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「売れっ子」という言葉を、いつまでも使っていていいのだろうか?

 なんだかクレームっぽいタイトルになってしまって申し訳ないのだけど、例えば、とても力があって、運にも恵まれ、人気もある「大人」の人たちにでさえ、「売れっ子」という言葉が、肯定的に使われる。

 まるで、ほめ言葉のように向けられるのだけど、ふと思うと、どうして、そういう表現が使われるのだろうか、と思うことがある。

受動態 +

「売れっ子」という呼称は、細かく分ければ、「売れる」という受動態と、成人に対しても、「子」という、未成熟な存在を表す言葉で出来ている。

 タレントや芸人や俳優だけでなく、小説家や漫画家、ライターも、「売れっ子」という言葉は「今が旬」といった表現とともに使われることがあり、それは、かなりほめている言葉のように見られている。

 だけど、言葉を細かく分けて考えれば、すぐに分かるように、「売れる」というような、自分ではコントロールできない受動態と、自分だけでは生きていけないような存在とも言える「子」が使われているから、自力とも成熟とも逆の表現であるのが、分かる。

 それは、「売れる」というのは、それこそ「運」に恵まれないと難しいし、固定された状況でないことも知られているので、そういう「受動態と未成熟」でできている言葉が当てはめられているのかもしれない。

「売れっ子」になるための具体的な方法は、わからない。そして、「売れっ子」になったとしても、いつまでも「売れっ子」であり続けるのは難しい。

「売れっ子」を経て、根拠をあげるのが難しい「人気」というものが落ち着いて、実力はあるまま「成熟」した状況になったとすると、そういう人は「カリスマ」になったり、さらに年月を重ねると「大御所」になるのだろうか。

お客様は神様です

 「売れっ子」という言葉の対義語は、シンプルに考えれば「買う親」といった意味になりそうだけど、それは、現代で言えば、「スポンサー」や「メディア」や「ファン」という存在になるのだろうか。

 だから、どちらにしても、主体性を持ちにくい。

「お客様は神様です」。

 そんな言葉があって、今ではいろいろな解釈もされているようだけど、それは、人前で自分の芸を披露して、それを仕事にしていくことはできても、それを継続するために収入を得ることに関しては、決して主体性を持てない、といったことを表す本質的な言葉かもしれない。

 だから、「売れっ子」という言葉も、ずっと以前から聞いたことがあって、そして、今も使われ続けているのかもしれない。

遣り手

 例えば、経営者や、会社に勤めるビジネスパーソンに、「売れっ子」というような表現は使わない。

 そうした人たちが、有能な時に使われる表現の一つは「遣り手」だと思う。

 遊郭で客と遊女との取り持ちや、遊女の監督をする年配の女。花車(かしゃ)。香車(きょうしゃ)。やり。遣り手婆(ばば)。

「遣り手」という言葉には、敏腕といった意味の他に、江戸時代には「遣り手婆」という意味があったと書かれている。

 そして、ここからは、想像なのだけど、その対義語として「売れっ子」があったのではないだろうか。

「遣り手婆」と「売れっ娘(遊女)」。

 こう組み合わせると、なんだか納得するけれど、今の時代には、こうした意味合いを強く出すこともできないと思う。それでも、「売れっ子」という言葉は、こうした意味合いからは遠くなったとしても、多くの人から必要とされるよう状態表す言葉として、他には、まだ代われないほど、現代でも、ピッタリな表現なのかもしれない。

バズる

「売れっ子」とは、多くは、「売れたい」と願う先にある状態だと思う。そして、ある時期に「売れた」と実感する時があると言われている。

 今でも、その「売れたい」や「売れた」という言葉は多くの人の口から、強めの感情と共に語られるから、「売れっ子」という言葉も使われ続けているのだと思う。

 だけど、「売れる」以外の言葉として、いろいろな表現は確かにある。

 やっと、認められた。
 花が咲いた。
 
 ブレイクする。

 そして、今は、「バズる」という言葉が、「売れっ子」よりも、もしかしたら、使われる頻度が高くなっているかもしれない。

 短期間で爆発的に話題が広がり、多くの人の耳目や注目を集め、巷を席巻すること、といった意味で用いられる言い回し。主にインターネット上におけるソーシャルメディア等を通じた拡散などについて用いられる。

 「バズる」は、「売れっ子」と違って、人に限っていないし、これが、SNSということだけでなく、もっと一般的なことにまで広がったら、「売れっ子」というよりは、「バズる」という言葉の方が多く使われていく可能性がある。

 それは、よりはかなく、短く、現象が主役なのだから、主体性を持つことの難しさが、さらに浮き彫りになりそうで、その状態に対しての正確な言葉になるように思う。

 さらに、「売れっ子」よりは冷静な表現で、高揚感も少なそうだし、その状態の人間を、いい気にさせて失敗すること少なくなるような気がする。

YouTube

 いわゆる芸能人の間でも、テレビに出演するよりも、YouTubeに出たい、といった言葉を聞くことも多くなったのだけど、なんとなく理解できるように思うのは、主体性に関わるからだ。

「売れっ子」という言葉に代表されるように、自分が仕事をしたくても、誰かに、どこかに選ばれなければ、仕事自体ができないことが多い芸能界は辛そうで、それならば、少なくとも仕事をできる場所を、自分で作れるYouTubeが魅力的に映るのではないかと思う。(YouTubeの大変さに対しての私の理解が低いので、これは誤解も多い発言の可能性もありますが)。

 それでも、当たり前だけど、そうやってYouTubeで、何かをできるかもしれないけれど、結局は、大勢の人に見てもらえないと、(バズらないと)収入にはならないはずだ。(この辺りも大雑把な理解で、すみませんが)。

 そこで、今回は以下の3つの観点でチャンネルを分析し、YouTube作家がなぜ「これから伸びる」と思えるのかをお話ししていきます。
・発見されうるか
・厳選を乗り越えられるか
・将来に期待されるか

 この記事は、その後も具体例を交えてきわめて冷静に書かれているのだけど、ここでも、結局は、特に最初の「発見」されるかどうかは、やはり運が関与する要素が強いように思う。

 そうなれば、やはり「売れたい」と思いながらも、「売れない」状況と同じように、「バズりたいけど、バズれない」時間が、YouTubeでも続いていく可能性がある。

 どこに行っても、主体性を持って、「遣り手」と「売れっ子」を、同時に自分で手にして、状況までをコントロールするのは難しいのだろうか。

営業

 そう考えていくと、それを実現しようとしているのが「企業」だった、と改めて気がつく。

 「商品」を「売る」ためには、お客が来てくれるようにするのはもちろんのこと、こちらからお客を探して、「売る」ことをするのが、「営業」のはずだ。

 基本的には、企業が成功するためには、何しろ人数が必要だし、それに「運」が左右する部分も大きいだろうけれど、そこに頼らず、圧倒的な数の「チャンレジ」によって、「売れたい」ではなく「売る」を積み上げて行って、利益を上げようとしているのが企業だと思う。

 そうすると、優秀な営業マンと言われる人たちの、「運」だけに頼ろうとしないで、「数を稼ぐ」というような方法も、なんとなく分かるような気がしてくるし、それは、とても消耗するものの、やっぱりすごいことだし、同時に、少し怖さも感じる。

「欲しい」を作る

 だけど、おそらく20世紀までは、無限に「売る」ことが可能だと思われていた状況が、今は「欲しい」が減っている気配が強いから、「売る」前に「欲しい」を作ることが前提になっているはずだ。だから「売る」は、とても難しくなっているのだと思う。

 もう、「売る」場所は、ほとんどなくなっているのかもしれない。

 このあたりは、素人の思いつきに近い考えで、申し訳ないのだけど、そんな空気感は、社会の片隅で生きている私にも伝わってきているように感じている。

 とても厳しい時代なのだと、改めて思う。



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おちまこと
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