もう古い話になってしまうが、山手線の新しい駅が、46年ぶりにできる、という話題は、それ以前から知っていた。
品川と田町の間。
そんなに距離があったのかどうか、今となっては、あまり覚えていないものの、駅名を公募するというのは、なんとなく知っていて、昔、新幹線の名前の公募が「ひかり」と決まったように、おそらくは平凡な名前になると思っていた。
そして、日常で利用する駅は、その方がいいし、待ち合わせをするときなどに、普通の名前の方が恥ずかしくなくていい、と思っていた。
高輪ゲートウェイ。
最初にその名前を聞いた時は、ウソみたいと感じたし、自分センスのことは棚に上げるとしても、とてもダサいと思った。
そして、その感覚は、開業から3年以上経った今でも、あまり変わっていない。
高輪ゲートウェイ
その名称は、すぐに話題になった。
2018年の記事を長く引用させてもらったのだけど、これは、今読んでも、とても納得がいく指摘で、ただの怠慢な反応で申し訳ないのだけど、私も、本当にこうしたことを思っていた。多くの人が、同じようなことを感じたのではないだろうか。
反対の署名
その後、「高輪ゲートウェイ」の駅名を撤回してほしい、という署名活動が行われた。どのような署名に関しても、どうしても臆病になってしまうこともあり、私は、そこに参加していないから、大きなことは言えないとは思うのだけど、撤回してほしい、という気持ちには、賛同できた。
英語の発音
こうした話は、バブルの頃のことを思い出す。
当時、英語が話せる人の中には、日常会話の中に、アルファベットの言葉が入る時に、急にネイティブのような、いかにも英語という違和感のある発音を入れてくる場合があった。それは、ついうっかりという場合もあるのだろうけど、時折り、意図的にしていることもあったと思う。
どうして、そういうことが行われていたのかというと、一つの単語だけでも、そういうネイティブのような発音を入れると、周囲では「英語、うまいねー」と、本気でほめる人が一定数いたからで、だけど、それは、個人的には、自分が英語をしゃべれないことは棚に上げても、あまりかっこいいことだとは思えなかった。
名誉白人、みたいな言葉が頭に浮かぶからだ。
その後、「タカアンドトシ」が、「欧米か」というツッコミで、笑いを起こしてくれた時に、一部を英語発音にすることを「かっこいい」とする価値観は、やっぱりダサいのではないかということを、証明してくれたような気がして、ちょっとうれしかった。
社長メッセージ
「高輪ゲートウェイ」の名前を正式決定した頃もJR東日本社長であった深澤祐二氏は、2023年、採用サイトの「社長メッセージ」で、こうした言葉が並べている箇所がある。
自分が、この内容をどこまで理解できるのかは別としても、やはり、カタカナやアルファベットの比率がかなり高い。
こうした文章の中では、「高輪ゲートウェイ」も自然に思えるものの、冒頭で紹介した、署名活動をした日本地図学会の今尾恵介氏の指摘が、年齢も含めて当たっているようにも、改めて思えてしまう。
こうした価値観が「50ー60代男性」に根付いているとすれば、それを変えるのは難しい。だから、「高輪ゲートウェイ」に関しても、それを決定した側は、その駅名批判自体に、理解も、共感もできなかったのかもしれない。
コロナ禍での開業
「高輪ゲートウェイ」駅が開業したのは、2020年3月14日。
コロナ禍が始まってしまい、3月2日から、全国一斉休校の期間中のことだった。
だから、基本的には、同年の4月頃は、その駅を通り過ぎるたびに、人が少なく、ひっそりした印象もあったが、当日は、やはりそれなりに人が来ていたようだった。
批判
そして、その最先端サービスの技術の一つ AI「渋谷さくら」が批判を浴びた。
もちろん、こうした批判を、「高輪ゲートウェイ」に関する批判と同様に、無視することもできるはずだ。
だが、「グローバル」という価値観自体を再検討するのが現在であるとはいえ、再開発のテーマを「グローバル ゲートウェイ」に掲げている以上、現代のジェンダーの視点に十分配慮するべきだと思う。
そうであれば、「渋谷さくら」が、開業当時の姿になるわけがない。
大木戸
実は、個人的に引っかかっていたのが、歴史的な事実と「ゲートウェイ」の名称が、結びつけて語られていることだった。
個人的には、「大木戸」と聞くと、思い出してしまうのが、「江戸払い」のことだ。
つまり、「高輪大木戸」より、外へ出れば、「江戸払い」になる。
そして、この「大木戸」は日没時に閉められるのであれば、それは「江戸の内部」を守るためであり、当時の治安や幕府の支配には有効だったのだろうし、それは、軍事的な役割も担っていたのだと思う。
だから、その「大木戸」が、「玄関口としてにぎわいを見せた」のは本当だとしても、そうした華やかさばかりを強調するのは、この「大木戸」の歴史的な事実を正確に表現していない、という意味で、やや不適切ではないだろうか。
玄関口かもしれないけれど、そこは、江戸を守るために閉じた役割をする「ゲート」なのだから、それを無邪気に「ゲートウェイ」と表現するのは、意図的に、こうした歴史を無視しているからなのだろうか。
品川宿
ジョージ秋山の「浮浪雲」の舞台は、品川宿。
それは、ドラマ化もされたが、その地域は、決して上品とは言えず、様々なドラマが起こりやすく、それは品川が「大木戸」で仕切られた「境界」的な場所であるから、漫画の舞台に選ばれたのではないか、と改めて思う。
それは、ジョージ秋山の他の作品から見ても、おそらく妥当な見方であって、そして、「浮浪雲」の描いた「品川宿」の方が、リアルな江戸時代の「大木戸」付近ではないだろうか、とも思う。
歴史遺産
署名運動まで起こした「高輪ゲートウェイ駅」の周辺は、開業から3年以上が経って、今も工事が進んでいる。
そして、その駅の名称に関しても、あまり言及されなくなった。
それでも、山手線の駅名が並んでいるのを見ると、あまりにも異質な「高輪ゲートウェイ駅」は、やっぱり、本当の意味ではなじめない。普通に「高輪」だけだったら、日常への浸透も、とてもスムーズだったのではないか、と「いまさら」と言われても「今でも」思う。
ただ、個人的には、駅に着いて、ドアが開いて、ホーム近辺の光景は知っているが、ただそれだけで、駅には一度も降りたことがないし、2022年10月の記事を読んで、恥ずかしながら、工事が遅れている理由を初めて知った。
この海上の石垣と、その上を走る汽車は、この記事↑の中の浮世絵で見ても、美しいといっていいものだと思う。
この歴史遺産が、どんな経緯で埋められてしまい、忘れられたのかは、それで一つの重要な歴史の経緯だと思うのだけど、「大木戸」を「ゲートウェイ」と結びつけるよりは、この発掘された「石垣」の方が、もっと未来につながりそうなイメージを内包していると思う。
これからでも、この遺跡の方を重視し、そのことと現在の駅のつながりを強調し、未来につなげるメッセージを掲げた方が、説得力があると思うのだけど、どうだろうか。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
#最近の学び #高輪ゲートウェイ駅 #ダサい
#署名 #駅名 #公募 #歴史 #大木戸
#品川宿 #反対 #毎日投稿