銀河フェニックス物語【出会い編】 第九話 風の設計士団って何者よ? (一気読み版)
<これまでのお話>
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「ねえティリー。レイターさんを紹介してもらえない?」
会社で同期のチャムールから声をかけられた。
眼鏡が似合う端正な顔立ち。
落ち着いているその様子は一見のんびりしている様にも見える。
チャムールは工学系の大学院を出て、今はうちのクロノス社の新型船開発担当。在学中に宇宙船の一級設計士の免許を取ったという才女だ。
先日売り出した新型船『グラード』は彼女が初めてメインで作った。
いい船なのだけれど、グラードは思ったように売れなくて、営業部門は苦戦している。
わたしはレイターのおかげでスチュワートさんという大物顧客と契約できて何とかノルマをこなせた。
けれど、ほかの部員は売れないのを船のせいにしていた。
社内では設計責任者のチャムールに対する風当たりが厳しく、最近元気がないと聞いていた。
厄病神のレイターに会ってどうしようと言うのだろう。
「別にいいけど、どうして?」
「彼が船の設計をするって話を聞いたことある?」
「設計? 船の改造や修理はしょっちゅうしてるけど」
レイターが手を加えると船が魔法のように生まれ変わるという話はよく耳にする。
「じゃあ彼がどこでそれを勉強したのか知ってる?」
「さあ?」
「本人に聞いてみたいの」
チャムールが何を知りたいのかよくわからなかったけれど、とりあえずその場でフェニックス号に連絡を入れた。本人が出た。
「レイター、週末あいてる?」
「う~ん」
歯切れの悪い返事だった。
「土曜の昼からS2のレースがあるんだよな」
銀河最速のS1よりランクが一つ落ちるクラスの宇宙船レースだ。
「船で見る予定だから来てくれるんならいいぜ」
横にいたチャムールがわたしに小さな声で聞いた。
「私もうかがってもいいのかしら?」
「ティリーさんのお隣にいるのは、チャムール・スレンドバーグさんかい?」
チャムールが驚いている。
「は、はい」
レイターがにっこり笑って言った。
「俺、女性社員のことは全員覚えてるんだ。どうぞどうぞ。美人は大歓迎だぜ」
お調子者がいつものように軽い返事をした。
* *
そして、土曜日。
わたしはチャムールと一緒に駐機場のフェニックス号の前にいた。
「入るわよ」
「あいよ」
インターフォンから間の抜けたレイターの声がしてドアが開いた。
勝って知ったる船の中を案内していくとチャムールが驚いた声を出した。
「この船どうなってるの? 変よ」
「変よね」
この船は操縦席とリビングダイニングが仕切りもなくくっついている。
キッチンには火の出るコンロが設置されていて船というより家に近い。
「レイターが改築って言うか年中いじってるけど」
「そもそもの基本構造が違うわ。普通の設計理論じゃありえない」
一級設計士であるチャムールの目から見ても変わった船なんだ。
レイターの部屋の前に着いた。
レイターが居間じゃなくて自分の部屋でレースを見ると言うのでちょっと心配だ。
「チャムール、驚かないでね」
一応、びっくりさせないように声をかけた。
「レイター、入るわよ」
「どぉぞ」
中から声がしてドアが開いた。
相変わらずのレイターの部屋。
足の踏み場がないほど散らかっている。ここの掃除だけはメインコンピューターのマザーも手をつけない。というかつけられない。
「チャムールさんのために掃除してたんだ」
ソファーと椅子の上があいていた。いつもはソファーに座るのも一苦労だ。
「す、すごい」
チャムールが目を回している。
「ごめんね」
わたしが謝ってしまう。
「違うの、これも、これも・・・どうしてここに?」
チャムールの目が釘付けになっているのは、ベッドの上に無造作に置かれている資料やディスクだった。
宇宙船の設計図のように見える。
「この図面はうちの資料室にもないのよ。わたし、大学の研究室に高額使用料を支払って取り寄せたばかり」
「何だ、言ってくれれば貸したのに」
「ほんとですか!」
チャムールが喜んだ声を出した。
「チャムール、気をつけた方がいいわよ。この人ぼったくるから」
「いやいや、チャムールさんにはただで貸すさ」
「ほんと、美人には甘いんだから」
チャムールが今度はプラモデルに目を奪われている。
「これは・・・」
この部屋にはいつも作りかけのプラモデルが転がっている。
「さすがチャムールさんお目が高い。翼の先にロルダ理論の改良加えてみたんだよね。スピード出るぜ」
「チャムールもプラモデルが好きなの?」
「ロルダ理論は学会で発表されたばかりの宙航力学よ。わたしもまだ原本を読み始めたところなの」
「今度金がたまったら、フェニックス号にも使おうと思ってんだ。さて、そろそろ番組が始まるからソファーに座って座って」
*
レイターが操作すると部屋が暗くなって星が見え始めた。
まるで宇宙空間に浮いているようだ。最新の4D映像システム。
あれ? バージョンが上がっている。
「レイター、また買い換えたの?」
「前のバージョンのプログラムミスを指摘してやったら改良版を送ってきたんだ。こっちのが断然いいだろ」
船がスタート地点に並び始めた。
何だかいつもより迫力がある。改良版のせいだけじゃない。
「実況のアナウンサーさんが代わったの?」
宇宙船レースはわたしも大好きでいつも見ているのだけど、どこか違う。S2だからだろうか。
「これ、いつも見てる番組と違うぜ。CMが入らない会員制の番組さ」
確かにゲストも豪華で、解説も聞き応えがありそう。
「ふうん。わたしも会員になろうかな」
「ちなみに、月額百万リルだけどな」
レイターがさらっと言った。
「えええええっ!」
わたしの月給の半年分だ。
「スチュワートが金持ち相手に新規事業始めたんだ」
スチュワートさんはベンチャー企業の大物社長でレイターと仲がいい。
先月、わたしはこの社長に新型船を売った。
「スチュワートさんはわたしからグラード買ってくれたのよ」
グラードの設計者であるチャムールが笑顔を見せた。
「まあ、それは嬉しい」
スチュワートさんの周りにいる人たちはわたしには想像がつかないセレブたちだ。月額百万リルでもビジネスとして成り立つのだろう。
「レイターは会費払ってるの?」
「払ってると思うかい?」
「思わない」
「ご名答。その代わり、モニターしてやってんだ」
「モニター?」
「番組を見て感想を伝えるのさ、ほら始まるぜ」
*
レースがスタートした。
「ことしはお宅の船よくねぇよな」
そう、このクラスではうちのチームは負けが続いている。
「レイターさんはどこのチームを応援してるんですか?」
チャムールが聞いた。
「スチュワートんところさ。ワークスじゃねぇけど、よく頑張ってるだろ。今年は船もいいし」
大金持ちのスチュワートさんはS1とS2チームのオーナーでもあるのだ。
と、そのスチュワートのチームが小惑星帯で出遅れた。
「下手くそ! 旋回が緩すぎだぜ、もっと詰めろよ」
画面を見ながら、レイターがレーサーにぶつぶつ文句を言っている。
自称銀河一の操縦士である彼は、誰彼構わずレーサーを「へたくそ!」と罵倒し「自分ならもっと上手い」と豪語している。
わたしの憧れ、クロノス社専務で『無敗の貴公子』エース・ギリアムの操縦にまでケチを付けるのには腹が立つけれど、その自惚れた様子を見るのは実は面白い。
それに、レイターの解説は勉強になる。
操縦テクニックの話にとどまらず、どこどこの会社が次はこんな船を作るらしい、とか、どこどこ工場のストライキが今回のレースに影響している、とか。
彼が仕入れてくる情報は仕事でも役に立つのだ。
でも、きょうはいつもと少し様子が違った。
チャムールがいたから、船の技術的な話がメインだった。
二人がエンジンの推力の話をしている、という程度はわかるのだけれど、専門的な話で内容はほとんど理解できない。
ま、きょうはチャムールのために来たのだから仕方がない。
*
レースが終わると
「五分待っててくれ」
と言ってレイターはキーボードに向かった。
真剣な表情。
猛スピードで文章を書いている。
普段レイターが文字を打っているところなんてみたことがなかったから少し驚いた。
「何書いてるの?」
画面をのぞき込む。
今終わったレースについてだった。
レイターの頭の中には今のレースすべてがインプットされているみたいだ。
第三コーナーでギーラル社がスピンした時の映像がもたついた、とか、終盤で一位と二位が逆転した際の解説者のコメントが的外れだった、とか。
よく読むとこれはレースではなく番組の考察。
しかもかなり細かい。
チャムールとあんなに難しい船の議論をしながらもよくまあ見ているものだ。感心する。
「これがモニターなわけ」
「ティリーさんも感想ある?」
「もう少しレーサーに焦点が当たってるとうれしいんだけど」
素直に感想を伝えた。
そもそもわたしがレースを好きになったのはかっこいいパイロット、すなわち『無敗の貴公子』エース・ギリアムに憧れたから。
わたしの様なミーハーなレースファンにとってこの番組はちょっと硬派すぎる感じがした。
レイターがわたしの意見を素早く書き足す。
「ふむふむ。ま、このぐらい書いときゃスチュワートも満足するだろう。今、送っとけば番組スタッフの反省会に間に合うしな」
確かに分量がある。でも、一言言いたくなる。
「五分で百万リルってわけね」
「ティリーさん。仕事の価値は時間じゃねぇ、要はスチュワートが百万リルの価値があると判断するかどうかさ」
そう言いながらレイターは書き上げた文章を送信した。
*
「お待たせして悪かったな。で、チャムールさんは俺に用があるんだって?」
チャムールが少し緊張したのがわかった。
「あのぉ、噂で聞いたんですけど、レイターさんは『風の設計士団』の一員で、『老師』の直弟子だっていうのは本当ですか?」
『風の設計士団』と言えば、超優秀な宇宙船の設計士集団として知られている。謎が多くてよくわからない集団だ。
メーカーに所属しない独立系で、突然設計図を売り込みに来ると聞いたことがある。
『老師』はその集団の開祖と言われる伝説の設計士なんだけど、実在の人物かどうかも怪しい。
「違うよ」
レイターの答えにチャムールが肩を落とした。
「そうですか」
「まず『風の設計士団』には、一級設計士の免許がないと入れねぇ。でも、俺は設計士の免許はもってねぇ。整備士と調理師は取ったけど」
「設計士の免許を持っていない? さっき、お話していて、てっきり一級免許を持っているとばかりと思っていたわ」
チャムールが驚いている。
「弟子の話は、老師が俺に『設計士になったら弟子を名乗ってもいい』と言ったのさ。けど、俺は設計士にならなかった。だから俺は老師の弟子じゃない」
「えっ?」
チャムールが珍しく大きな声を出した。
「それはあなたが老師に直接設計を教えてもらっていたということですか?」
「俺、ハイスクール中退した後、老師の食事係のバイトしてたんだ」
老師って伝説じゃなくて生きていたんだ。
「老師の連絡先をご存じですか?」
「生きてんのかね、あのじいさん。最後に会ったのはこの船をみてもらった時だから、結構前だし、連絡先は日によって変わるんだよ」
「この船、この船は一体どうなってるんですか?」
いつもは落ち着いているチャムールが興奮している。
「こうなってますとしか言いようがねぇけど」
*
ふたりの話題はフェニックス号にうつった。
話というより議論や検討という感じ。この船に伝説の老師が手を入れていたなんて初めて知った。
二人は妙に盛り上がっている。
ついには、床にタブレットペーパーを敷いて何やら図や数式を書き始めた。
一般的に、わたしたちアンタレス人は数理能力が高いと言われている。でも、二人の会話にはまったくついていけない。
チャムールは大学院で博士号を取った後、研究職として残るかうちに就職するかで引っ張りあいがあったという逸材。
そして、最先端と言われるうちの技術設計部で一目を置かれているのだから、わたしが話についていけなくて当然だ。
わたしが驚いたのは、チャムールと対等に、いやチャムールをリードする形でレイターが話を進めていること。
ただの宇宙船お宅じゃない。
この部屋にあるものがほとんど宇宙船に関するものだということは知っていたけれど、おもちゃだと思っていたプラモデルもどうやら船を改造するための試作品らしい。
レイターがいつものおちゃらけたレイターと違う。
船の話だから表情が真剣だ。
真面目なレイターをみると時々わたしは錯覚してしまう。普段との落差で格好よく見えてしまうのだ。
厄病神に騙されてはいけない。
*
床に座った二人の話は終わりそうもなかった。
今度は宇宙船を防護するシールドと船体の強度について話をしている。
夕飯にマザーがサンドイッチとスープを出してくれた。
調理師免許を持つレイターがセッティングしているためか、下手なお店で食べるよりおいしい。中でもこのカツサンドは絶品だ。
「ティリーさんとチャムールさん、明日の予定は?」
レイターが珍しく気を使って聞いてくれた。
「あのぉ、わたしは休みですから、もう少し続けていいですか?」
チャムールはまだ話を続けたいらしい。それならわたしもつきあおう。
「別にわたしも予定はないから」
二人はサンドイッチをつまみながら白熱した議論を展開している。よく話すことがあるなあ。感心してしまう。
わたしはその横で読みたかった新刊の小説を読み始めた。
フェニックス号は高額な一括データベース契約をしていて、読みたい本が何でもすぐに読める。
読書が趣味のわたしにとってこの船は時間つぶしには困らない。
*
小説を一冊読み終えた。
時計を見ると深夜を回ってる。一体二人はいつまで話を続けるつもりなのか。
「ティリーさん、部屋で寝ていいぞ」
「ありがと」
そう答えたものの、動くのもめんどくさい。ソファーでうとうとしているうちに眠ってしまった。
*
ちょっと、うとうとするつもりだったのだけれど気がつくともう朝だった。窓の外が明るい。
信じられないことに、二人は床に座り込んだまままだやっていた。
しかもシールドの話。
一晩中、十二時間以上この議題で議論をしていことになる。
「じゃあ常数を変換すれば対応できるじゃないですか」
「電磁波帯を飛ぶときには、それじゃ無理だってさっき言っただろ、関数自体の置き換えも考えないと」
「でも、もう関数は出尽くしてます」
「そんなこたねぇよ。素材の次元係数をかえればあと百通りはいける」
「そんな・・・」
チャムールが力なく床に倒れ込んだ。
「チャムール、大丈夫?」
あわてて助け起こす。
「百通りっつったって条件で排除できるからあと三十ぐらいか。五時間あれば解にたどり着くぜ」
チャムールは首を横に振った。
「あした計算します」
もうこれ以上は無理だ。
「ここまできたらやっちまった方がいいんだよな。後は俺がやっとくよ。だがな、チャムールさん。あんた『風の設計士団』に入りたいんなら体力を付けた方がいいぜ」
チャムールびくっとして顔を上げた。
「どうしてそれを・・・」
そうか、チャムールは『風の設計士団』のことが知りたくてレイターに会おうとした。
『風の設計士団』への転職を考えていたということか。
グラードの販売不振の責任がチャムールに押しつけられていた。それで会社に嫌気がさしたに違いない。
「『風の設計士団』の奴らはずっと議論し続けてるんだ。二十四時間、七十二時間、一週間ってな。老師が脳がつぶれるまで考えろ、知力は体力だってうるせぇのよ」
「あなたはその議論に加わっていたの?」
「俺は食事係だったからよく中抜けしたけどな。じいさんは食事にうるさくてさ。さてと、朝飯で脳に栄養補給しようぜ」
マザーがいれたモーニングコーヒーは相変わらずおいしい。一緒に出された甘いマフィンとよくあう。
チョコレートマフィンを口にほおばりながらレイターがチャムールに話しかけた。
「俺は『グラード』っていい船だと思うぜ」
「えっ?」
チャムールが真意を探るような目でレイターを見つめた。
「お世辞とかじゃねぇよ。ほんとにいいと思ったからスチュワートにも勧めたんだ」
レイターが「いい船だけど売れてねぇ」と言ってスチュワートさんに買わせたことを思い出した。
「あの船は居住空間性もいいけど、飛ばしもいい。絶妙のバランスで両立してる。あんた才能あるよ」
銀河一の操縦士に褒められて、チャムールは少しだけうれしそうな表情を見せた。
「グラードはわたしの自信作です。でも、いくらいいものを作っても売れなければ会社では評価されない」
そう言って深いため息をついた。
学生時代からその才能が認められていたチャムールは、大学や他社との争奪戦の末にクロノスに入社したという経緯がある。
そして、入社後すぐに新型船の設計責任者に抜擢された。その一隻目であるグラードは社内の注目度が高かった。
期待を集めた一方でやっかみも多かった。
若い女性の起用は話題作りだと。
だから、グラードの売り上げが伸び悩むと、手のひらを返したようにチャムールへの風当たりは強くなった。
わたしはチャムールに同情した。
「社内でいろいろ言う人がいるから、辞めたくなる気持ちはわかるけど・・・」
チャムールは小さく首を横に振った。
「ううん。会社のことはいいの。チャンスを与えてもらってクロノスには感謝しているわ」
チャムールはわたしの目を見て続けた。
「グラードの売れ行きは良くないけれど、実際に買って下さったユーザーの反応は悪くないのよ。だから私、大量生産の設計に向いてないんじゃないかと思って・・・。注文設計なら独立系の設計士という道があるし、それなら最高峰である風の設計士団を目指したらどうだろうかって」
わたしは、会社の対応が嫌で転職を考えたのだろう、って随分レベルの低いことを想像したと恥ずかしくなった。
「いや、あの船は売れる、月間一位だって取れる船だ。だけどプロモートや販売方法がが最低。だから売れねぇんだ」
レイターの言葉にむっとした。
「どういうこと?」
プロモートや販売方法ってわたしたち営業が悪いって言っているように聞こえる。
「あの船の良さは長距離を実際操縦しねぇとわかんねぇんだよ。あんな金かけたCM作るぐらいなら、取引先とかに一ヶ月無料でお貸しします、出張の際お使いください、って配って歩けば良かったんだ」
レイターの言うことはもっともだ。
船内の内覧会は各地でやったけれど、試乗は短距離しかやっていない。
「どうしてもっと早く言ってくれないのよ」
「そんなの知るかよ。俺の仕事じゃねぇ。あんたの仕事だろが」
「・・・・・・」
わたしは返す言葉が無かった。
*
朝食を終えると
「う~ん」
数式を書いた紙を手にレイターがうなった。
「あと五時間かけて計算するのめんどくさくなってきたなあ」
「マザーで計算できないの?」
コンピューターで計算した方が手計算より速いはず。
「排除の条件を入力するのが面倒なんだよな。しょうがねぇ奥の手使うか」
「奥の手?」
レイターは数式をコンピューターに読み込ませると、どこかへデータを転送した。そして、通信回線を開いた。
「おい、アーサー。メール開けろ」
モニターに現れたのは将軍家の御曹司で天才軍師のアーサー・トライムスさんだった。
「こちらは午前四時だぞ。何かあったのか?」
叩き起こされた、アーサーさんは不機嫌そうな顔をしていた。
「頼む、これ計算してくれ」
アーサーさんは超天才で確かに奥の手ではあるけれど、この計算のために午前四時に起こすのはいくら何でも非常識だ。
「ご、ごめんなさい」
チャムールが恐縮している。
「いいから、いいから、こいつのことは気にしねぇで」
レイターが手を振りながら言った。
そう言われてもアーサーさんは将軍家の跡取りで有名人というか天上人だ。わたしも申し訳ない気持ちになる。
迷惑そうな顔をしていたアーサーさんがメールを開いた瞬間表情が変わった。
「これは、面白いな」
「だろ。この方程式の解を軍の新型船の開発に利用していいからさ」
「誰が考えたんだ。この式のセンスはおまえじゃない」
「ちっ、よくわかったな」
「知的財産権が発生するから、勝手に開発利用するわけにいかないだろ。今から、解を送る」
「あ、きた」
即座に数字がびっしり書き込まれた返信メールが届いた。
レイターが五時間かかると言った方程式を一瞬で解いてしまった。
本当にこの人は天才だ。権威あるキンドレール賞が取れるんじゃないだろうか。
チャムールが呆然とした顔で返信メールを見つめている。
「これを考えたのはクロノス社の開発担当で、ティリーさんの同期のチャムール・スレンドバーグさんだ」
アーサーさんがチャムールに微笑みかけた。
「この発想は素晴らしいです。感嘆に値します」
「め、滅相もございません」
チャムールはモニターに向かってあわてて頭を下げた。
「すぐに特許申請しようぜ。この解は『風の設計士団』も使いたいはずだ。あいつらが使えば使うほど儲かるぜ」
レイターはにやりと笑った。
*
フェニックス号からの帰り際、チャムールがレイターに質問した。
「あなたはどうして設計士にならなかったの?」
「あん? 俺は『銀河一の操縦士』だぜ。他人の船を造ることには興味がねぇんだ。自分の船のために構造理論が知りたくてじいさんに教えてもらったけどな。『銀河一の設計士』に聞きゃ間違いねぇと思ってさ」
一呼吸置いてチャムールが聞いた。
「私は『銀河一の設計士』になれるかしら?」
「チャムールさんの考える銀河一の設計士ってどんな設計士だい? 売れる船を造るのかい?」
チャムールは恥ずかしそうに答えた。
「・・・私の作った船で幸せを運びたいの」
「いいじゃん。世界にゃアーサーみたいに『風の設計士団』より頭のいい奴がいる。『銀河一の設計士』になるのは大変だぜ。でも、あんたには理想がある。だったらどこからでも進めるさ。俺はどこにいても『銀河一の操縦士』であることを意識してる」
「居場所の問題ではないということね。私、格好いいことを言って、会社から逃げようとしていた。期待がプレッシャーになっていたの。理想の船に向けて、クロノスの環境は決して悪くない。今いる所で一歩ずつ始めてみるわ」
決意のこもった声だった。
二人のやりとりを聞いていてわたしは自分が恥ずかしくなった。
わたしは『銀河一の営業マン』になりたいなんて思ったこともないし、今もそこまでの意識はない。
でも、とりあえず自分のやれることからやってみようと思った。
あした、会社で課長に提案してみよう。『グラード』の販売方法を。
* *
あれから三ヶ月『グラード』は人気船種になっていた。
レイターの販売アイデアを提案し、一ヶ月お試しレンタル制を始めてみたら、そのまま買い取る人が続出したのだ。
口コミでも広がり、品薄になると今度は急に予約が入り始めた。
今月の部門別販売台数では首位を取った。
チャムールは若き女性開発者としてメディアに引っ張りだこだ。
そしてわたしも部長から特別手当として金一封をもらった。
これは、間違いなくレイターのおかげだ。食事に誘ってみよう。
*
待ち合わせたレストランの前でレイターが不満げな声をあげた。
「ティリーさんと二人きりじゃねぇのかよ」
レイターは恨めしそうにアーサーさんをにらんでいた。
レイターを誘ったあと、チャムールとアーサーさんに声をかけることを思いついたのだ。
四人でテーブルを囲みわたしが乾杯の音頭を取った。
「グラードの月間一位を祝して、乾杯! チャムール、おめでとう」
「ありがとう。私、拙速に会社を辞めなくてよかった。レイターさんのおかげです」
チャムールは嬉しそうだった。
「だから、きょうは私に払わさせて」
というチャムールの申し出をわたしは断った。
「営業で特別手当が出たの。だから心配しないで」
チャムールが困った顔をした。
「半分出させてほしいのよ。実はシールド理論の特許料がもう入ってきたの。『風の設計士団』があの解を使った船を設計したんですって」
「あいつらハイエナみたいに最新技術探してるからな」
アーサーさんがチャムールに礼を伝えた。
「連邦軍でも採用が決まりましたよ。電磁波帯における安全性が向上するので助かります」
「殿下の計算のおかげです。ありがとうございました」
チャムールは恥ずかしそうに頭を下げた。
「そうだ、俺からも高価なプレゼントがあるぜ」
とレイター。
「スチュワートのやってるレース番組さ、女性モニターを入れた方がいいって提案したらあいつ乗ってきたんだ。今週中にティリーさんとチャムールさんのところにモニターのパスワードが届くはずだから、それ入力すれば百万リルがただで見られるぜ」
番組が無料で見られるのはうれしいけれど・・・。
「モニターってリポートを毎回書かなくちゃいけないのかしら」
レイターのような細かいリポートを書ける気がしない。
「大丈夫、ティリーさんは俺と一緒に番組を見ればいいのさ。そしたら適当に書いておくから。俺とデートってことで」
「デートじゃありません。それに、フェニックス号で見るんじゃモニター契約してもしなくても一緒じゃないのよ。そうだ、チャムール、一緒に見ようよ。チャムールはリポート書くの得意だし」
「いいわね。それから・・・」
チャムールはアーサーさんの方を見た。
「殿下も一緒にいかがですか?」
「喜んで」
「ちょっと待て、アーサー、あんたレースに興味なんてねぇだろが」
「わたしは森羅万象、すべての物事に興味がある」
「ったく何だよ、俺だけ仲間外れにする気かぁ!」
レイターの嘆きがおかしくて、みんなで笑った。
わたしとレイターが馬鹿な話をしている横でチャムールとアーサーさんは大人の会話を楽しんでいた。
とっても楽しい会食だった。
*
そして、次のS1レース。
結局わたしはいつもと同じくフェニックス号で観ることになった。
「スチュワートに言わせるとベンチャー企業ってのは、柔軟さが売りなんだとさ」
月額百万リルの宇宙船レース番組はその後あっと言う間に終了してしまったのだ。
「メイン画面でスチュワートの船ばっか映すから苦情が来てたらしい」
フェニックス号の4D映像システムは多チャンネル画面だから気が付かなかった。
「ま、いつも通りティリーさんとデートってことで」
はっきり言っておかなくては。
「デートじゃありません。わたしの理想は『無敗の貴公子』エース・ギリアムです。レイター、あなたとは月とすっぽんです」
「そうだよな」
珍しい、レイターが認めている。
「俺が月だろ」
「は? レイターがすっぽんに決まってるでしょ!!」
わたしは大声で叫んだ。
そして思った。
宇宙船への執念、食いついたら離れないしつこさ。まさに、すっぽんだわ、って。 (おしまい) 第十話「愛しい人が待つ場所で」へ続く
この記事が参加している募集
ティリー「サポートしていただけたらうれしいです」 レイター「船を維持するにゃ、カネがかかるんだよな」 ティリー「フェニックス号のためじゃないです。この世界を維持するためです」 レイター「なんか、すげぇな……」