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「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」④「どうしようもない不安や恐怖への対応」(中編)。

 これまで3回にわたって、「コロナはただのカゼと主張する人たち」 「見えにくい政策」 自粛警察はどこにいるのかを書いてきました。

 さらに4回目の「どうしようもない不安や恐怖への対応」(前編)では、「 新型コロナウイルス感染の可能性への直接的な不安と恐怖への対応」と、「感染者になってしまった場合の予測もつかない変化への不安。そして、差別と排除の恐怖への対応」を考えてみました。

 今回の「どうしようもない不安や恐怖への対応」(中編)では、「 医療崩壊への不安と恐怖への対応」を、自分も不安な中で、考えていきたいと思います。

「医療崩壊」という「不安と恐怖」を呼び起こす言葉

 12月に入り、感染者増大、重症者も増え、死亡者も目立ってきた中で、「医療崩壊」という言葉を、再び聞くようになってきました。この言葉自体が、不安だけでなく、恐怖をあおるものだと思います。

 私も聞くたびに、崩壊という言葉にひきづられて、本当に死の気配が迫るような印象が強まります。ただ、こわいので、どうにかして防ぎたいという気持ちになりがちですが、この言葉が強すぎるので、いったん「医療崩壊」となってしまったら、もう元に戻らないような気さえします。

 前回も引用させてもらったのですが、医療の専門家・山中伸弥氏のサイトでは「医療崩壊」は、こう書かれています。

 感染が急速に広がると病院の対応能力が限界に達し、心筋梗塞や交通事故など他の救急患者さんも救えなくなります。医療崩壊です。イタリヤ、スペイン、武漢では、実際に人工呼吸器の不足、医療崩壊が起こっています。

 このような状況は、確かに怖いのですが、このようになっても、崩壊しっぱなしというわけではなく、そこから、また再生させようというようなこともあるようですし、病院全部の機能が止まる、ということでもないみたいです。

 どちらかといえば、たとえば「医療機能失調」といった言葉のほうが、実情に近いと思われますが、ただ「医療崩壊」という言葉を使った方が注目を浴びやすく、危機感を換気しやすいということなのかもしれません。

 でも、崩壊した、と言われてしまうと、もうそこで、どこか投げやりになって、すべてを諦める感じにならないだろうか、と不安にもなります。

医療崩壊をふせぐために

 個人でできることは、感染拡大をしないようにすることくらいしか出来ないと思いますが、そうした個人的な努力では限界があります。

 12月現在の感染拡大の勢いと、「GoToキャンペーン」という感染拡大に関係ありそうな政策を、2021年6月まで延長するという理解しにくい「政策」をとろうとしているのですから、「医療崩壊」は、このままいくと避けられそうもありません。

 どうすれば「医療崩壊」を防げるのでしょうか。

 再び、山中伸弥教授のサイトからの引用です。

提言4 医療や介護従事者を守ろう
 中等症や重症の患者さんを治療するベッド数や医療従事者の数が増えることにより、Rが1より少し大きくても医療制度を維持することが出来ます。発熱外来、中等症専門病床、重症専門病床の役割分担が必要です。医療体制と同様、介護体制の充実も必要です。・医療や介護現場における検査体制を強化し、クラスター発生を予防・医療従事者や介護職員に対する防御具や手当の充実・医療従事者や介護職員に対する偏見、差別の撤廃が求められています。

(この文中のRは、感染拡大の時に重要な値です↓)

 このままだったら「医療崩壊」を招くとしても、山中教授の提言のように、医療制度の充実を「政策」として取り組めば、「医療崩壊」を防ぐことが可能だということのようです。


 でも、「医療崩壊」を防ぐために、個人が「政策」に働きかけることなど、できるのでしょうか。

 以前も紹介させてもらった、この書籍の中で、著者で社会学者・西田亮介氏は、2020年のコロナ禍の自民党政権の「政策」について、特にインターネット上の声に「耳を傾けすぎる政府」という表現があります。そうしたことは、特に特別給付金の時の「混乱」を招いたという部分もあるにしても、これまでだったら、政府は、国民の声に「耳を傾けなかった」印象もあるのに、「耳を傾ける」可能性もあるということも示してくれたと思います。

 とするならば、たとえば、医療費へかける予算が少なすぎる、ということであれば、「医療崩壊を防ぐための予算をかけてください」という訴えが、インターネット上であげられ、それが膨大な数になったら「耳を傾け」ることになり、医療崩壊を防げることも、あるのかもしれません。

 これまで、医療制度の縮小も「政策」として進めてきていたのですから、非常時の医療制度拡充も、「政策」として可能だと思っても自然ではないでしょうか。

 それが無理であれば、もし選挙が行われた時に、より「医療崩壊」を防ぐ政策を「本気で」実行してくれそうな政党に投票する、という方法も考えられるかもしれません。

 実現可能性は限りなく低いとしても、そうした方法があり得ると考えるだけでも、何もできない、という無力感は、ほんの少しでも減る可能性はあります。

それでも「医療崩壊」になった時には

 一つは「人事を尽くして天命を待つ」ということかもしれません。

 高齢者や、持病を持つ人でなければ、新型コロナで命に関わることは確率的には少ないはずです。ただ、医療崩壊をしてしまえば、他の病気にかかっても、病院で治療を受けることができないので、結果的に命に関わることになります。それでも、いったん「医療崩壊」になってしまったら、個人ができることは、ほとんどないと思われます。

 そうであれば、それまでと同様に、感染拡大をしないように、基本的な行動は続け、さらには、他の病気や怪我にもいつも以上に気をつけて、その上で、普段通りに生活し、あとは運に任せるような態度で過ごす、と今の時点から決めて、覚悟しておくのも一つの方法だと思いますし、そうした心の準備をしておくだけでも、不安が少しでも減る可能性はあります。さらには、「医療崩壊」したら、自宅療養でなんとかする、と決めて、今から情報を集めることも有効だと思います。

 もう一つは、「医療崩壊」をしたら、生活を変えると決めることかもしれません。

 「医療崩壊」をした時点で、コロナに感染し、不運にも重症化してしまったら、崩壊しない時に比べて命を落とす可能性が高くなります。それを、どうしても避けたいのであれば、「医療崩壊」という事態になった、と判断したら、一切、外出をしないで、ほぼ人と接しない生活をする、ということを決めて、そのための準備をする、というのも一つの方法だと思います。

 どんな状況でも「医療崩壊」になった時に、パニックが起こることが、さらに、様々な被害を広げる可能性あるので、それを防ぐためにも、少なくとも気持ちの準備をしていくのは必要だと思います。

「トリアージ」という言葉

 「医療崩壊」という状況になれば、おそらく同時に「トリアージ」という言葉を、やたらと使う人間が現れると思います。それは、簡単にいえば、「命の選別」といっていい意味合いで使われるようになるはずです。

 新型コロナの重症化の場合、人工呼吸器が必要になり、その数が足りなくなった時に、誰に装着して、誰にしないか、それを「トリアージ」といった言葉で、選別が行われる可能性が、「医療崩壊」といった状況では、行われるかもしれません。

 場合によっては、高齢者が若い人に、人工呼吸器の装着の権利を譲ることを意思表示しましょう、といったことを促すような動きすら、あるかもしれません。今後、「医療崩壊」になった場合に、そのような「トリアージ」を、医療の専門家が慎重に語るのであれば、まだ信頼性が高いと思いますが、たとえば政治家といった人たちから、もっともらしい理由とともに、ヒロイックに語られる機会が増えるとすれば、必要以上に不安をあおられる気もします。

 それは、今後予想される、一つの現実かもしれませんが、「命の選別」がされるのは、政治家がいるような場所ではなく、医療現場だと思います。想像でしかないのですが、そこでは、医療関係者と、そして患者本人、というよりは、家族が、その重くて辛い決断をしなくてはいけなくなるはずです。

 その決断は、どのような結果になっても、関係者に精神的なダメージを残す可能性すらあります。

「トリアージ」という言葉の「アンカリング」の可能性

 こうした場合の「トリアージ」の必要が出てきます、というような言い方は、実は「アンカリング」に近くないでしょうか。

 これは、根拠がなくても数字を最初に設定すると、交渉などでは、その影響力が強くなることを意味しているのですが、それは数字でなくても、無茶な「前提条件」を設定することも、影響力としては、「アンカリング」に近いと思います。

 たとえば、「医療崩壊」の場合に、最初から「トリアージが必要です。どのように選別しますか?」といった前提自体が、疑われることなく使われてしまう可能性があります。

 だけど、これは一種の「アンカリング」ではないでしょうか。

 「トリアージ」が必然という前提を、簡単に受け入れてはいけないように思います。それを前提とすれば、「選別の線引き」ばかりが議論される時間が、浪費される可能性もあります。

 そのことで、助かる命が助からない確率が、かえって増大する未来がやってくるように思ってしまいます。

「トリアージ」を議論する前に

 ニュースなどを見る限り、いま現在は、人工呼吸器が足りない状況ではないようです。

 確かに、不足する事態が来るかもしれません。ただ、それを、すぐに受け入れる必要はないのではないでしょうか。

 その前にやることがあると思います。

中等症や重症の患者さんを治療するベッド数や医療従事者の数が増えることにより、Rが1より少し大きくても医療制度を維持することが出来ます。発熱外来、中等症専門病床、重症専門病床の役割分担が必要です。

 前述の山中教授の提言の繰り返しになりますが、「医療崩壊」を起こさないように、まず行うべきは、「ベッド数や医療従事者の数が増える」ような状況にすることです。それが、完全に無理なほど国の財政が厳しいのであれば、確かに「トリアージ」はすぐに議論する必要があるでしょう。

 ただ、日本という国家には、まだ予算の使い方を議論できる余地(↑)があるようです。

 今も「耳を傾けすぎる政府」(西田氏)になる可能性もゼロではないので、その「耳を傾けすぎる」欠点を考慮しつつも、まずは、「トリアージをしなくてもいいような医療体制の充実」を考え、実行することの要求から始めたほうがいいのではないでしょうか。


 ただ、微妙な無力感とともに、コロナ禍の前から、人に迷惑をかけない、といった言葉とともに、「命の選別」の話が出ていたのを思い出します。ここで詳細に語る力もありませんが、やはり、普段の社会の矛盾が、非常時に、むきだしになっているだけかもしれません。

「④どうしようもない不安や恐怖への対応」「中編」は以上です。

 「後編」では、「今の生活が続くことでの経済的なダメージ。場合によっては失職の不安と恐怖への対応」「 コロナ禍が、いつまで続くか分からない不安への対応」を考えたいと思います。

 「後編」(リンクあり)に続きます。



※こちら↓も参考になるかもしれません。有料マガジンですが、この中で「理想の緊急事態宣言」を考えたりもしています。


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