見出し画像

ワークショップ第50回『学校教育におけるローカルルール』[20230306-0319]#JLWS

皆さん こんにちは。
ジェイラボ教育研究部部長のシトです。

今回のWSでは、身近な教育問題を扱いました。

挨拶

■シト

おはようございます。
教育研究部部長のシトです。
本日から2週間を通して教育研究部のWSを行います。
よろしくお願いします。今回のテーマは「学校教育におけるローカルルール」です。
学校教育特有の問題を扱っていきます。
皆さんも体験したことがあるであろう問題や最近の問題を扱っていくので、
それらを一緒に考えていきましょう。WSは以下のように進む予定です。第1ターン 蜆   数学、国語関連
第2ターン Hiroto  算数関連
第3ターン シト  英語関連それでは皆さん、よろしくお願いします。

第1ターン

■蜆一郎

[教育研究部 WS 2 日目]
 おはようございます。今日から 5 日目 (金曜日 10 日) までは蜆一朗が担当いたします。ローカルルールというテーマですが、僕が担当するターンでは、自分が高校生だった頃を思い出して、同級生の多くが納得いっていなかったものを 2 つ紹介したいと思います。主な日程は次の通りです。

  • 3/7 (2 日目) テーマ① 課題文紹介 ~定期テストにおける高校数学の解法縛り~

  • 3/8 (3 日目) テーマ① 夕方ごろに見解紹介

  • 3/9 (4 日目) テーマ② 課題文紹介 ~本文を写す予習 : 理系学生の古文~

  • 3/10 (5 日目) テーマ② 夕方ごろに見解紹介

それではよろしくお願いします。

数学

■蜆一郎

テーマ① 定期試験における数学の解法縛り
まずは以下の状況を把握していただき、そのうえで生徒 A と先生 B によるやり取りを読んでいただきたく思います。
最終的に、生徒 A と先生 B のそれぞれの言い分にどれほど理解・共感できるかについてアンケートを取ります。[状況設定]

  • 高校数学では、1つの問題に対して何通りもの解き方が存在する場合がある。

  • 生徒は高校2年生で「ベクトル」の範囲を出題範囲とする定期試験を受けた(ベクトルは図形の考察に有効な手段)。

  • 「図形の性質」は高校1年生のときにすでに習っていて、高校2年の今「ベクトル」を習っている。

  • 「図形の性質」を使っても「ベクトル」を使っても解ける問題が、その定期試験に出題されていた。

[課題文]

生徒 A「今日の授業で返却してもらった期末試験で、採点に納得いかない問題があるんですが、確認してもらっていいですか?」先生 B「いいぞ。今日までだったら点数変更も間に合うから。」生徒 A「この問題なんですが、解き方も答えも間違ってないように思うんですけど、採点ではバツになっていて…」先生 B「え?……あぁこれは学年団のルールでマルにはできないんだ。」生徒 A「なんでですか!?数学的には間違ってないのに…」先生 B「今回はベクトルのテストだから、そのやり方で解いてもらわないと。図形の性質を使って解いている A の答案は認められないんだ。」生徒 A「でも注意事項にはベクトルで解けって書いてなかったじゃないですか…!」先生 B「確かに書いていなかったし、これが実力考査なら文句なくマルにしている。でも定期試験というのは授業で習ったことを確認するものなんだから、ベクトルの範囲ならベクトルで解くのが当たり前だ。」生徒 A「それはそうかもしれないですけど、間違っていないものを減点されるのは納得がいかないです…」先生 B「確かに A の答案に誤りはないけれど、ベクトルで解いていないからベクトルを理解できているのか判断ができないだろ?だから加点することもできないはずだ。」生徒 A「でも定期試験は時間制限が厳しい上に問題数も多いですし、何とか高得点を取るためには、時間を短縮できる図形の性質での解法を使わざるを得なかったんです…。その証拠に、ベクトルを使って解いている問題がほかにもあります。ベクトルを理解できていないわけではありません。」先生 B「書かれていないものから勝手に判断することはできないだろ?他の問題についてはよくできていたし、そこは正しく採点できているはずだ。他にも A と似た答案を作った子がいて、同じルールの下で全員同じように採点しているし、公平性は保たれているはずだ。十分な高得点も取れているし、今回はこの採点で納得してくれないか?」

状況設定および課題文を読んで、あなたの感覚に最も近いものを選んでください。また、何か意見がある方は文章を投下してくださると嬉しいです。
:1: 全面的に生徒 A に共感する (先生 B の言い分はわからない)    3
@Naokimen, @コバ, @Yuta

:2: やや生徒 A の意見・感覚に近い (先生 B の言い分も一部分かる)    2
@Yujin, @ゆーろっぷ

:3: 両者ともに言い分はわかる    2
@Takuma Kogawa, @あんまん

:4: やや先生 B の意見・感覚に近い (生徒 A の言い分も一部分かる)    1
@シト

:5: 全面的に先生 B に共感する (生徒 A の言い分はわからない)    1
@西住

■Takuma Kogawa

教員採用試験では解法を限定して出題すると聞いたことがあります。その学年までの知識で解答できるように、例えば中学数学を教えるのにベクトルを持ち出したりしないように求めているのだと思います。また、数年前の浜松医科大学の入試では小問を複数の解法で解かせる出題がありました。
学校教育は学習指導要領に定める知識技能を身につけることが目的にあるため、教員がベクトルを使った解答を求めることに一定の合理性はあると思います。採点基準は出題者側がすべて握っていることも現実として受け入れるべきと思います。
大学入試などは誘導を無視したりどんな道具を使ってもよく、学校の試験とは「別の競技」であることを認識して、これが社会であると諦めて友達とグチでも言うのが健全です。

  • 蜆一郎
    ありがとうございます。
    数学ではもちろん数学的に正しいかどうかが唯一の基準になりますが、Kogawa さんが挙げてくださっているように、ある文脈のもとでは解法に制限や条件を加えることに合理性が生ずることもあると思います。その文脈を作り出せるのは出題者側だけであるため、解答者側に不満が生まれることはやむを得ないですが、少しでもそれが減らせればなと思います。

■けろたん

採点者の作問の失敗と注意書きの不備で起きた問題が、「解答者が空気を読めていない」ことに転嫁されているのがこのトラブルのモヤモヤポイントだと思いました。論点1
課題に対して異なる2つの解法があるとき、1つのやり方を知っているのにわざわざもう一つのやり方を学ぶのは、新しいやり方に何らかの利点があるからだと思います。ベクトルという考え方の有用性を理解させるための試験なら、ベクトルでなら簡単に解けて、図形の性質では解けない、解くのに骨が折れる問題を出題すべきだと思います。論点2
「先生」は、採点者としては、解答として答案に書かれていないもの(ベクトルの理解)を状況証拠(他の問題はベクトルで解けていること)から積極的に評価しないと言っていますが、解答者は暗黙の前提を読み取って、どこにも書いてなくてもベクトルを使って解くのが当然であると主張しています。察するためのコミュニケーションコストを相手にのみ要求するのは、横柄だと捉えられてもしょうがないと思います。
注意書きに、ベクトルを使って解くべし、と書いてさえいればよかったのではないかと思います。

  • 蜆一郎
    ありがとうございます。「定期試験は授業の理解度を測るもの」という主張の一方で「授業はどれほど効果的であったか」という検証はあまりされないように思います(基本的にはそれをテストの出来で判断するのかもしれません)。アンケートを取っても、その意見をフィードバックしたベクトルの授業を次に受けるのは 1 つ下の学年になりますね T^T 少しでも授業やテスト勉強の効果を上げるためにできそうなことを、けろたんくんの意見を踏まえて書いてみたいと思います。[論点 1] まずはけろたんくんのいうとおり、ベクトルの定期試験では

    • 図形の性質よりもベクトルのほうが解きやすい問題を選んで出題する

べきであり、その意味では例の問題を定期試験に出題したのは失敗だったと思います。しかし一方で、ベクトルによる考え方を理解するための教材としては重要な意味を持つ問題ではあります。そのため

  • 当該問題を「ベクトルでただ解くだけ」として授業をしていたのなら好ましくない

とも言えそうです。図形の性質での解法にも触れつつ 2 つの解法の利点を比較する構成だと、授業の効果は高くなったと思いますし、そのうえでベクトルの定期試験には (ベクトルの解法縛り下では) 出さないのが最善だと考えます。[論点 2] 仰るとおりだと思います。定期試験での注意事項だけでなく普段の授業でのコミュニケーションがどうだったのかも気になるところです。仮に「図形の性質で解くのはダメ」と前もって公言していたとしても「なぜダメなのか」まで含めて先生・生徒の間で共通の認識を持てていなかったという点でマズかったと思います。

教育研究部の見解

■蜆一郎

こんにちは。今回のやり取りに関する教育研究部の見解を投下します。
意見等ありましたらよろしくお願いします。【教育研究部の意見】
 基本的には B 先生の意見に近く、それを大体そのまま先生 B に言わせています。A 君は「ベクトルで解けとは言われてないし書かれていない」と言っていますが、定期考査の範囲で習った考え方を使うというのは自然なことではないかと素朴には感じます。しかし先生にも次のようなマズい部分があると思います :

  • 数学的に正しいものをバツにしている : 数学を扱う際には、どんな文脈でも「数学的な正しさ」を軽視してはいけないと思います。今回であれば、個人的にはそこまでしなくてもと思うものの「ベクトルの定期試験はベクトルの理解度を見るためのものなのでベクトルを使って解くべき」というルールを前もって共有しておくべきだったかもしれません。また、ベクトルを使わない別解が前もって予想できる問題を出題することにも慎重になるべきだったと思います。

  • 図形の性質を使ったほうが速く解ける問題をわざわざベクトルで解かせている : 定期試験は授業で扱った考え方の理解度を図るものだとするならば、ベクトルの試験ではベクトルによる解法が有効となるような問題を出題すべきでしょう。もっと言うと、授業における当該問題の扱い方も考えるべきだったのではないでしょうか。

B 先生の一存で決められることではないからこそ B 先生も苦い思いをしているとは思うのですが、A 君からすれば理不尽だというのもわかります。

国語

■蜆一郎

テーマ② 本文を写す予習 : 理系学生の古文
まずは以下の状況を把握していただき、そのうえで生徒 C と先生 D によるやり取りを読んでいただきたく思います。
最終的に、生徒 C と先生 D のそれぞれの言い分にどれほど理解・共感できるかについてアンケートを取ります。[状況設定]

  • この古文の授業では、授業で扱う課題文をすべて書き写す予習が課されている。

  • 文章を写す際には、ノート 3 行分ほどの間を空け、授業内でその横に現代語訳や板書をとっていく形式が採られている。

  • 生徒 C は理系の高校 2 年生。数学や理科の勉強で大変。

[課題文]

先生 D「予習してきたか確認するぞー。…あれ?やってきてないじゃないか。どうしたんだ?」
生徒 C「やってきてないことは良くなかったです。すみません。でも僕はこの予習に意味があると思えませんでした。」
先生 D「…なるほど。今は授業をしないといけないから、言いたいことがあるなら放課後に国語科準備室に来なさい。」
 ………………
生徒 C「失礼します。C 先生いらっしゃいますか。」
先生 D「今日の授業の件だな。話は聞くぞ。」
生徒 C「古文の文章を書き写すということにあまり意味を感じられなかったんです。英語とか現代文とは違って、古文をネイティブのように使いこなす機会はないので、読めて意味が分かりさえすればいいんじゃないかと思うんです。」
先生 D「古文を実際に使う機会がないというのはその通りだな。でも読めるようになるためだけでも、文法だったり語彙だったりいろんなことを勉強しないといけないだろ?文章を書き写していると、目を通すだけではスルーしてしまうような表現や細かい部分にもちゃんと目が留まるし、"よく知らない表現があるな" "よくわからないことを言っているな"と心に引っかかっておくだけでも理解のスピードが違うと思うぞ。」
生徒 C「…なるほど。でもわからないところを炙り出すだけだったら、文章を何度も読むだけでもできるような気がしてしまいます。僕は理系で数学や理科の勉強がとても忙しくて、古文や漢文にあまり時間を割けそうにないんです。文章をコピーしてノートに貼ったり、教科書に直接書き込んだりするのではダメですか?」
先生 D「数学の勉強でも、模範解答だったり定理の証明を書き写したりするだろ?そのときは時間がもったいないと思うかもしれないけれど、文字に起こすくらいのスピードでゆっくりやるからこそ見えてくるものもあるんだ。それは古文だって同じだと思うぞ。僕は理系だからといってやり方を変える必要はないと思う。」
生徒 C「…数学に照らして説明してくださったので何となくわかる気もしました。でも、個人的に問題がないと思う部分については書かなくてもいいんじゃないでしょうか?」
先生 D「予習の段階で気づかなかったとしても、授業の中で気づくことがあるかもしれないだろ?念のために書いておいて、後で書き込みできるようにすればいいんじゃないか?」

状況設定および課題文を読んで、あなたの感覚に最も近いものを選んでください。また、何か意見がある方は文章を投下してくださると嬉しいです。

:1: 全面的に生徒 C に共感する (先生 D の言い分はわからない)

:2: やや生徒 C に共感する (先生 D の言い分も一部分かる)

:3: 両者ともに言い分は分かる    3
@コバ, @あんまん, @ゆーろっぷ

:4: やや先生 D に共感する (生徒 C の言い分も一部分かる)    4
@Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @Yuta, @Yujin

:5: 全面的に先生 D に共感する (生徒 C の言い分はわからない)    1
@Takuma Kogawa

■Takuma Kogawa

本文をコピーして貼り付けてもいいのでは、という生徒の意見はわかりますが、それ以外は先生寄りです。自分は、国語の勉強方法がまったく分からなかったため、従っておくのが無難と思って本文を書き写したりしていました。

  • 蜆一郎
    ありがとうございます。
    僕も先生 D の対応は何も間違っていないと思います。課題文にも書きましたが、理工系の専門書を読むようにゆっくり書き写しつつ語彙や文法について考えるのが効果的だと僕は思っています。仮に僕が古文を教えるとしてもそのように薦めます。ただ、古文に限らずどのような科目にも "効果的" で "正統的" な勉強方法があるとはいえ、いずれも得てして時間がかかるものだと思います。数科目ならまだしも、学校で習うすべての科目をちゃんと勉強するのは無理がありますし、自分の中で優先順位を立てて上手く手を抜くことも大事です。教える側としても、理想的な勉強法にこだわりすぎず、自分の扱う科目に対するいろんな向き合い方を尊重して妥協点を持つことも必要かと思います。今回でいえば「コピーしてノートに貼る」は問題ないと感じます。

教育研究部の見解

■蜆一郎

こんにちは。今回のやり取りに関する教育研究部の見解を投下します。
意見等ありましたらよろしくお願いします。【教育研究部(主に蜆)の意見】
 古文が好きな蜆としては D 先生の意見はとてもわかります。予習として課されていたかどうかは正直覚えていないのですが、気になる部分は書き写して品詞分解してみていました。この勉強の仕方は個人的には効果的だと思っています。ただ、複雑でなかったりある程度理解したりする文章も含めてすべてを書き写せというのは合理的ではないかもしれません。 また、このやりとりでは C 君が理系であるということが話をややこしくしている気もします。僕は理系の子がどこまで丁寧に古文を勉強すべきかということについて意見は持てません。僕だって数学や理科をちゃんと勉強していたかと言われれば怪しいですし、進路のことを考えれば古文に多く時間を割くのが難しいというのもわかります。ただ、学校の先生としては、生徒が古文をちゃんと勉強するという前提で、そのために効果的と考えられる方法を提示するのが仕事です。その意味では変なことはしていないと思います。今日を持ちまして蜆のターンは終了となります。
引き続き意見等をお待ちしておりますが、いったんここで区切りとしたいと思います。
ありがとうございました。

第2ターン

算数

■Hiroto

こんにちは。Hirotoです。
僕は「小学校における、掛け算順序問題」をテーマに、先生と生徒の対話を作ってみました。ぜひ、皆さんも一緒にあれこれ考えてみてください。ある小学校。算数のテストが返されたようですが、なにやら不穏な様子で、、、。

第一戦 掛算順序に係る諸問題少年A
先生ェェッッッ!!!!
バンッ
この『バツ』の意味がッッッ!どうしてもわかりませんッ!!
先生
どれどれ、、、。
あ〜。Aくんは『こたえ』が合ってるけど、『しき』が間違っているね笑。
もう一度問題文を読んでみようか。
少年A
「2つのみかんがのっているさらが、6さらあります。ぜんぶでみかんはいくつでしょう。」
「しき 6×2=12」
「こたえ 12こ」
、、自分で言うのもなんですけどね、僕は他の子よりも勉強してる自負がありますよ。少なくとも『自負』なんて言葉を使えるくらいにはね。
僕は、、掛け算では『交換法則』が成立することを、、知っている、、、!
なぜッ!なぜ、6×2では『バツ』で!2×6では『マル』なんだッ!その『理由』が聞きたい!!聞くまで帰れないッ!
先生
Aくん、、。君の熱意はよくわかったよ。私も少々、『本気』を出してみよう。君のような生徒は久しぶりだからね。
まず、大前提として一つ断っておく。
「2を6回足すこと」は、「6を2回足すこと」とは、、、、全く『違う』。
少年A
ッッッ!!?、、、馬鹿げてます!
2+2+2+2+2+2=6+6=12
でしょ!?イコールってのは『等号』!『等しい』ことを表す『記号』だッ!
先生
全くその通り。“数の上では“、もちろんその2つの値は同じだ。
でもその『行い』、、。思考の枠組みがまるで『違う』。これは、そういう類の話なんだ。
教科書を開くことはできるかい?
教科書においてこの類の掛け算の文章問題を扱うとき、全ての局面にて
(単位あたりの数量)×(何単位)=(数量の合計)
(ひとつ分)×(いくつ)
で統一されているはずだ。
少年A
確かに、、。確かにそれはそうですね。
先生
君の、、。君のその『しき』は、「6つのみかんがのったさらが2さらある」ときの『しき』、というわけだ。
少年A
う〜ん、、、。何か、、。何か腑に落ちないですね、、。
先生
同様のケースはよくあって、例えば「うさぎが8わいます。みみのほんすうはあわせていくつ?」という問題に、「しき 8×2=16」なんて答えちゃうと、うさぎ一羽の耳が8個あることになっちゃうんだ!
、、、いやまぁ別にこのご時世だし、実社会において奇形が悪いって言うわけじゃあないけども、やっぱり算数のモデル化された問題としてはこんなのおかしいでしょ?だから「2×8=16」にしないとだめって教えるわけね。
少年A
なるほど、、、。
僕が今の話を聞いてすぐ頭に浮かんだのは、、。「4×100mリレー」。
先生
、、、!!!
☆ザ・勘のいいガキ、、!
つづく解説

:Hiroto
掛け算順序をめぐる先生と生徒の戦いが幕を開けました。
今回の論点は「算数的にどうなの?」という問題提起です。
数として正しい言明も、それが日常の行為の適切な投影になっていなければ良くないのか。そういったことをめぐる戦いと言えます。
その意味で、これは「数学的にどうなの?」という問題提起ではありません。数学的には「日常の行為の適切な投影になっているか」は(建前上・表面上は)真偽や数学的善悪に影響しません。最も、社会的意義があるかに関しては一考の余地がありますが。
算数とは、小学生が『日常の事象』を抽象化された数的概念で捉えられるようになるためのものです。机上に収まった学問であってはならず、その意味では数学よりも経験科学に近しいものとなっています。
先生は、算数のこの側面を強調して、生徒を諭そうとしていたわけですね。
次回へ続きます。

あなたなら、この少年Aの「しき」にどのような採点をしますか?

:1: マル    2
@あんまん, @コバ

:2: バツ    3
@Naokimen, @Takuma Kogawa, @Yujin

:3: サンカク    1
@Yuta

■Naokiman

・学校のテストはあくまで授業の理解度を確認するためのものであること
・立式する際に意味を考えずに問題文に出てきた文字をただ掛けただけの人との区別以上の理由から小学校の採点としては、バツにせざるを得ないと思います。このような問題が起こる理由の1つに小学校の算数では途中過程として数式だけを書かせるということがあると思います。「6さら×2こ/さら=12こ」のように単位付きで式を書かせたり高校以降の数学のように途中過程を数式だけでなく日本語も含めて書かせたりすると、掛け算の順序問題を気にする必要はないと思いますが、これらのことは小学生には難しすぎるので途中過程として数式を書かせるということしかできず、数式のみから理解しているかを判断するためには掛け算の順序に意味を持たせるということをせざるを得ないと考えています。直方体の体積の公式「縦×横×高さ」のようなものは立体の見る方向にもよるので掛け算の順序を気にする必要はないと思いますが、今回のような問題では小学校においては掛け算の順序に意味があるものとして教えるのは理にかなっていると思いますし、少年Aのような子には掛け算の順序を逆にしても結果が変わらないことを理解した上で学校のテストでは教科書に書かれた掛け算の順序で立式するように指導するのがいいかと思います。

  • Hiroto
    ご意見ありがとうございます。この一つ後のkogawaさんの発言や、僕の最終結論を見てもらうと分かる通り、やはり「しき」だけから情報を読み取るのには限界がありますね。
    ここでの議論すべて、無垢な生徒には参加がかなわないというのが難しいところです。

■Takuma Kogawa

たとえば、「6人にみかんを2つずつ配ります。みかんは何個必要ですか」という問題を考えます。算数の教え方に基づけば
2(個/人)×6(人)=12(個)となります。では、現実にみかんを配る操作を考えます。規則的な配り方として以下が考えられます。
①1人に2個ずつ配る操作を6回行う。
②1人に1個ずつ、6人に配る操作を2回行う。
これを立式するなら、
①2(個/人)×6(人)=12(個)
②6(個/回)×2(回)=12(個)
となるでしょう。課題文の状況においては、その状況に至る操作を考慮せずに結果だけを見て立式するから「かけられる数」と「かける数」の順序は1つに定まると言えるかもしれませんが、同じ問題の言い方を変えるだけで数字を入れ替えた式も算数的に正しくなることがあります。つまり、数字のみの式では、解答者が正しく理解しているかを判定することはできないということです。順序について理由をつけるのはかまいません。しかし、理屈をこねくり回すよりは、学校では「そういう順序になっている」として教えてしまうのがいいように思います。順序に疑問を持つような児童は親に質問したりすると期待して、学校は一律のルールにするのがベターと考えます。Naokimenさんの示した直方体の体積は、基本的にはかける単位がすべて同じだから順序が問題にならないのだと思います。

  • Hiroto
    完全におっしゃっている通りです笑。僕の3日目の議論そのものですね。後半の議論は、個別最適化か一律かという論点で語れると思います。その話もこれから教育研で扱われるかと思うので、楽しみにご期待ください。

■Hiroto

第二戦 掛算順序教育に係る諸問題
少年A

なるほど、、、。
僕が今の話を聞いてすぐ頭に浮かんだのは、、。「4×100mリレー」。
先生
君は、最高だ!!!教師冥利に尽きるよ。
早速算数の範疇を出てしまうけど、結論。「小学校の、算数のテストに限っては、(ひとつぶん)×(いくつ)の順に書くべき」。
もう算数の話じゃなくて、『算数のテスト』の話であり、『教師と生徒』の話であり、『教育効率』の話なんだ。
少年A
なるほど、、。そこまで一貫して開き直られると、むしろ筋が通っていて清々しいですね!
先生
せっかく算数の範疇を出たから、この文脈における『テスト』とは何かを定義しておこう。
テストとは、ある期間中に授業で教えた知識が正しく運用されているかを、教員が確認するためのものなのだ!
少年A
、、、、。当たり前じゃあないですか?
先生
ここでポイントなのは、「教員が確認するためのもの」という部分。これがテストの『存在意義』であり、『目的』なんだ。
できる限りこの目的のために手段、、つまりテストの形式・内容は最適化されなくっちゃあならない。
君たちは、いつも「算数・数学的にはこう!」「生徒の気持ちを考えて、、」としか言わないだろう?「教員のため」という視点が抜け落ちているんだよ!
少年A
確かに、本題とはずれますが、最近は過剰な教員叩きがエスカレートしているように思えますね。
僕は今回の問題はさておき、先生のことは好きですよ!
先生
ありがと!笑
話の続きだけど、この掛け算順序という名の『型』を強制することで、テスト答案を一目見るだけで生徒が「ひとつぶん」と「いくつ」を明確に理解できているかが分かる。
これは、生徒の理解度を正確かつスピーディーに見抜くための、win-winな取り決めなんだ。
その意味でこの取り決めは『政治的』で、『学問的』ではないと言えるね。皮肉じゃあないけど、君みたいにたくさん勉強している子は『学問』に寄りすぎるきらいがある。今日はいい勉強になったんじゃないかな?
少年A
完璧に納得できたわけじゃ、、ないです。
けど、少し『大人』になれた気がします。
またわからないことがあったら聞きますね!
先生
うむ!
☆平和的解決、、?
つづく

解説:Hiroto
今回は昨日と違い、「教育的・政治的な問題提起」です。算数の範疇は出ました。
生徒の言うように、具体的な事象であれ、日常には「4×100mリレー」のようなものはゴロゴロあります。レシートなんかもこの順だったかと思います。
日常との結びつきを重視する割に、そこのところ詰めが甘くない??と生徒は問うたのですね。
そこで先生、完全に開き直ります。算数の話を抜け出し、テストとは何かについて語り出しました。
生徒は煙に巻かれたような気持ちになりましたが、一応筋が通っているように感じたため、一旦家に持ち帰ることになります。さあ、どうなる、、、?最終回へ続きます。

■Hiroto

第三戦 自然言語に係る諸問題翌日、、、
少年A
一晩経ってよく考えたんですけどね、、。やっぱり納得いかないですよ!
先生
ふむ、、。話を聞きましょうか。
少年A
テストのときに僕がどう考えたか。それを、思い出したんです。
僕は、、ッ!『全皿から一つずつとる』行為を繰り返して数えたッ!
先生
ふむ、、、、、。、、、、ッッッ!!???!?
少年A
先生、、。昨日、、あなたが言ったんだ。
(ひとつぶん)×(いくつ)にしなきゃいけない理由を随分長々と、、!
『全皿から一つずつとる』行為一回分で6個ッ!それを2回で、、6×2だッ!!
先生
こっちの土俵に立った上で、、その上で6×2、、。
完全に想定外だ。君は本当に、最高の生徒だ。
少年A
別に、『マル』にしてくれなんてもう言うつもりはないんです。
僕は『納得』を手に入れた、、!自分で思考過程を説明することができればオールOKだってわかりましたよ。
先生
私も傲慢だった、、。「しき」を『思考過程』だと捉え、そこから『自然言語的情報』を、忖度して、読み取る。
この行為の恣意性に非自覚的だった、、。
「算数とは、日常との結びつきが根底にある教科だから、“しき“に日常が投影されているべきだ」「テストとは、教員の効率を上げるために最適化されているべきだ」この信念は間違ってはいなかったみたいだね。
ただ、何も補助的な自然言語のない「しきの書き方」から、一意的に“意味“を読み取ろうとしたのが傲慢だった、、。
少年A
僕は先生を『論破』したかったわけじゃあないんです。
強いて悪者を挙げるとするなら、画一的に「しき」の欄を設けている『試験作成業者』でしょうね、、。
先生
なるほど、、、。かといって自分でテストをつくれるほど小学校の先生は暇ではないんだ、、、。
根本的に必要なのは、その他業務の効率化。そして、試験作成業者を交えた抜本的な改革。こういったところになってくるのかな。
「しき」なんて欄じゃなく、「かんがえ」みたいにして過程を書いてもらうのが理想な気がしてきたよ。もちろん採点の手間はかかるが、そのためにもその他業務の効率化を図るべきだと思う。
効率化は目的のためになされるべきで、今のような「日常をどう投影したのかが読み取れない算数のテスト」は目的に則しているとは言えないね。
少年A
僕の思っているよりも、はるかに先生の方が色々考えていたんですね。当たり前ですが、改めて尊敬しました。
昨日は、怒りのあまり落ち着きのない態度で突撃してしまい、すみませんでした。
実りのある議論ができて本当に楽しかったです!
先生
私も非常に楽しかったよ。ありがとう。
☆二人の議論は社会の縮図、、!
おわり

解説:Hiroto
先生の土俵に乗っかってやっても、それでもおかしいぞと、改めて言いにきた生徒。
二人の決着は、稀に見る平和的解決で幕を閉じました。
しかし、こんなに物分かりの良い先生と生徒、そんなには世の中に多くないような気がします。
大抵どちらかが見栄を張ったりして、また親が乗り込んできたりして、もっとややこしいことなります。「隣のクラスは違うのに!」とかもあるでしょう。
これは数学部のwsでも言いましたが、「自分で行ないの内容と理由・基準を説明できる」ことが大事です。そうすれば毅然とした態度で議論ができます。
そうでなければ、そもそも議論ができないのです。Twitterなどで見られる議論めいたものは、一方に知識が偏りすぎていたり、一方は現場にいない第三者だったりで、冷静に見れば議論になっていないものばかりです。
もちろんそういったSNSでの小競り合いで情報が良いように広まることもあるとは思いますが、少なくとも、第三者は現場の人間への敬意を忘れず、現場の人間はより良い効率化について常に考え続けることが重要だと思います。
いつか、大学入試改革で散々言われている「思考力」志向の考え方が、初等教育でも適切な形で導入されることを願って、私の投稿は以上とさせていただきます。ありがとうございました。

今のあなたなら、この少年Aの「しき」にどのような採点をしますか?

:1: マル    4
@あんまん, @コバ, @Yujin, @イヤープラグさざなみ

:2: バツ    2
@Naokimen, @Takuma Kogawa

:3: サンカク

■Takuma Kogawa

この問題の正誤をどうするかよりも、考え方は合っていて採点基準のせいで減点された児童にどのようなケアをするかが重要かと思いました。「その方法でも問題ないが、テストでは形式的にこのように答えるのがよいだろう」という現実適応力をイヤでも理解させられる案件として、家庭での教育に活かせると思います。高校でいえば極限の問題で前提条件を気にせずにロピタルの定理を使えば答えは合わせられるが、まあそれはよくないよね、というのは採点者と解答者で共通の理解があります。こういったことが小中学校でもあるといいですね。

  • Hiroto
    ロピタルの件、定期試験ではまさにそうなのですが、大学受験でロピタルを使ってもおそらく(明確には分かりませんが)減点はされないかと思います。この定期試験と受験での差も、別口で議論されるべき話題ではありますね、、。

■けろたん

教師側として把握したいのは、問題文に出てきた数字をなんとなく掛けて答えを得ているのか、それとも何がいくつセットあるか理解した上で立式できているかだと理解しています。
問題を解く上で

  1. 問題を読んでものとセット数の対応を掴む

  2. 状況設定にもとづいて立式する

  3. 式を計算して答えを得る

の段階を経るとして、解釈の余地がある2でローカルルールを導入するよりも、1の段階にアプローチしたほうがよいと思います。具体的には、問題文を複文、重文にするなどして対象とセット数の対応を分かりにくくすれば良いのではないでしょうか。国語のカリキュラムとの兼ね合いで、問題文に用いてよい表現の複雑さに制約などがあるのでしょうか。

  • Hiroto
    複雑さの制約に関しては、単純に紙面と問題数と文字数の都合という気がします。複雑な問題一つよりも、単純な問題五つみたいな思想だと思います。それ自体は間違っているとは思いませんが、単純な問題の採点の仕方まで単純化しすぎるのはどうなのかと思います。今回の話はそういった問題提起ですね。お付き合いくださりありがとうございます。

  • けろたん
    返信ありがとうございます。
    読み取り能力を要求しないならドリルでいーじゃんと思っていたのですが、教育現場ではドリルと読解の橋渡しを単純な文章問題が担っているのかもしれません。読解能力の一様な発達を前提としていたので見落としていました。(おまけ)
    自分の投稿を見返して気づいたのですが、「もの x 個数」と「個数 x もの」の順序に言及するのを忘れていました。いわゆる「掛け算の順序問題」について言えば、かけ算の順序を固定することによる採点コストの低下は大したものではなさそうなので、順序はどっちでもいーじゃん派です。
    他方、人間の認知能力には制限があるため、記述になんらかの統一性が望まれる場合があるのは確かだと思います。それを人間の都合とするか、数の都合とするかは結構難しい問題だと思います。

英語

■シト

おはようございます。
シトです。
学校における英語教育特有の問題を扱っていきます。具体的には、「なんでコミュニケーション重視と言っているのに試験では違うの?」です。
なお、ここでは、小学5・6年生で教科として英語が行われる時代より前の時代であることを前提としています。
今回扱う内容は、あまり馴染みのない用語などが出てくるため、ゆっくりめの進行とさせていただきます。
また、チェックリストを設けます。
チェックリストは内容を簡単にしたものなので、読んだ後にチェックを入れて確認していただけたらと思います。
では、よろしくお願いします。最近コミュニケーション重視ということで、入試に英会話がはいるなどして話題になって批判が集まっています。
今回は、そのような状況で悩む生徒とその生徒を教える先生という場面で考えていきます。

1日目
生徒A「英語が嫌いになってきました。」

先生B「どうしたんだ?相談に乗るぞ。」

生徒A「中学校に入学するときは、これからどれだけ楽しくなっていくのかなとワクワクしていました。でも、入ってからは教科書の内容に大半の時間が使われてみんなと活動する時間が少なくてがっかりです。もっといっぱいみんなと活動できると思ってたのに…」

先生B「小学校ではALTとおしゃべりしたりゲームを一緒にいっぱいしてたりしてたもんな。」

生徒A「はい。なのにそれが中学では減って、テストもされるようになってどんどんつまらなくなって…」

先生B「じゃあ、活動が減って、テストがされるようになったのが今のAの気持ちの原因なのかもしれないな。」

生徒A「なんでテストが行われるんですか?文法テストとか読解テストとかなかったら活動にもっと時間が使えるのに…」

先生B「テストがなんであるかか。まず、学校のテストってなんでやると思う?それは授業で学んだことがしっかりと定着しているかどうかを判断するためだ。テストでは、知識を試す。やってきた文法や文章が問われて点数になるだろ?それをもとにどれくらい理解できているかを測るんだ。」

生徒A「テストがある理由はわかりました。じゃあ、そのテストでいい点数が取れれば英語ができるっていうことなんですか?」

先生B「英語ができるってことかどうかか。難しいところにいったね。それは、後で説明するとして、点数が取れれば英語ができるということにはならないよ。どうしてかわかるか?それは、さっきも言ったように授業で学んだことの定着度を見ているからだ。つまり、教室という限定された環境の中で使われて試される知識の体系や運用の技術を見ているということになる。」

生徒A「そこを補うのが活動ということですか?」

先生B「そうなるね。今までの話を言葉の構造についての内容だったとすると、活動は言葉の運用ということになるね。言葉を運用するにはそもそも言葉の構造が基礎になるから必要不可欠だ。だからと言って構造がいくらわかっているからと言って、それだけで運用できるというものではない。」

生徒A「構造以外に何が必要なんですか?」
先生B「いい質問だね。いい例えがあるんだ。言葉はよくゲームに例えられる。ゲームでいう構造は、ルールのことだ。例えば、将棋の駒をどのように並べればいいのかとか動かせばいいのか、どうなれば勝ちなのかとかを知っているということだ。でも、それを知っているだけでは、ゲームは全然うまくいかない。最初にどこに駒を置くのか、相手の動きに合わせて次をどう読むか、定跡どおりに指すとどうなるかみたいに、ルールに加え、相手との駒との関係つまりコミュニケーションによって判断しないといけない。」
生徒A「英語ができるというのは、ルールをしってそれを適切に使うことができるということなんですね。」
先生B「そうなるね。また、何か疑問があれば聞きに来てね。」

次回へ続く。

1日目の内容理解チェックリスト

:1: なぜコミュニケーション重視と文法テストが共存しているかについて扱っている。    5
@Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @Yujin, @けろたん, @Yuta

:2: テストは授業で扱ったものの定着度を測っている。    5
@Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @Yujin, @けろたん, @Yuta

:3: 英語ができるとは、構造理解とその適切な運用ができるということだ。    5
@Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @Yujin, @けろたん, @Yuta
1日目の内容を踏まえたうえで、あなたの感覚に最も近いものを選択してください。また、意見がある方は文章を投下していただけると嬉しいです。

:1: 全面的に生徒Aに共感する(先生Bの言い分はわからない)

:2: やや生徒Aに共感する(先生Bの言い分も一部分かる)

:3: 両者ともに言い分は分かる    3
@Naokimen, @コバ, @Yujin

:4: やや先生Bに共感する(生徒Aの言い分も一部分かる)    2
@イヤープラグさざなみ, @Yuta

:5: 全面的に先生Bに共感する(生徒Aの言い分は分からない)

■シト

おはようございます。
前回は続きをあげます。

2日目。
生徒A「先生、昨日の話で質問があります。」

先生B「わかった。なんだい?」

生徒A「昨日、英語ができるのは、ルールを知ってそれを適切に使うことができることだと言ってましたよね。」

先生B「そうだね。両方が必要だね。言葉でいうルールは文法で、文法書はルールブックってことになる。活動は、実際の言葉の運用とか言語実践というルールブックには書かれてないものだね。」

生徒A「そこで質問なんですけど、それなのにALTの先生と話す時間は少なくなってませんか?」

先生B「なるほどね。英語ができるの英語が何なのかという問題につながる質問だね。一つジョークを教えよう。世界で最も頻繁に、たくさんの人々によって話されている英語ってどんな英語でしょうか。」

生徒A「アメリカ英語ですか?」

先生B「違うんだなそれが。答えは、Broken English(壊れた英語)だ。」

生徒A「壊れたってどういうことですか?」

先生B「これは英語がいまやネイティブ・スピーカーだけのものではなくて、英語を母語としない人たちにも広く使われるようになってきていることを意味している。国際公用語としての英語ということだね。ALTと言っていたけど、実は彼らは英語圏出身とは限らないんだ。あくまで、助手とか補助の位置づけだからね。国際共通語として対話しているから僕と授業で英語で対話するのも変わらない。あと、話すだけが運用だと思ってないかい?コミュニケーションと聞くとどうしても話すことに注目しがちになると思うんだ。」

生徒A「たしかに、小学校のときのALTとのゲームもそれをしながら話していたということを考えて挙げました。」

先生B「コミュニケーションは相手を想定して運用することだ。話すことは直接相手が必要だからわかりやすいけど、これは文章でも同じなんだ。書くというのは相手が必要だ。それは自分だったりすることもある。授業はそんな難しいことではなくて、意見を交換する前提で大体書かせるだろ。これもコミュニケーションだ。コミュニケーションには4技能がそろっている。」

生徒A「なるほど。」

先生B「英語ができるを目指すために、ルールとその運用が必要になる。コミュニケーションには4技能がそろっているから、運用として重視している。運用には基本のルールも必要だからその定着度を測るためにテストが必要ということになるね。だからコミュニケーション重視とテストでルールを聞くということが共存しているんだ。」

2日目の内容理解チェックリスト

:1: Broken Englishとは、英語が国際公用語として使われているということを意味している。    4
@Naokimen, @けろたん, @Yujin, @Yuta

:2: コミュニケーションには4技能が揃っている。    2
@Yuta, @Naokimen

:3: コミュニケーション重視は英語ができることの条件の運用に該当している。    4
@Naokimen, @けろたん, @Yuta, @Yujin

:4: 文法テストは英語ができることの条件のルールに該当している。    3
@Naokimen, @けろたん, @Yuta
2日目の内容を踏まえたうえで、あなたの感覚に最も近いものを選択してください。また、意見がある方は文章を投下していただけると嬉しいです。

:1: 全面的に生徒Aに共感する(先生Bの言い分はわからない)

:2: やや生徒Aに共感する(先生Bの言い分も一部分かる)

:3: 両者ともに言い分は分かる    2
@Naokimen, @Yujin

:4: やや先生Bに共感する(生徒Aの言い分も一部分かる)

:5: 全面的に先生Bに共感する(生徒Aの言い分はわからない)    1
@Yuta

■コバ

教育研究部さんの今回のWSでは「学校のテストは授業の内容の定着度を測るためのもの」という考え方を元に物語を進行していると思います。
一方大学入試に目を向けると、大学入試は「学校の授業の内容の定着度を測るためのもの」にはなっていないと思います。
そこに構造的な問題があるのだと、今回のWSに参加させていただき改めて感じました。

  • シト
    その構造的な問題のせいで、受験勉強に特化した勉強を本来の勉強だと思ってしまうことが起きているのかもしれません。所長もよく受験から変えれば解決すると言っていました。
    実は、英語教育の教育法という理論を学ぶときに、受験を変えなければならないという内容が出てきます。わかってはいるものの、一度作り上げ、定着してしまったものをどうこうするのは非常に困難なことなんだなと感じます。

■あんまん

英語4技能とよく言いますが、本当に4技能だけだろうかと、ふと疑問が湧きました。読む、書く、話す、聞くが英語の4技能とされているみたいですが、「考える(thinking)」とかも英語を使用するうえで必要な技能であると思います。けれども、教育を進めるうえで、試験の採点などで「考える」を採点することはやっかいです。他人の頭の中を覗くことはできませんから。4技能という分け方は、英語ができるという到達目標が自分ではなく他人の評価によって決められることを示すと思いました。

  • 事後スレッドにて
    シト
    英語で考えるというのが根本にあり、それを評価するために4技能という人が出せるものをできるだけ使って測定しているのでしょう。それもあって英語で授業することが前提とされているのだろうと思います(今の英語教育はほぼ英語でしないといけないことになっている)。試験で測るのでそれが他者によって決定されるのはしょうがないことですが、それはあくまで試験においてです。その試験へとつながるまでの過程で自分基準での成長を感じられるよう努めるのが人間である教師の重要な役割なのかもしれないなと思いました。根本には何があるのか。これをちゃんと意識することが基礎であり、大切なことであると思います。

教育研究部の見解

■シト

私のターンの教育研究部(主にシト)の意見を投下します。
 この先生の文章自体、私が生徒に質問された時を想定して考えたものであるため、先生Bの意見はとても分かります。しかし、自分が生徒だった時の担任にこれを言われたら納得がいかないでしょう。なぜなら、問題が授業で行ったものを覚えているかどうかというほぼ暗記テストだったからです。授業の内容の定着と言われれば、そこで扱ったものを出しているので当てはまっていますが、それは表面上でしかありません。先生が穴埋めにしたところがどこなのか、「ここでるぞ」と言ったところはどこなのかといったものの確認が大半でした。必要なのは行ったものの根本にある普遍的なものがわかっているかを測れているかどうかです。
 その普遍的なものを測ることは当然のことですし、教科教育法でも習うはずです。しかし、現実でしっかりとやっている人が少ないのは、仕事の環境が影響していると考えています。そういう意味でも教師の働き方改革というものは大切だなと思います。

まとめ

■シト

今回のWSでは、学校教育におけるローカルルールについて具体的な場面を想定して紹介していきました。
今までの、教育研のWSの中でも参加しやすくわかりやすいものとなったと思います。蜆さんのターンでは、数学におけるよくある問題から始まり、古典で皆さんが経験したことがあるであろう状況を紹介しました。
ヒロトくんのターンでは、よくネットで話題となる算数の問題について紹介しました。
僕のターンでは、最近話題にされ、これからもっと話されることになるであろう英語教育の問題について紹介しました。全体に共通する重要なものに学校におけるテストとは何なのかというものが挙げられました。
この内容は当然と言えば当然ですが、非常に大切なことなのでよく意識してほしいなと思います。このWSをきっかけに身近な教育問題を考えてもらえたら幸いです。2週間ありがとうございました。


以上が、教育研究部WS『学校教育におけるローカルルール』のログです。
次回もよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?