ワークショップ第50回『学校教育におけるローカルルール』[20230306-0319]#JLWS
皆さん こんにちは。
ジェイラボ教育研究部部長のシトです。
今回のWSでは、身近な教育問題を扱いました。
挨拶
■シト
おはようございます。
教育研究部部長のシトです。
本日から2週間を通して教育研究部のWSを行います。
よろしくお願いします。今回のテーマは「学校教育におけるローカルルール」です。
学校教育特有の問題を扱っていきます。
皆さんも体験したことがあるであろう問題や最近の問題を扱っていくので、
それらを一緒に考えていきましょう。WSは以下のように進む予定です。第1ターン 蜆 数学、国語関連
第2ターン Hiroto 算数関連
第3ターン シト 英語関連それでは皆さん、よろしくお願いします。
第1ターン
■蜆一郎
[教育研究部 WS 2 日目]
おはようございます。今日から 5 日目 (金曜日 10 日) までは蜆一朗が担当いたします。ローカルルールというテーマですが、僕が担当するターンでは、自分が高校生だった頃を思い出して、同級生の多くが納得いっていなかったものを 2 つ紹介したいと思います。主な日程は次の通りです。
3/7 (2 日目) テーマ① 課題文紹介 ~定期テストにおける高校数学の解法縛り~
3/8 (3 日目) テーマ① 夕方ごろに見解紹介
3/9 (4 日目) テーマ② 課題文紹介 ~本文を写す予習 : 理系学生の古文~
3/10 (5 日目) テーマ② 夕方ごろに見解紹介
それではよろしくお願いします。
数学
■蜆一郎
テーマ① 定期試験における数学の解法縛り
まずは以下の状況を把握していただき、そのうえで生徒 A と先生 B によるやり取りを読んでいただきたく思います。
最終的に、生徒 A と先生 B のそれぞれの言い分にどれほど理解・共感できるかについてアンケートを取ります。[状況設定]
高校数学では、1つの問題に対して何通りもの解き方が存在する場合がある。
生徒は高校2年生で「ベクトル」の範囲を出題範囲とする定期試験を受けた(ベクトルは図形の考察に有効な手段)。
「図形の性質」は高校1年生のときにすでに習っていて、高校2年の今「ベクトル」を習っている。
「図形の性質」を使っても「ベクトル」を使っても解ける問題が、その定期試験に出題されていた。
[課題文]
状況設定および課題文を読んで、あなたの感覚に最も近いものを選んでください。また、何か意見がある方は文章を投下してくださると嬉しいです。
:1: 全面的に生徒 A に共感する (先生 B の言い分はわからない) 3
@Naokimen, @コバ, @Yuta
:2: やや生徒 A の意見・感覚に近い (先生 B の言い分も一部分かる) 2
@Yujin, @ゆーろっぷ
:3: 両者ともに言い分はわかる 2
@Takuma Kogawa, @あんまん
:4: やや先生 B の意見・感覚に近い (生徒 A の言い分も一部分かる) 1
@シト
:5: 全面的に先生 B に共感する (生徒 A の言い分はわからない) 1
@西住
■Takuma Kogawa
教員採用試験では解法を限定して出題すると聞いたことがあります。その学年までの知識で解答できるように、例えば中学数学を教えるのにベクトルを持ち出したりしないように求めているのだと思います。また、数年前の浜松医科大学の入試では小問を複数の解法で解かせる出題がありました。
学校教育は学習指導要領に定める知識技能を身につけることが目的にあるため、教員がベクトルを使った解答を求めることに一定の合理性はあると思います。採点基準は出題者側がすべて握っていることも現実として受け入れるべきと思います。
大学入試などは誘導を無視したりどんな道具を使ってもよく、学校の試験とは「別の競技」であることを認識して、これが社会であると諦めて友達とグチでも言うのが健全です。
蜆一郎
ありがとうございます。
数学ではもちろん数学的に正しいかどうかが唯一の基準になりますが、Kogawa さんが挙げてくださっているように、ある文脈のもとでは解法に制限や条件を加えることに合理性が生ずることもあると思います。その文脈を作り出せるのは出題者側だけであるため、解答者側に不満が生まれることはやむを得ないですが、少しでもそれが減らせればなと思います。
■けろたん
採点者の作問の失敗と注意書きの不備で起きた問題が、「解答者が空気を読めていない」ことに転嫁されているのがこのトラブルのモヤモヤポイントだと思いました。論点1
課題に対して異なる2つの解法があるとき、1つのやり方を知っているのにわざわざもう一つのやり方を学ぶのは、新しいやり方に何らかの利点があるからだと思います。ベクトルという考え方の有用性を理解させるための試験なら、ベクトルでなら簡単に解けて、図形の性質では解けない、解くのに骨が折れる問題を出題すべきだと思います。論点2
「先生」は、採点者としては、解答として答案に書かれていないもの(ベクトルの理解)を状況証拠(他の問題はベクトルで解けていること)から積極的に評価しないと言っていますが、解答者は暗黙の前提を読み取って、どこにも書いてなくてもベクトルを使って解くのが当然であると主張しています。察するためのコミュニケーションコストを相手にのみ要求するのは、横柄だと捉えられてもしょうがないと思います。
注意書きに、ベクトルを使って解くべし、と書いてさえいればよかったのではないかと思います。
蜆一郎
ありがとうございます。「定期試験は授業の理解度を測るもの」という主張の一方で「授業はどれほど効果的であったか」という検証はあまりされないように思います(基本的にはそれをテストの出来で判断するのかもしれません)。アンケートを取っても、その意見をフィードバックしたベクトルの授業を次に受けるのは 1 つ下の学年になりますね T^T 少しでも授業やテスト勉強の効果を上げるためにできそうなことを、けろたんくんの意見を踏まえて書いてみたいと思います。[論点 1] まずはけろたんくんのいうとおり、ベクトルの定期試験では図形の性質よりもベクトルのほうが解きやすい問題を選んで出題する
べきであり、その意味では例の問題を定期試験に出題したのは失敗だったと思います。しかし一方で、ベクトルによる考え方を理解するための教材としては重要な意味を持つ問題ではあります。そのため
当該問題を「ベクトルでただ解くだけ」として授業をしていたのなら好ましくない
とも言えそうです。図形の性質での解法にも触れつつ 2 つの解法の利点を比較する構成だと、授業の効果は高くなったと思いますし、そのうえでベクトルの定期試験には (ベクトルの解法縛り下では) 出さないのが最善だと考えます。[論点 2] 仰るとおりだと思います。定期試験での注意事項だけでなく普段の授業でのコミュニケーションがどうだったのかも気になるところです。仮に「図形の性質で解くのはダメ」と前もって公言していたとしても「なぜダメなのか」まで含めて先生・生徒の間で共通の認識を持てていなかったという点でマズかったと思います。
教育研究部の見解
■蜆一郎
こんにちは。今回のやり取りに関する教育研究部の見解を投下します。
意見等ありましたらよろしくお願いします。【教育研究部の意見】
基本的には B 先生の意見に近く、それを大体そのまま先生 B に言わせています。A 君は「ベクトルで解けとは言われてないし書かれていない」と言っていますが、定期考査の範囲で習った考え方を使うというのは自然なことではないかと素朴には感じます。しかし先生にも次のようなマズい部分があると思います :
数学的に正しいものをバツにしている : 数学を扱う際には、どんな文脈でも「数学的な正しさ」を軽視してはいけないと思います。今回であれば、個人的にはそこまでしなくてもと思うものの「ベクトルの定期試験はベクトルの理解度を見るためのものなのでベクトルを使って解くべき」というルールを前もって共有しておくべきだったかもしれません。また、ベクトルを使わない別解が前もって予想できる問題を出題することにも慎重になるべきだったと思います。
図形の性質を使ったほうが速く解ける問題をわざわざベクトルで解かせている : 定期試験は授業で扱った考え方の理解度を図るものだとするならば、ベクトルの試験ではベクトルによる解法が有効となるような問題を出題すべきでしょう。もっと言うと、授業における当該問題の扱い方も考えるべきだったのではないでしょうか。
B 先生の一存で決められることではないからこそ B 先生も苦い思いをしているとは思うのですが、A 君からすれば理不尽だというのもわかります。
国語
■蜆一郎
テーマ② 本文を写す予習 : 理系学生の古文
まずは以下の状況を把握していただき、そのうえで生徒 C と先生 D によるやり取りを読んでいただきたく思います。
最終的に、生徒 C と先生 D のそれぞれの言い分にどれほど理解・共感できるかについてアンケートを取ります。[状況設定]
この古文の授業では、授業で扱う課題文をすべて書き写す予習が課されている。
文章を写す際には、ノート 3 行分ほどの間を空け、授業内でその横に現代語訳や板書をとっていく形式が採られている。
生徒 C は理系の高校 2 年生。数学や理科の勉強で大変。
[課題文]
状況設定および課題文を読んで、あなたの感覚に最も近いものを選んでください。また、何か意見がある方は文章を投下してくださると嬉しいです。
:1: 全面的に生徒 C に共感する (先生 D の言い分はわからない)
:2: やや生徒 C に共感する (先生 D の言い分も一部分かる)
:3: 両者ともに言い分は分かる 3
@コバ, @あんまん, @ゆーろっぷ
:4: やや先生 D に共感する (生徒 C の言い分も一部分かる) 4
@Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @Yuta, @Yujin
:5: 全面的に先生 D に共感する (生徒 C の言い分はわからない) 1
@Takuma Kogawa
■Takuma Kogawa
本文をコピーして貼り付けてもいいのでは、という生徒の意見はわかりますが、それ以外は先生寄りです。自分は、国語の勉強方法がまったく分からなかったため、従っておくのが無難と思って本文を書き写したりしていました。
蜆一郎
ありがとうございます。
僕も先生 D の対応は何も間違っていないと思います。課題文にも書きましたが、理工系の専門書を読むようにゆっくり書き写しつつ語彙や文法について考えるのが効果的だと僕は思っています。仮に僕が古文を教えるとしてもそのように薦めます。ただ、古文に限らずどのような科目にも "効果的" で "正統的" な勉強方法があるとはいえ、いずれも得てして時間がかかるものだと思います。数科目ならまだしも、学校で習うすべての科目をちゃんと勉強するのは無理がありますし、自分の中で優先順位を立てて上手く手を抜くことも大事です。教える側としても、理想的な勉強法にこだわりすぎず、自分の扱う科目に対するいろんな向き合い方を尊重して妥協点を持つことも必要かと思います。今回でいえば「コピーしてノートに貼る」は問題ないと感じます。
教育研究部の見解
■蜆一郎
こんにちは。今回のやり取りに関する教育研究部の見解を投下します。
意見等ありましたらよろしくお願いします。【教育研究部(主に蜆)の意見】
古文が好きな蜆としては D 先生の意見はとてもわかります。予習として課されていたかどうかは正直覚えていないのですが、気になる部分は書き写して品詞分解してみていました。この勉強の仕方は個人的には効果的だと思っています。ただ、複雑でなかったりある程度理解したりする文章も含めてすべてを書き写せというのは合理的ではないかもしれません。 また、このやりとりでは C 君が理系であるということが話をややこしくしている気もします。僕は理系の子がどこまで丁寧に古文を勉強すべきかということについて意見は持てません。僕だって数学や理科をちゃんと勉強していたかと言われれば怪しいですし、進路のことを考えれば古文に多く時間を割くのが難しいというのもわかります。ただ、学校の先生としては、生徒が古文をちゃんと勉強するという前提で、そのために効果的と考えられる方法を提示するのが仕事です。その意味では変なことはしていないと思います。今日を持ちまして蜆のターンは終了となります。
引き続き意見等をお待ちしておりますが、いったんここで区切りとしたいと思います。
ありがとうございました。
第2ターン
算数
■Hiroto
こんにちは。Hirotoです。
僕は「小学校における、掛け算順序問題」をテーマに、先生と生徒の対話を作ってみました。ぜひ、皆さんも一緒にあれこれ考えてみてください。ある小学校。算数のテストが返されたようですが、なにやら不穏な様子で、、、。
:Hiroto
掛け算順序をめぐる先生と生徒の戦いが幕を開けました。
今回の論点は「算数的にどうなの?」という問題提起です。
数として正しい言明も、それが日常の行為の適切な投影になっていなければ良くないのか。そういったことをめぐる戦いと言えます。
その意味で、これは「数学的にどうなの?」という問題提起ではありません。数学的には「日常の行為の適切な投影になっているか」は(建前上・表面上は)真偽や数学的善悪に影響しません。最も、社会的意義があるかに関しては一考の余地がありますが。
算数とは、小学生が『日常の事象』を抽象化された数的概念で捉えられるようになるためのものです。机上に収まった学問であってはならず、その意味では数学よりも経験科学に近しいものとなっています。
先生は、算数のこの側面を強調して、生徒を諭そうとしていたわけですね。
次回へ続きます。
あなたなら、この少年Aの「しき」にどのような採点をしますか?
:1: マル 2
@あんまん, @コバ
:2: バツ 3
@Naokimen, @Takuma Kogawa, @Yujin
:3: サンカク 1
@Yuta
■Naokiman
・学校のテストはあくまで授業の理解度を確認するためのものであること
・立式する際に意味を考えずに問題文に出てきた文字をただ掛けただけの人との区別以上の理由から小学校の採点としては、バツにせざるを得ないと思います。このような問題が起こる理由の1つに小学校の算数では途中過程として数式だけを書かせるということがあると思います。「6さら×2こ/さら=12こ」のように単位付きで式を書かせたり高校以降の数学のように途中過程を数式だけでなく日本語も含めて書かせたりすると、掛け算の順序問題を気にする必要はないと思いますが、これらのことは小学生には難しすぎるので途中過程として数式を書かせるということしかできず、数式のみから理解しているかを判断するためには掛け算の順序に意味を持たせるということをせざるを得ないと考えています。直方体の体積の公式「縦×横×高さ」のようなものは立体の見る方向にもよるので掛け算の順序を気にする必要はないと思いますが、今回のような問題では小学校においては掛け算の順序に意味があるものとして教えるのは理にかなっていると思いますし、少年Aのような子には掛け算の順序を逆にしても結果が変わらないことを理解した上で学校のテストでは教科書に書かれた掛け算の順序で立式するように指導するのがいいかと思います。
Hiroto
ご意見ありがとうございます。この一つ後のkogawaさんの発言や、僕の最終結論を見てもらうと分かる通り、やはり「しき」だけから情報を読み取るのには限界がありますね。
ここでの議論すべて、無垢な生徒には参加がかなわないというのが難しいところです。
■Takuma Kogawa
たとえば、「6人にみかんを2つずつ配ります。みかんは何個必要ですか」という問題を考えます。算数の教え方に基づけば
2(個/人)×6(人)=12(個)となります。では、現実にみかんを配る操作を考えます。規則的な配り方として以下が考えられます。
①1人に2個ずつ配る操作を6回行う。
②1人に1個ずつ、6人に配る操作を2回行う。
これを立式するなら、
①2(個/人)×6(人)=12(個)
②6(個/回)×2(回)=12(個)
となるでしょう。課題文の状況においては、その状況に至る操作を考慮せずに結果だけを見て立式するから「かけられる数」と「かける数」の順序は1つに定まると言えるかもしれませんが、同じ問題の言い方を変えるだけで数字を入れ替えた式も算数的に正しくなることがあります。つまり、数字のみの式では、解答者が正しく理解しているかを判定することはできないということです。順序について理由をつけるのはかまいません。しかし、理屈をこねくり回すよりは、学校では「そういう順序になっている」として教えてしまうのがいいように思います。順序に疑問を持つような児童は親に質問したりすると期待して、学校は一律のルールにするのがベターと考えます。Naokimenさんの示した直方体の体積は、基本的にはかける単位がすべて同じだから順序が問題にならないのだと思います。
Hiroto
完全におっしゃっている通りです笑。僕の3日目の議論そのものですね。後半の議論は、個別最適化か一律かという論点で語れると思います。その話もこれから教育研で扱われるかと思うので、楽しみにご期待ください。
■Hiroto
解説:Hiroto
今回は昨日と違い、「教育的・政治的な問題提起」です。算数の範疇は出ました。
生徒の言うように、具体的な事象であれ、日常には「4×100mリレー」のようなものはゴロゴロあります。レシートなんかもこの順だったかと思います。
日常との結びつきを重視する割に、そこのところ詰めが甘くない??と生徒は問うたのですね。
そこで先生、完全に開き直ります。算数の話を抜け出し、テストとは何かについて語り出しました。
生徒は煙に巻かれたような気持ちになりましたが、一応筋が通っているように感じたため、一旦家に持ち帰ることになります。さあ、どうなる、、、?最終回へ続きます。
■Hiroto
解説:Hiroto
先生の土俵に乗っかってやっても、それでもおかしいぞと、改めて言いにきた生徒。
二人の決着は、稀に見る平和的解決で幕を閉じました。
しかし、こんなに物分かりの良い先生と生徒、そんなには世の中に多くないような気がします。
大抵どちらかが見栄を張ったりして、また親が乗り込んできたりして、もっとややこしいことなります。「隣のクラスは違うのに!」とかもあるでしょう。
これは数学部のwsでも言いましたが、「自分で行ないの内容と理由・基準を説明できる」ことが大事です。そうすれば毅然とした態度で議論ができます。
そうでなければ、そもそも議論ができないのです。Twitterなどで見られる議論めいたものは、一方に知識が偏りすぎていたり、一方は現場にいない第三者だったりで、冷静に見れば議論になっていないものばかりです。
もちろんそういったSNSでの小競り合いで情報が良いように広まることもあるとは思いますが、少なくとも、第三者は現場の人間への敬意を忘れず、現場の人間はより良い効率化について常に考え続けることが重要だと思います。
いつか、大学入試改革で散々言われている「思考力」志向の考え方が、初等教育でも適切な形で導入されることを願って、私の投稿は以上とさせていただきます。ありがとうございました。
今のあなたなら、この少年Aの「しき」にどのような採点をしますか?
:1: マル 4
@あんまん, @コバ, @Yujin, @イヤープラグさざなみ
:2: バツ 2
@Naokimen, @Takuma Kogawa
:3: サンカク
■Takuma Kogawa
この問題の正誤をどうするかよりも、考え方は合っていて採点基準のせいで減点された児童にどのようなケアをするかが重要かと思いました。「その方法でも問題ないが、テストでは形式的にこのように答えるのがよいだろう」という現実適応力をイヤでも理解させられる案件として、家庭での教育に活かせると思います。高校でいえば極限の問題で前提条件を気にせずにロピタルの定理を使えば答えは合わせられるが、まあそれはよくないよね、というのは採点者と解答者で共通の理解があります。こういったことが小中学校でもあるといいですね。
Hiroto
ロピタルの件、定期試験ではまさにそうなのですが、大学受験でロピタルを使ってもおそらく(明確には分かりませんが)減点はされないかと思います。この定期試験と受験での差も、別口で議論されるべき話題ではありますね、、。
■けろたん
教師側として把握したいのは、問題文に出てきた数字をなんとなく掛けて答えを得ているのか、それとも何がいくつセットあるか理解した上で立式できているかだと理解しています。
問題を解く上で
問題を読んでものとセット数の対応を掴む
状況設定にもとづいて立式する
式を計算して答えを得る
の段階を経るとして、解釈の余地がある2でローカルルールを導入するよりも、1の段階にアプローチしたほうがよいと思います。具体的には、問題文を複文、重文にするなどして対象とセット数の対応を分かりにくくすれば良いのではないでしょうか。国語のカリキュラムとの兼ね合いで、問題文に用いてよい表現の複雑さに制約などがあるのでしょうか。
Hiroto
複雑さの制約に関しては、単純に紙面と問題数と文字数の都合という気がします。複雑な問題一つよりも、単純な問題五つみたいな思想だと思います。それ自体は間違っているとは思いませんが、単純な問題の採点の仕方まで単純化しすぎるのはどうなのかと思います。今回の話はそういった問題提起ですね。お付き合いくださりありがとうございます。けろたん
返信ありがとうございます。
読み取り能力を要求しないならドリルでいーじゃんと思っていたのですが、教育現場ではドリルと読解の橋渡しを単純な文章問題が担っているのかもしれません。読解能力の一様な発達を前提としていたので見落としていました。(おまけ)
自分の投稿を見返して気づいたのですが、「もの x 個数」と「個数 x もの」の順序に言及するのを忘れていました。いわゆる「掛け算の順序問題」について言えば、かけ算の順序を固定することによる採点コストの低下は大したものではなさそうなので、順序はどっちでもいーじゃん派です。
他方、人間の認知能力には制限があるため、記述になんらかの統一性が望まれる場合があるのは確かだと思います。それを人間の都合とするか、数の都合とするかは結構難しい問題だと思います。
英語
■シト
おはようございます。
シトです。
学校における英語教育特有の問題を扱っていきます。具体的には、「なんでコミュニケーション重視と言っているのに試験では違うの?」です。
なお、ここでは、小学5・6年生で教科として英語が行われる時代より前の時代であることを前提としています。
今回扱う内容は、あまり馴染みのない用語などが出てくるため、ゆっくりめの進行とさせていただきます。
また、チェックリストを設けます。
チェックリストは内容を簡単にしたものなので、読んだ後にチェックを入れて確認していただけたらと思います。
では、よろしくお願いします。最近コミュニケーション重視ということで、入試に英会話がはいるなどして話題になって批判が集まっています。
今回は、そのような状況で悩む生徒とその生徒を教える先生という場面で考えていきます。
次回へ続く。
1日目の内容理解チェックリスト
:1: なぜコミュニケーション重視と文法テストが共存しているかについて扱っている。 5
@Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @Yujin, @けろたん, @Yuta
:2: テストは授業で扱ったものの定着度を測っている。 5
@Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @Yujin, @けろたん, @Yuta
:3: 英語ができるとは、構造理解とその適切な運用ができるということだ。 5
@Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @Yujin, @けろたん, @Yuta
1日目の内容を踏まえたうえで、あなたの感覚に最も近いものを選択してください。また、意見がある方は文章を投下していただけると嬉しいです。
:1: 全面的に生徒Aに共感する(先生Bの言い分はわからない)
:2: やや生徒Aに共感する(先生Bの言い分も一部分かる)
:3: 両者ともに言い分は分かる 3
@Naokimen, @コバ, @Yujin
:4: やや先生Bに共感する(生徒Aの言い分も一部分かる) 2
@イヤープラグさざなみ, @Yuta
:5: 全面的に先生Bに共感する(生徒Aの言い分は分からない)
■シト
おはようございます。
前回は続きをあげます。
2日目の内容理解チェックリスト
:1: Broken Englishとは、英語が国際公用語として使われているということを意味している。 4
@Naokimen, @けろたん, @Yujin, @Yuta
:2: コミュニケーションには4技能が揃っている。 2
@Yuta, @Naokimen
:3: コミュニケーション重視は英語ができることの条件の運用に該当している。 4
@Naokimen, @けろたん, @Yuta, @Yujin
:4: 文法テストは英語ができることの条件のルールに該当している。 3
@Naokimen, @けろたん, @Yuta
2日目の内容を踏まえたうえで、あなたの感覚に最も近いものを選択してください。また、意見がある方は文章を投下していただけると嬉しいです。
:1: 全面的に生徒Aに共感する(先生Bの言い分はわからない)
:2: やや生徒Aに共感する(先生Bの言い分も一部分かる)
:3: 両者ともに言い分は分かる 2
@Naokimen, @Yujin
:4: やや先生Bに共感する(生徒Aの言い分も一部分かる)
:5: 全面的に先生Bに共感する(生徒Aの言い分はわからない) 1
@Yuta
■コバ
教育研究部さんの今回のWSでは「学校のテストは授業の内容の定着度を測るためのもの」という考え方を元に物語を進行していると思います。
一方大学入試に目を向けると、大学入試は「学校の授業の内容の定着度を測るためのもの」にはなっていないと思います。
そこに構造的な問題があるのだと、今回のWSに参加させていただき改めて感じました。
シト
その構造的な問題のせいで、受験勉強に特化した勉強を本来の勉強だと思ってしまうことが起きているのかもしれません。所長もよく受験から変えれば解決すると言っていました。
実は、英語教育の教育法という理論を学ぶときに、受験を変えなければならないという内容が出てきます。わかってはいるものの、一度作り上げ、定着してしまったものをどうこうするのは非常に困難なことなんだなと感じます。
■あんまん
英語4技能とよく言いますが、本当に4技能だけだろうかと、ふと疑問が湧きました。読む、書く、話す、聞くが英語の4技能とされているみたいですが、「考える(thinking)」とかも英語を使用するうえで必要な技能であると思います。けれども、教育を進めるうえで、試験の採点などで「考える」を採点することはやっかいです。他人の頭の中を覗くことはできませんから。4技能という分け方は、英語ができるという到達目標が自分ではなく他人の評価によって決められることを示すと思いました。
事後スレッドにて
シト
英語で考えるというのが根本にあり、それを評価するために4技能という人が出せるものをできるだけ使って測定しているのでしょう。それもあって英語で授業することが前提とされているのだろうと思います(今の英語教育はほぼ英語でしないといけないことになっている)。試験で測るのでそれが他者によって決定されるのはしょうがないことですが、それはあくまで試験においてです。その試験へとつながるまでの過程で自分基準での成長を感じられるよう努めるのが人間である教師の重要な役割なのかもしれないなと思いました。根本には何があるのか。これをちゃんと意識することが基礎であり、大切なことであると思います。
教育研究部の見解
■シト
私のターンの教育研究部(主にシト)の意見を投下します。
この先生の文章自体、私が生徒に質問された時を想定して考えたものであるため、先生Bの意見はとても分かります。しかし、自分が生徒だった時の担任にこれを言われたら納得がいかないでしょう。なぜなら、問題が授業で行ったものを覚えているかどうかというほぼ暗記テストだったからです。授業の内容の定着と言われれば、そこで扱ったものを出しているので当てはまっていますが、それは表面上でしかありません。先生が穴埋めにしたところがどこなのか、「ここでるぞ」と言ったところはどこなのかといったものの確認が大半でした。必要なのは行ったものの根本にある普遍的なものがわかっているかを測れているかどうかです。
その普遍的なものを測ることは当然のことですし、教科教育法でも習うはずです。しかし、現実でしっかりとやっている人が少ないのは、仕事の環境が影響していると考えています。そういう意味でも教師の働き方改革というものは大切だなと思います。
まとめ
■シト
今回のWSでは、学校教育におけるローカルルールについて具体的な場面を想定して紹介していきました。
今までの、教育研のWSの中でも参加しやすくわかりやすいものとなったと思います。蜆さんのターンでは、数学におけるよくある問題から始まり、古典で皆さんが経験したことがあるであろう状況を紹介しました。
ヒロトくんのターンでは、よくネットで話題となる算数の問題について紹介しました。
僕のターンでは、最近話題にされ、これからもっと話されることになるであろう英語教育の問題について紹介しました。全体に共通する重要なものに学校におけるテストとは何なのかというものが挙げられました。
この内容は当然と言えば当然ですが、非常に大切なことなのでよく意識してほしいなと思います。このWSをきっかけに身近な教育問題を考えてもらえたら幸いです。2週間ありがとうございました。
以上が、教育研究部WS『学校教育におけるローカルルール』のログです。
次回もよろしくお願いします。
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