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「人格者」の矛盾

どうもジントです。
いやー寒い、寒すぎて夏が待ち遠しいです笑

最近、とある方の配信を聞いていて自分にとって
おもしろい気付きがあったのでご紹介します。

その方は目標を聞かれて「人格者になりたい」とおっしゃいました。
それを聞いたときの私の感情となぜそう思ったのかを考える、というお話です。

それでは、どうぞ!
(各々の定義にもよるので、 あくまで今私がそう思ったという気付きです。)


「人格者になりたい」

とても素晴らしいですね!
崇高でしっかりした理想的な目標を持っていらっしゃる。
でも、それだと人間らしさがなくなって「面白くないじゃん」。

そう、素晴らしいと感じたはずなのに同時に否定の感情が入る。

これは凄い発見をした気がする。
もう少し掘り下げてみよう。



現状:
「人格者」といえば人として一種のゴールのように思っている。
そして、その実「人間らしくない」とも感じる。

定義:
「人格者」:人としての理想・到達点、隙のない完璧な人
「人間らしさ」:ミスしたりおちょけたりする、ユーモア・隙のある人

完璧人間に近いほど、隙はなくなる
        ↓
人格者に近付くほど、 人間らしさがなくなる。

Q:
では、人間らしさを全くなくした人間(人格者)は
「人間」なのだろうか?
「人間」と言い切ることができるのだろうか?


結論:
人間らしさを持たない人間(人格者)は
それはもはや「人間」と言い切れないのでは?と思っている
        ↓
人間らしさを内包していてこその人間でしょうと考える


今一度、自分に問うてみる。

「人格者になりたいか?」と聞かれれば 「そうでありたい」と答える。
「どう生きたい?」と問われれば 「人間らしくありたい」と答える。

でも、それは両立しない「矛盾している」ということになる。
(あくまで私の定義の中では)


まとめ:
「人格者」と「人間らしさ」は定義によっては「矛盾する」
と理解した上で、 自身の生き様を考えることが肝要に思いました。

例えば、両方が同時に発現していなくても、
場面によって使い分けることはできますよね。


「人間らしく面白味のある」面もあれば、
「人格者」である面も持ち合わせている。

そしてそれを使い分ける。

自分はそんな存在を目指していきたいです。



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