったろう。

と、言うわけで大分は九州にあって、むしろ四国文化が根強いと言われている。

昔、百姓とは農民を指す言葉だと読み違えられたことから、日本人=農耕民族だとされてきたそうだが…

百姓とは「一般庶民」という程度の意味でしかなく、日本中には農民はもちろん、漁師や猟師もたくさんいたはずだ。

そして瀬戸内海一円は、古くは村上水軍でも知られる通り

海洋文化であり、海洋民族なのだ。

りゅうきゅう丼は、そんな海洋民族の漁師町にあって、漁師のまかない飯として、地元で親しまれてきたB級グルメである。

それにしても、大分なのに、なぜ「りゅうきゅう」なのか?

農林水産省HPによれば諸説あるそうで、

①大分の漁師が沖縄(琉球)の漁師に作り方を教わった説
②胡麻和えにする料理を「利休和え」と呼ぶことから派生した説

が有力なのだそうだが、①の沖縄の漁師には、生魚を食べる食文化はあったのだろうか?と素朴な疑問が沸く。

高温多湿の亜熱帯気候の沖縄で、魚を生で食そうと思えば、水揚げしてすぐにでも食べなければ傷んでしまうのではないか?

だから、鮮度を維持するための漬け(ズケ)なのか?

仮に漁師がまかない飯として生食していたなら、なぜ沖縄では庶民に定着しなかったのか?

これほどまでに、美味いのに!である

ボク的には②の利休和えから派生した説がしっくりとくる。

生魚の話ばかりになったが、りゅうきゅう丼を、りゅうきゅう丼たらしめているのは、やっぱりタレにあると思う。

九州の甘い醤油に酒、みりん、生姜をブレンドしたシンプルなタレに香ばしい胡麻を入れて食感にアクセントを加える。

魚の鮮度も相まって、甘辛いタレが絶妙にマッチしてご飯が進むのだ。

季節によって魚種が変わるのも魅力のひとつだろう。

だからこそ、たまに出張で行った際には、

「やっぱり、今回もりゅうきゅう丼にしよう!」

となるわけなのだ。


それにしても。

余談になるが、大分県は物価が安く、安くて美味いものがたくさんあるという印象が深い。

地元の人は、貧乏県だと言うけれど、飯は美味いし、温泉はたくさんあるし、海や山はキレイだし、オジサンにとっては魅力たっぷりな県だと思う。

引退後の移住先、選択肢のひとつにしたいのだ。


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