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心持ちが変わると見える景色も変わっていく。

ドイツにいる友人につらつらとLINEを書いた、今の思いを。
彼女、Yちゃんは私の三つ下でドイツでは珍しく義理両親と同居していて、素晴らしい良妻賢母の女性だ。

出逢ってもう12年くらいが経つ。
当初はこんなに深い付き合いが出来る関係になれると思わなかった。
異国で三十を越えて友人を持つことは難しい...と最初思ったが、意外にもその後ゆっくりと親しい友人が増えていって、今は友人達を思い浮かべるだけで幸せな気持ちになれる。



それでも翻ってやはり私にとってドイツで暮らすのは、時々立っているだけでしんどくなる瞬間もある。
元々この国が気に入って移住したわけではなく、アフリカで出逢い好きになった男がドイツ人だったからそこへ行き、結婚して家族を持ち暮らしていた。

そんな中で結婚が破綻して、取り残された感の中でどうやって幸せになったらいいのか...と途方に暮れた。

そんな数年が過ぎ、最近やっと今は少し違う心持ちになれる様になった。
そういう目に視えない心理模様が全く別の、目に見える形となって現れたりする。


最近、D(元夫)が優しい。

フランクフルトからの最寄り駅に迎えに来たり送ってくれたりする。こちらが頼むわけでも無いのに。
昨年終わりごろから私の態度が変わって来たのをDは感じてるんだろう。

この前の日本滞在中、あれは断食サナトリウムから戻ってすぐの時だった。
夜道を借りたアパートへ戻る時に唐突にその思いが浮かび上がってきた。

「わたしはもう被害者でいたくない」

意識もせずに深いところで、ずっと私は自分を被害者だと思い続けていたのだと気がついた。

そのとき歩きながら本当に自然に、もうそうで無くていいんだ...って思えた。


それは大きな安堵感でもあった。


確かに私は夫だった人がしたことに深く傷ついた。
それは私の息の根をもう少しで止めてしまうくらいの激しいダメージだった。

勝手に船を降りたくせに、好きなときに子ども達に会って、その子ども達に変わらず慕われていて、好きな人不倫相手と暮らせて、じゃあわたしはどうなるのよ?

そう心で叫んだ。

子供達が変わらずにいるのはわたしが必死で父親のした事を言わないでいるからだろう!
好きでも無いドイツで暮らし続けることを本当に解っているのか...

それは自分自身で決めたことであるとはいえ、常に後悔や逡巡があった。

でも、

「今は意味が判らなくても、いつかきっと解る時は来るだろう」と祈るように感じてきた。

少しずつ嫌いだったドイツを別の角度から見れる様になり、だんだん好きな部分が増えて愛着も出て来た。

森を歩くと素直に美しいなぁ...と感じる。そしてそんな場所がたくさん在ることに感謝するようになった。

人間は決して人間だけの人工物の中では生きられないから。

自然が当たり前に息づいていてそれが、自分の中の何かを優しく撫でてくれた。

自分の中に柔らかさを自覚できる様になって、それでだんだんDへの気持ちも変化していった。
あれほど苦しかった記憶を少し離れて見れる様になった。


だんだん今の自分から離れてそれは『思い出』というカテゴリーの中に存在する様になって来ている。



第一次世界大戦の町の死没者の慰霊碑
痩せた眠るライオンの表情と
その朽ちかけようとしている石が
静かで、安らかで、それでいて哀し気で
胸がシンとなった
ドイツには第一次世界大戦の碑があちこちに在る。その後に続くナチズムの時代を記憶し続けるこの国の姿勢を想う。
61人の軍人と1478人の市井の人々が亡くなったことが記されている。
早春のクロッカス
紫の絨毯





2023年3月17日、
18年前にリベリアで出逢い支援を続けて来たマーサが日本の大学院を卒業します。
奇しくもこの日は彼女の30歳のバースデーです。
私がマーサを引き取って日本で暮らしたのがちょうど同じ歳でした。

当時、13歳だったマーサと30歳だったわたし

人生の輪が廻っているかのように、大きな節目の年が2023年になりました。


卒業式に出席するために再び大分に来て、このnoteを書けることが、なんて幸福なことかをしみじみと感じています。


5℃くらいの中で満開に咲く淡く小さな桜

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