銀河フェニックス物語【出会い編】 第三十九話 決別の儀式 レースの前に まとめ読み版①
・銀河フェニックス物語 総目次
・<ハイスクール編>「花は咲き、花は散る」(1) ~(最終回)
・第三十八話 「運命の歯車が音を立てた」まとめ読み版① ②
突然、俺の前に姿を現したレイターが、思わぬことを口にした。
「S1に乗りたくなった。S1委員会に紹介状書いてくんねぇか」
俺はライネッツ・スチュワート。
S1チームのオーナーだ。
『銀河一の操縦士』のこいつをS1に誘って六年、ようやく乗る気になったか。
「無敗の貴公子に勝ちてぇんだ」
俺の目をまっすぐ見ながらレイターは言った。
先日、『無敗の貴公子』エース・ギリアムがS1を引退すると発表した。それが引き金か。
エースに勝つには今シーズン、しかもあとは最終戦しか残されていない。
ガレージには俺のほかにチーフメカニックのアラン・ガランがいた。
アラン・ガランは冷静にこたえた。
「お前の腕がいいことはわかっている。表彰台も狙える。だが、今のうちの船ではエースには勝てない」
「だよな。だから、用意してほしい船があるんだ」
面白い。
俺の中で緊張と期待が入り混じる。『銀河一の操縦士』であるこいつは一体どんな船を想定しているんだ?
戦闘機とか言い出しかねないな。俺の財力とコネクションで何とかなるものなのか?
「どんな船だ? 言ってみろ」
「ハール」
さらりとレイターが答えた。
「ハール?! あのギーラル社のか?」
俺とアラン・ガランは同時に叫んだ。
「レイター、お前、ここで冗談を言うか?」
ハールは燃費の良さだけが売りというギーラル社の小型船だ。発売当初は飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていたが、このところ船の不具合が続発して不人気船の一つだ。
レイターの顔は笑っているが、声は真面目だった。
「冗談じゃねぇよ。ハールの機体にメガマンモス社のS1エンジン積みてぇんだ」
アラン・ガランは机を叩いて叫んだ。
「できるわけないだろう! お前だって知ってるはずだ。ハールは無理に軽く製造してある。そもそも強度がS1の規定から外れているし、そんな船にメガマンモスの馬鹿みたいに馬力のあるS1エンジンを積んだら崩壊するぞ」
軽い機体とパワーのあるエンジン。速い飛ばしには最高の条件だ。
レイターのアイデアは面白い。
だが、ハールはS1はおろかスポーツ仕様ですらない。機体が持たんのは素人の俺でもわかる。
レイターはアラン・ガランを正面から見据えた。
「アラン・ガラン、あんたならできる。風の設計士団でリーダーだったあんたなら」
「なっ・・・」
アラン・ガランの細身の身体が固まった。
アラン・ガランは以前、宇宙船業界の最高峰と呼び声が高い『風の設計士団』にいた。アイデアと発想力は抜群だ。
レイターは情報通だ、アラン・ガランが『風の設計士団』にいたことをどこかから聞きつけたのだろう。
と思ったら、こいつは思わぬことを口にした。
「老師がよく言ってた、アラン・ガランはルーギアよりセンスがいいって」
アラン・ガランが驚いてレイターに詰め寄った。
「ど、どうして、そんなことをお前が知っているんだ?」
「俺、あんたが抜けた後、風の設計士団で飯炊きのバイトやってたんだ。あんたが出てってルーギアがチーフになったけど、あいつ独創性がなくって人のアイデアをパクるから、老師がぼやいてた」
老師は『風の設計士団』の創始者だ。
俺は驚いてレイターに聞いた。
「お前、風の設計士団にいたのか?」
「だから飯炊きのバイトだよ」
こいつには、いつもびっくりさせられる。
アラン・ガランの左足が貧乏ゆすりを始めた。考え始めた時の癖だ。老師の話を聞いて、やる気に火がついたな。
レイターが俺に言った。
「ハールは俺が調達する。結構、金がかかるがいいか?」
「金がかかる? いくらだ?」
不思議なことを言う。ハールは、そもそも低価格な上に、今さらに値下げしている。
「多分、あんたが乗ってる最高級船ぐらいで済むと思う」
ハールが五十台は買えそうな額だ。相変わらず面白い。
「わかったが、ぼったくるなよ」
「ああ、適正価格を請求するよ」
* *
一週間前のことだった。
レイターは、治療カプセルの中で目を覚ました。
ホストコンピューターのお袋さんが勝手なことをしやがって。
俺は、三日間丸々寝てたようだ。湿潤薬液ん中にいたから、背中のやけどは完治していた。
フェニックス号は二日前にデューガ星系からソラ星系に戻り、クライアントのベルさんは一人で下船していた。
ベルさんに悪いことした、謝んなくちゃな。と思いながら、お袋さんの情報ネットワークを立ち上げた俺は、しばらく頭が働かなかった。
俺が寝ている間に世の中が変わっていた。
エースとティリーさんの交際が記事になっていた。エースが会見で認めている。
仕方ねぇよな。
俺は、ティリーさんに自分で宣言したんだ。
「ティリーさんとつきあうつもりはねぇよ。自由でいたいんだ」と。
ティリーさんがほかの誰かとつきあうのを止める権利は俺には無い。
エースのことを「大好きです」と話すティリーさんの声が頭に張り付く。
ティリーさんがエースを好きなことは百も承知だろが。納得しろ。
身体の奥底から力がこみあげてくる。これは怒りか。
何に対して怒ってんだ俺は。
自分に言い聞かせる。
俺にはフローラがいる。それで十分だ。特定の彼女は作らねぇ主義なんだ。なんの問題もねぇ。
なのになぜだ。苛立ちが収まらねぇ。こんなことは初めてだ。
「うおぉぉぉぉりゃぁ」
俺は叫びながらフェニックス号の壁を殴った。
こんなことをしても自分のこぶしが潰れるだけだ。わかっているが止められねぇ。
もう一発殴ろうとしたところで、お袋さんが俺の腕を機械アームで強制的に押さえつけた。
「放せっ!」
自分を傷つけたい気分は久しぶりだ。
俺は肩で息をしながら考えた。
ティリーさんと決別するために、俺には儀式が必要だ。
そして、同じ記事はエースのS1引退を伝えていた。あと一か月か。わかっていたことだが、時間がねぇな。
S1に乗る。
『無敗の貴公子』をぶっつぶす。もう、これしかねぇ。これが俺の『銀河一の操縦士』の儀式だ。
* *
「ティリー、これを見てくれ」
エース専務がわたしに電子書類を渡した。
思わず書類をじっと見る。
レイターが来月のS1グランプリ最終戦終了まで、すべての仕事をキャンセルするという内容が書かれていた。
「一体どうして?」
契約上は違約金が発生する。レイターはお金にうるさいのに。
「君も何も聞いてないのかい?」
「ええ」
レイターとは一週間前、出張先のデューガ星系からの帰りに通信で話したのが最後だ。思い返したくないやりとり。胸の奥に痛みが走る。
「君と僕のことが報じられたから、うちの仕事はやりたくないということなのかな?」
先週、エースの熱愛報道が出た。驚くことに相手はわたし。
「レイターに直接聞いてみてくれないか」
エースもレイターの動きが気になっている。
「は、はい」
通信機のスイッチを前に躊躇した。
レイターとの最後の会話。「ティリーさんとつきあうつもりはねぇよ」と彼は言った。
ああ、わたしは失恋したんだな、と悟った直後、エースとわたしのことが思わぬ記事になり、エースがわたしに再度告白した。「僕は好きな人を幸せにしたい」と。
流れる時間に翻弄されている。
レイターと話がしたいのかしたくないのか、自分の気持ちがわからない。
これは業務だ。わたしはゆっくりと通信スイッチを押した。
呼び出し音が鳴る。
世の中の人はエースとわたしがつきあっていると思っているけれど、正確には交際していない。ただ、関係は一歩踏み込んだ。仕事が終わればプライベートの話もする友人に。
レイターにこの状況を、どう伝えればいいのだろう。
エースとつきあっているわけではないと、釈明した方がいいのだろうか。釈明? 何のために?
落ち着かないままモニターを見守る。
レイターは笑顔であらわれた。
「ティリーさんから連絡とは、嬉しいねぇ」
心がざわついた。気持ち悪いほど機嫌のいい顔。違和感を感じるほどの。
「あなたどうして、うちの会社の仕事をキャンセルしたの?」
「悪いな。守秘義務があって喋れねぇんだ」
守秘義務? お金儲けの話だろうか。
「でも、来週にはわかるから楽しみにしててくれよ。じゃな」
それだけ言うとレイターは、一方的に通信を切ってしまった。
せっかくの会話の機会は、あっという間に終わった。
そもそも業務連絡なのだ。
面倒な話をしなくてすんで助かった。と思う一方で、寂しさに襲われた。
レイターが「俺のティリーさん」とわたしをからかった日々が、遠い昔のようだ。
* *
スチュワートは感心していた。
レイターはクロノス社の仕事を休み、あれほど面倒くさいと言っていたレーシング免許を取りに出かけた。
俺の紹介状を持ってS1委員会へ出かけたあいつは、わずか三日でS1のライセンスを取得してきた。
まあ、銀河一の操縦士だからな。
規程やらのペーパーテストは満点、S1機を操る実技もパーフェクトだったらしい。本来S1に乗るには実績が必要だが、あいつが持っている限定解除免許と俺の紹介状ですんなりとライセンスがおりた。
S1に出られるのは一つのチームで二機までだ。
俺は、レイターと第一パイロットのコルバでいきたいと考えた。
それを聞きつけた、若い第二パイロットのチャーリーが怒って俺に突っかかってきた。
「スチュワートさん、納得いきません!」
まあそうだな。その気持ちはわかる。
レイターは時々うちのチームに出入りして、船をいじっていたから、チャーリーはレイターのことを腕のいいメカニックだと勘違いしていたようだ。
チャーリーが俺に文句を言っているところへ第一パイロットのコルバが近づいてきて言った。
「じゃあ、今回は僕が降りますよ」
その言葉がチャーリーの怒りに油を注いだ。
「どうしてコルバさんが降りるんですか。あいつ、レーシングライセンスも持っていなかった、って言うじゃないですか」
「だって、彼は銀河一の操縦士なんだ」
コルバとレイターは昔、同じ戦闘機チームに所属していたという。コルバは自分より年下のレイターの飛ばしに心酔している。何度も命を助けられたらしい。
チャーリーは納得できないと憤っている。
その時、俺は思いついた。
「そうだ、三機でレースをしよう。勝った奴を乗せる。それなら文句ないだろう」
レースと言っても三次元シミュレーターだ。うちはプライベーターだ。本物の機体を壊されてはたまらん。
S1最終戦のナセノミラのコースで三人を対戦させることにした。
船は公平を期すために三人とも同じクロノス社のプラッタに設定した。
これで無敗の貴公子のデータと比較できる。
「実機で叩きのめしてやりたかったけどね」
とチャーリーがレイターにけしかけた。
チャーリーは子どもの頃から、宇宙船レースのジュニアクラス選手権に出て、その世界ではいい成績を出していた。
十八歳になったチャーリーはS1に乗りたいと、俺に直接コンタクトしてきた。
ジュニアを出たら普通はS3から始めるが、こいつの眼中にはS1しかなかった。
飛ばしを見た。ムラはあるが速い。小さくまとまっているコルバの操縦とは対照的で面白い。俺はチャーリーをうちのS1レーサーとして雇った。
時にチャーリーは無敗の貴公子を追い込むまでに成長した。トータルの成績は第一パイロットのコルバより落ちるが、ルックスもいい。コルバより人気はある。
チャーリーはこの業界に長くいる。
だから、レーシングライセンスの重みをよくわかっている。ライセンスも実績もない無名のレーサーに席を取られるとあっては耐えられない、という気持ちは理解できた。
レイターはいつものように飄々としていた。
「悪いが、俺、ゲームも得意なんだぜ」
ナセノミラのコースを三十周する。
一周が二分。本物のレースと同じおよそ一時間の対決だ。
スターティンググリッドはくじで決めた。ポールポジションはチャーリー、その後ろにレイター、コルバの順となった。
俺のチームはみんな面白がって見にきた。何と言っても出場パイロットを決める戦いだ。
赤いスタートシグナルが消えて、三機は一気にスタートした。
俺が金をかけただけあって、この三次元シミュレーターはよくできている。ピット内のモニターとリンクしていて、我々は本物のレースを見ているようだ。
チーフメカニックのアラン・ガランは普段のレース同様に飛行データの取得を始めた。
面白い。
チャーリーがいつもよりガンガン飛ばしている。そこにレイターとコルバがきっちりとついていっている。
チャーリーはコーナーが得意だ。
電磁コーナーガード柵に触れないギリギリを狙って飛ばす度胸とテクニックを持っている。
宇宙船レースはガード柵に機体が触れると推力が落ちる。下手するとエンジンが停止する。そのすれすれの最短ラインを奪い合う。
チャーリーが小惑星帯をいつもより速いラップで駆け抜ける。
シミュレーターは事故で死ぬことは無いからな。思い切りがいい。
少しずつレイターが引き離される。
俺の予想と違うな。
銀河一の操縦士であるレイターがぶっちぎるかと思っていたが…。
さらに丁寧な飛ばしのコルバがレイターに追いついている。
コルバも普段よりいいタイムが出ている。
そして、三次元コーナーでコルバがレイターをアウトサイドから抜き二位に浮上した。
俺は驚いた。
これまでにコルバの練習相手として、レイターを本物のS1機に乗せて何度も対戦させている。銀河一の操縦士はコルバより圧倒的に上手いし速い。
レイターがコルバに負けたことはない。それどころか抜かせたことすらなかったのに。
どういうことだ?
レイターはゲームが苦手なのか?
違う。その時、俺は気が付いた。
レイターには多数機で戦った経験が無いんだ。
飛ばし屋のバトルは基本一対一だ。コルバとレイターを競わせた時もそうだ。
俺の知るところ、こいつは無敗の貴公子エース・ギリアムにもバトルで勝っている。だが、それも一対一でだ。
一方でS1の決勝は二十機で争う。盲点だった。
レイターは『無敗の貴公子』に勝ちたいと言っていた。
だが、S1の敵はエースだけじゃない。
S1レーサーたちは一人一人が魔物のような奴らだ。そいつら二十人とまとめて戦わなきゃならない。
*
ランキング二位のギーラル社のオクダは不運な男だ。
速いし勘もいい。才能もある。だが、デビュー戦から『無敗の貴公子』エース・ギリアムと一緒で準優勝しかしたことがない。
『無冠の飛行士』と揶揄されている。ライバルであるエースの最終戦では一矢報いようと必死に違いない。
続くベヘム社のレーサー二人は兄弟だ。
どちらか一人は表彰台に立たせようと、もう一機は妨害行為を取られてでもガードしてくる。別名『兄弟ウォール』。これはなかなか破れない。
時にはギーラルのオクダをブロックして二位にくい込む。
と、まあ、上位のワークスメンバーは常連だ。その後ろで万年六位の俺たちがしのぎを削っている。
*
最下位を飛ばすレイターはコルバを抜こうと追い越しをかけている。
が、コルバがきっちりとブロックする。再び二機が近づく。
危険アラームが鳴る。五秒以上は鳴らしたら失格だ。レイターが速度を落とす。
トップのチャーリーは快速に飛ばしている。後続のコルバとレイターを引き離しだした。
困ったな。俺の想定とは違うレース展開だ。俺はレイターを買いかぶりすぎていたのか?
レイターが最下位のままレースは後半へ突入した。
おい、レイターよ。無敗の貴公子に勝ちたいと言っていたが、それ以前に、S1出場をかけたこのゲームを制することができるのか?
*
S1は三十周飛ばす間に、十周目と二十周目でピットへ入りエネルギーチャージするのがセオリーだ。
昔の名残で給油と呼ばれている。
まもなく二十周目。
トップのチャーリーがピットに入る。続いてコルバがピットイン。
次は、レイターだ、と思ったら、レイターはピットを通り過ぎた。
見ている奴らがざわついた。あいつ、何考えている。
二機が給油中、レイターは一人で飛ばしている。
だが、あいつも次の周で給油しなければエネルギー切れを起こす。
給油を終えたチャーリーが飛び出し、続いてコルバがコースに戻った。
ほう。こいつは面白い。
レイターが一人で飛ばしているこの一周のタイム。誰にもブロックされないから最速だ。
二十一周目。レイターがピットに入る。
あいつは複数機での競り合いを避けて、単独のスピード勝負に出たわけか。
給油終了。レイターがピットレーンからコースに速攻で戻る。コルバの前に出た。
現時点で、二位。
さあ、レイター、次はどうするよ。
トップを行くチャーリーは無敗の貴公子より速いペースで飛ばしている。
もう、給油ポイントはない。船の性能は同じ。直線では抜けないからコーナーで抜くしかない。
だが、チャーリーはコーナーも小惑星帯も得意だ。簡単じゃないぞ。
残り一周。
レイターはチャーリーとの差を少しずつを縮めてきた。
だが、このペースでは勝てん。
ナセノミラのコースは最後が直線だ。直線手前の小惑星帯で抜く必要がある。
チャーリーが最後の小惑星帯に入った。レイターが続く。
チャーリーは最短のラインで小惑星をよけて飛んでいく。レイターがそれを丁寧になぞる。ぴったりとくっついた。本番のレースだったら危険な速度だ。きょうはシミュレーターだから安心して見ていられる。
ビービー。危険アラームが鳴る。
五秒鳴らしたら失格だ。鳴りやむ。
また鳴る。
鳴りやむ。
ビービー、ビービーとレイターの操縦にイライラさせられる。
決めるなら早く決めろ。何やってるんだ。抜けないのか。
もうすぐ小惑星帯が終わる。
レイターは一体どこで勝負をかける気だ? もう追い越しをかけるポイントはないぞ。
チャーリーが先に小惑星帯を抜けた。最終コーナーに入る。
後は直線だ。チャーリーは逃げ切った。勝負あったな。
と、思ったその時だった。
チャーリーの機体がカーブを回り切れずコーナーガードに激突。エンジンが止まった。
その脇をレイターがすり抜けていく。
最後の直線を全速で飛ばす。
レイターが一位でフィニッシュ。後続のコルバもチャーリーを抜いて二位でゴールした。
レース結果は俺が思った通りの順位となった。だが、釈然としない。
シミュレーター機から降りたチャーリーがレイターに怒鳴っていた。俺の気持ちを代弁していた。
「三十周のほとんどは俺が勝っていた」
「あん?」
「あの一瞬、あの一瞬だけ集中が途切れたんだ。あの最終コーナーさえ切り抜けていれば俺が勝っていた」
チャーリーが言っているのは負け惜しみだが、一理ある。チャーリーがあそこで事故を起こさなければレイターは負けていた。
「銀河一の操縦士だか知らないが、お前が速いから負けたわけじゃない。お前の運が良かっただけだ」
「運も実力のうちって、あんた知らねぇの」
レイターが肩をすくめた。
確かに運は大切だ。だが、それだけで勝てるほどS1は甘くない。
そこへ、コルバが割って入った。
「レイターは運がいいだけじゃない。チャーリー、君は最後事故をさせられたんだ」
珍しい。コルバの口調が強い。
「コルバさん、何を言ってるんですか?」
「僕は後ろから見ていたよ。小惑星帯でレイターはずっと君にプレッシャーをかけていた。このコースは小惑星帯のあとにコーナーがある。最後のコーナーは小惑星帯ほど急じゃない。だから、君は、小惑星帯を抜けて気が緩んだ。このコーナーがすっぽ抜けやすいことを失念した。今日はゲーム機でいつもより速度が出ていることを君は忘れていたんだ」
「……」
チャーリーが黙った。
「レイターは速いだけじゃないから、銀河一の操縦士なんだよ」
レイターが白い歯を見せて笑った。
「おい、コルバ。ほめても何もでねぇぞ」
不思議な関係だ。
コルバが十八歳の時、新兵として乗り込んだ戦艦で十二歳のレイターがバイトしていたという。だが、どう見てもレイターの方が先輩面している。
戦闘機乗りだったコルバはいつもレースを冷静に見ている。試合後の分析は的確だ。
レイターが速いだけじゃないということはわかった。しかし、敵は無敗の貴公子だ。チャーリーとは場数も違う。俺の不安は消えなかった。
俺はチーフメカニックのアラン・ガランに懸念を伝えた。
「お前、どう見る? レイターは一対一のバトルには強いが、複数の機体が飛ぶレースに慣れていないんじゃないか?」
アラン・ガランは今のデータを分析していた。
「そうですね。ここを見てください」
アラン・ガランが示したのは、レース中盤、レイターがコルバに抜かれた三次元ポイントのデータだった。
「わざとコルバに抜かれていますね」
「わざと?」
「おそらく、追い越しをかける練習をするためでしょう」
「練習だと」
「少しでも多数機のレースに慣れるように、コルバを兄弟ウォールに見立ててうまくライン取りしている」
「でも、抜けなかったわけだ」
「理由があります」
「理由?」
「こちらを見てください。三人のスピードをエースの速度と比較してみました」
無敗の貴公子の飛行データがオレンジのラインとなって現れた。
「チャーリーとコルバはエースを上回っているんですよ、ゲーム機ですから。でも、レイターはエースの速度とほぼ同じ。あいつはゲーム機じゃなく実機を想定して飛ばし、S1操縦の感覚を崩さなかった」
「ほう」
レイターの本気がわかった。すべての機会をS1レース本番と結びつけている。
「船で飛ばす以上の速度は、出せるけど出さない。だから、どう頑張っても二人を抜けないんですよ。その中で、勝つ策をひねり出した」
「面白いな」
「面白いです。レイターは多数機によるレースの経験は少ないのでしよう。けれど、コルバと同じ戦闘機乗りです。三百六十度、俯瞰で飛ばす技術を持っている。コース外から飛んでくる敵と戦っていた奴らですから」
「俺の見込みは間違っていなかった、ということだな」
少し安心する。
だが、アラン・ガランの表情は険しかった。
「問題は船です。レイターをクロノスのS1機に乗せればエースに勝つ可能性が十分あります。ですが、ハールでは…」
アラン・ガランは深いため息をついた。
クロノスのS1機は門外不出だ。俺がいくら金を積んでも買うことはできない。
* *
レイターは業界二位の宇宙船メーカー、ギーラル社のケバカーンと向かい合っていた。
こいつは、相変わらず目に痛いほど真っ赤な髪だな。魔法を使って船を売るというトップセールスマン。
「レイターさん、あなたから連絡だなんて珍しい。どうしましたか?」
俺に営業スマイルを見せる魔法使いに希望を伝える。
「あんたんとこのハールを買いたい」
「僕に連絡をしてくるということは、欲しいのは市販品じゃないんですね」
「ああ、実験機だ。ボリデン合金で作った奴があるだろ」
背の低いケバカーンは探るように俺を見上げた。
「レイターさん、あなた何をする気ですか?」
隠しておいても仕方がない。発表前だが俺は正直に答えた。
「S1の最終戦に出る」
「ほう。銀河一の操縦士であるあなたが?」
「ああ」
俺はうなずいた。
「うちのS1機のマウグルアと戦うわけですか。利益相反になりますね」
「売り上げが落ち込んでるハールがいい成績を出したら、あんたんとこの会社は助かると思うぜ。広告と思えばウインウインだろ」
ケバカーンが納得した顔で頷いた。
「確かに。でも、ご存じだと思いますがあのボリデンの機体はデータを取るためのもので張りぼてですよ。怖くてエンジン積めませんでしたから」
「知ってる」
「あとお値段、高いです」
「安心しろ、金はスチュワートが積む」
ボリデン合金は軽くて強度があるが希少で値段が高い。加工しづらく、大量生産に向かない。加えて、大きな欠点があった。
魔法使いはにっこりと笑った。
「わかりました。やってみましょう。エンジンはどうするんですか? うちのマウグルアのS1用を積むんでしたらお安くしておきましょうか?」
「メガマンモスのS1エンジンを載せるんだ」
ケバカーンは元々丸い目を一層丸くした。
「正気ですか? あなたらしいと言えば、あなたらしいけれど」
「あんたんとこのS1チームに教えてもいいぜ」
「もらい火に気を付けるよう伝えておきますよ」
ボリデン合金の大きな欠点。それは、よく燃えることだ。燃焼性が高く少しの衝撃で融合燃焼を起こす。火を噴いたら一巻の終わり。
だから、これまでエンジン載せて飛んだことがない。
「無敗の貴公子の引退戦は、面白い一戦になりそうですね。うちのオクダも負けませんよ」
「無冠の飛行士さんか。いいレーサーなんだけどな」
「エースの鼻を明かす最後のチャンスと気合が入っていますから」
魔法使いのケバカーンは、社内調整も得意だ。すぐさまボリデン合金製のハールを届けてくれた。
* *
執務室でアーサーはスポーツ紙の小さな記事をじっと見た。あいつS1に乗るのか。
デューガ星系から帰ってきた後、レイターから連絡が入った。
「天才の読みははずれたぞ。命の危険があった」
と、うれしそうに高額なやけどの治療費を請求したと思ったら、思わぬことを口にした。
「悪いが、しばらく軍の仕事請け負わねぇから」
「しばらくとは?」
「今シーズンのS1が終わるまで」
普段のたくらんでいる顔ではなかった。何をしだすのかと思ったら、レーシングライセンスを取りにいっていたのか。
レイターに初めて会った頃、あいつは「大人になったらS1で優勝する」と息巻いていた。
だが、社会人になったあいつはS1への興味を急速に失った。
戦闘機に乗り慣れたレイターにとって、S1のルールは息苦しかったのだろう。
そのあいつがS1に乗ることを決意した。
今シーズンで無敗の貴公子が引退すると宣言した。そしてエース・ギリアムとティリーさんの交際報道。
レイターの焦りが見える。今のあいつは周りが見えなくなっている。
アリオロンとは戦争中だ。
あいつが軍の仕事をしようとしまいと、暗殺協定は生きている。
S1に乗ると表明したことで、レイターは自分の居場所を敵のライロットにオープンにした。
そのリスクを一体どう考えているんだ、あいつは・・・。
* *
S1関連の情報が自動でピックアップされる有料サービス。
その小さな記事を見たティリーは思わず目を見開いた。
S1最終戦にチーム・スチュアートが新人レーサーを起用する、というベタ記事。そこにレイターの名前が出ていた。
一週間前にレイターと交わした会話がよみがえる。「守秘義務があって、しゃべれねぇ」の意味がわかった。
あの人、うちの会社の仕事を休んでライセンスを取りにいっていたんだ。レーシングライセンスなんて意味がない、ってずっと言っていたのに。
『銀河一の操縦士』と『無敗の貴公子』、レイターとエースがS1で戦う。二人の正式なレースでの対決を見てみたいとずっと思っていた。それがついに実現する。
前にレイターが「エースが引退する前に決着をつける」と口にしたことを思い出した。
SSショーの裏で二人が非公式にバトルをした際、エースに宇宙塵が当たりレイターが勝った。わたしはレースの無効を訴えた。
その対決をやり直したいと、あの時、レイターは言ったのだ。
SSショーの時にはどちらを応援していいのかわからなかった。
でも、今、迷いはない。
わたしの仕事はエースを無敗のまま勝利で引退させること。
レイターはわたしがエースのために働いていることをわかった上で挑んでいる。
手を抜いたらレイターに失礼だ。
世間的には話題にもなっていない。無名の新人レーサーを万年六位のチームが雇っただけ。情報ネットワークのトレンドにも上がってこない。
けれど、わたしたちクロノスのS1チームには衝撃を与えた。
「すぐに会議を開く」
エースの指示で、レース仕様技術部に関係者が集まった。
二年前のS1プライムのレースで、一緒に仕事をした人たちと顔ぶれはほとんど変わっていない。
机の上には、レイターがスチュワートの船に乗るという小さな記事が掲載されたタブレットペーパーが置かれていた。
「レイターはひじょうに危険だ」
メロン監督が切り出した。
そのことは、ここにいるみんなが知っている。かつてレイターはエースの代わりにS1プライムのアンカーとして替え玉出場し、ライバルのギーラルを抜いて見事に優勝した。これは会社の極秘事項だ。
それだけじゃない。昔、レイターがクロノスに勤めていた時に、エースとテストコースで対戦し、実質レイターが勝っていた。
「わかっています。でも、僕は負けませんよ」
エースは落ち着いて応じた。
無敗の貴公子にとって、泣いても笑っても最後のS1なのだ。強い王者の自信。近くで見ていてわかる。このところエースはいい意味で吹っ切れていた。
メカニックの一人が発言した。
「今年のスチュワートの船は脅威ではありませんよ」
スチュワートさんのチームはプライベーターだ。メーカーのワークスチームとは船の力量に差がある。
研究所のジョン先輩が口を開いた。
「僕が聞いた情報だと、レイターはギーラル社のハールに乗るようです」
「ハールだと」
会議室がざわめいた。
ハール。
その名前にわたしの心が揺れた。燃費のいいライバル船のハールに、営業時代は随分苦戦を強いられ、わたしはレイターに助けてもらった。その思い出のハール。
エースが眉をひそめた。
「ハールはスポーツ船でもないだろ。確かに軽いがS1機としての機能が出せるのか?」
メカニックの一人が声を上げた。
「無理ですよ、ハールは脆弱で高速には耐えられません。そもそも強度がS1規定に足りないですよ」
ジョン先輩が反論した。
「いや、レイターならやってきます。彼は『風の設計師団』にいたんです。それにスチュワートのチーフメカニック、アラン・ガランも『風の設計士団』のリーダーでした」
エースは初耳だったのだろう。目を細めた。
「『風の設計士団』か。面白いな。僕は受けて立つよ、クロノスの名誉にかけて」
会議室の空気が一気に引きしまる。専務がかっこよすぎる。
わたしたちは業界の王者なのだ。技術力でも負けるわけにはいかない。その場にいた全員の胸の中で誇りが膨れ上がった。
* *
オーナーのスチュワートはチームの整備工場へと足を運んだ。
レイターが用意したハールが、ギーラル社から届いたと連絡がきた。
作業場のドアを開けると、ペラペラな安っぽいハールの船体と重厚なメガマンモスのエンジンが目に入った。
こいつがレイターが用意したという高額なハールか。
見た目は普通のハールと変わらんな。
設計図が散らかる作業机の前でチーフメカニックのアラン・ガランは頭を抱えていた。助手のオットーがアラン・ガランに呆れ顔で問いかける。
「チーフ、本気ですか? この二つをくっつけるんですか? 無理ですよ。燃えますよ」
「わかってる」
アラン・ガランが苛立った声で応じた。
*
アラン・ガランはかつて『風の設計士団』にいた。
老師という天才爺さんが率いる独立系設計士の集団だ。宗教がかっているというか、エキセントリックなグループで、アラン・ガランはついていけなくなって辞めたと聞いた。
俺がS1のチームを持つためにメカニックを探していた時、就職先を探していたアラン・ガランを知人に紹介された。
俺は人を見る目がある。アラン・ガランの中に面白いものを見た。
風の設計士団にいたからだろうか、発想が豊かだ。閃きの才能がある。
ただ、彼はそのアイデアを実現させる力が弱かった。緻密な計算を続けているうちに堂々巡りをしてしまうようだ。
計算が得意な助手としてアンタレス人のオットーを雇ってアラン・ガランにつけた。
俺の読みは当たった。
S1レギュレーション内ギリギリのアイデアをアラン・ガランが思いつきオットーが計算し尽くして答えを導く。
この二人のコンビによる規定すれすれの知恵と工夫がなければ俺のチームはここまで来られなかった。
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「どうだ。何とかなりそうか?」
俺が声をかけると二人が振り向いた。
オットーが不満げな顔で俺を見た。
「スチュワートさんはご存知だったんですか? このハールがボリデン合金だと」
俺は驚いて聞き返した。
「ボリデン合金で宇宙船が作れるのか?」
値段が高いはずだ。
オットーが肩をすくめた。知らないで金を出したのかとあきれている。
緑の髪に赤い瞳。アンタレス人は正直だ。オットーはオーナーである俺への意見をためらわない。そこが気に入っている。
アラン・ガランがコンピュータを操作しながらモニターを俺に示した。
「これを見てください。ハールにメガマンモスのエンジンを乗せて飛ばした計算値です」
ナセノミラのS1コース図上を赤い点が動き出す。一緒に映し出されるストップウォッチのカウントが速い。
一周を回ったところで、ラップが出た。一分四十八秒。一分五十秒を切った。
「エースの最速タイムと並んだぞ。すごいじゃないか。レイターは天才だな」
俺は興奮した。これならクロノスのS1機と競える。
だが、アラン・ガランとオットーの表情はさえない。
「これはあくまで計算です。実際はこうはいきません」
「どういうことだ?」
「エンジンのパワーが九十パーセントを超えるとパラドマ発火を起こし機体が融合燃焼する恐れがでてきます」
「馬力を出すと船が燃えるということか?」
ボリデン合金の燃焼性が高いことは、俺でも知っている。
「打ち上げ花火に、紙飛行機乗せるようなものですよ」
とオットーが捕捉した。
アラン・ガランが新たなデータを見せながら説明する。
「パワーを九十パーセント以下に抑えると、一分五十五秒の計算です」
「それでは無敗の貴公子には勝てんな」
「加えて、ほかの機体やコーナーガードと接触したら燃焼します」
「ふむ」
追い越し時には機体をぶつけあうこともある。かなり危険ということだ。
オットーが強い口調で言った。
「他機との接触どころか、融合燃焼はほんの少しの衝撃で起きるんですよ。宇宙塵が飛んできても、太陽風が吹いても、ダークマターが歪んでも、燃えますよ。人は乗せられません。ボリデン合金なんて絶対無理です!」 まとめ読み版②へ続く
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ティリー「サポートしていただけたらうれしいです」 レイター「船を維持するにゃ、カネがかかるんだよな」 ティリー「フェニックス号のためじゃないです。この世界を維持するためです」 レイター「なんか、すげぇな……」