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「いいデザイン」って、なんだろう。誰が決めるのだろう。

 いつもスーパーに行くと、ドリンクが並んでいる棚は、必ずと言っていいほど、見回る。

 すると、新しくチャレンジングな飲み物や、オーソドックスで常にあるような商品や、古いのか新しいのか分からないけれど、60円台で500ミリのペットボトルがあって、つい買ってしまう。

 これまで、マイナスカロリーとうたったカプサイシン入りで、飲むと本当に辛いものととか、野菜と乳酸菌という体のいい組み合わせながらも、味が厳しい飲料もあったが、そうした飲料は、しばらく経つと、姿を消していた。

 毎年、というか、毎月、どのくらいの新しい飲み物が出ているのだろう。

ブドウ糖ソーダ

 図書館の帰りに寄りやすいスーパーがあって、そこで、割安になっているペットボトルでの飲料もある。そして、それまで見たことがないような商品もあるけれど、炭酸は時々飲みたいから必ず買う。それも、その中で、安いものを買う。

 考えたら、100円以上の定価での飲料をあまり買わなくなったから、定価の500mlの値段が高く思えてしまうのは、やっぱり貧乏なせいもあると思う。

 そして、その時も、目について、安かったソーダを買った。それも「ブドウ糖」という文字で、これは、体にいいのかもしれない、というような気持ちは、少しあったけれど、そういうのが特徴として、アピールしたいのかもしれない。

 いつものように飲んで、そして、ゆすいで、水を入れて、普段の水分補給のための入れ物になった。
 何か、昔飲んだラムネに似ているかも、と思った。

 どちらにしも、自分としては、それほどの関心を持ってなかった。

ノスタルジー

 ただ、水を入れて、冷蔵庫に入っているそのペットボトルを見て、妻が、「いいデザインだと思う」と言い出した。

 そのことによって、そのペットボトルへの意識が変わった。

 妻は、こんなことを言っていた。

「レトロな感じがしたんだけど、なんか、あの色合い。あのー、色の組み合わせが、キュンとしたの。ソーダな感じ。昔飲んだ、ラムネソーダのイメージ。ちょっとノスタルジー」。

 確かに、そうだった。

 この色が、どこかで見たと思ったら、昔のラムネ瓶だった。ビー玉でフタをされていて、それを押すための道具があって、ボン、という音とともに、瓶の中に落ちていく。だけど、それは、一番下まで落ちないように細くなっている場所がある。

 その上で、ただ、何も考えずに傾けると、そのビー玉が、入り口を塞いで飲めない。だから、瓶の向きによって、中にビー玉が引っかかっる場所があり、中の飲み物だけが、口に入ってくる。

 実際の味だけでなく、そういう入れ物のシステムによって、他の商品との違いを出していたのだと思う。それだけコストはかかっていたと思うけれど、確か、祭りなどで見かけた飲み物だったので、より非日常感があって、そういう思い出を蘇らせる色なのは、間違いなかった。

新しさ

 だけど、ただ昔と同じだけだと、懐かしさを知っている人は、その価値を上げてくれるかもしれないけれど、それを知らない人には、下手をすると、ただ古臭くなってしまう。だから、そこに何か「新しさ」のようなものを加えないと、今の商品にはならない。

 妻は、さらにこう言っていた。

「古さを感じない。デザインがちゃんとしてる。最初、この色数で、すごくいい感じだった。少ない色数で、ちゃんとしてる。新鮮な感じ。
 そしたら、桜の花びらが反対側に飛んでいて、あ、いいな、って」。

 ペットボトルの裏と表があるとして、同じようで、ちょっと違う。
 片方だけに、桜の花びらが散っている。

新しさについて

 そして、妻が「新鮮」と表現したのは、「新しさ」というものだとも思うけれど、でも、「新しさ、って何だろう」と思うと、ちょっと分からなくなる。

「新しさ」は、乱暴に言えば、見たことがないもの、だったりすることかもしれないが、それでも、その見たことがないもの、が不快感を引き起こすものだと、いいデザインとは言えないような気がする。

 そうであれば、「見たことがないもの」であっても、どこかに「見たものがあること」が、混じっていれば、それは安心感につながって、いいデザインになるのかもしれない。

 だから、ノスタルジーや、レトロというのは、ビジネスになる、ということなのだと、思った。

発言権の大きさ

 例えば、自分の家だと、妻が「いいデザイン」と言えば、私もそれに引きずられることが多い。それは、そうした仕事に関して、私と比べて、それまでの蓄積と実績と能力が違うからだけど、もしかしたら、社会でも、発言権がある人が「いいデザイン」と言えば、それは「いいデザイン」になるのかもしれない、と思う。

 私も、最初は、ペットボトルに、それほどの関心もなかったのだけど、妻の高評価によって、確実に見る目が変わった。

 誰かが「いいデザイン」と言えば、それは、「いいデザイン」に見えてくるかもしれないが、それは、「誰が」言うかに関わってくるし、その人の「発言権の大きさ」によって、変わってくると思う。

グッドデザイン賞

グッドデザイン賞の審査において高く評価され、かつ多くの生活者から支持を得たデザインに贈られます。

 これは、このサイトに書いてあった文章の一部だけど、「いいデザイン」とは、まず審査において評価されること、さらには、多数の支持を得ることによって、その「いいデザイン性」への説得力が、さらに高まる、と言うことらしい。

 しかも、今回、このサイトで初めて知ったのだけど、審査をする人は、100人近くいる。それも、デザイナーといった人たちが圧倒的に多いのだけど、「予防医学研究者」や「教育イノベーター」という肩書きの人もいる。

 もちろん、この審査に関わる人たちは、私が無知なだけで、その分野では有名な人たちばかりだとは思うだのだけど、それでも少数に絞るのではなく、かなり多数で、しかも多様な人の目を使うことによって、その「発言権の大きさ」を増そうとしているのではないか、と思えた。

 それは、言葉を変えれば「権威づけ」ということになる。

 そして、「グッドデザイン賞」は、歴史を積み重ねることで、さらに「発言権の大きさ」を増していっているのだけど、「いいデザイン」という、どこか主観的なものも、こうして大勢で多様な目を通すことによって、実績を蓄積させることで、より説得力を増している、と思った。

売り切れ

 もちろん「グッドデザイン賞」と一緒ではないけれど、私の場合は、「いいデザイン」に関しては、妻の「発言権」は大きい、という意味で、構造的には似ているので、そのボトルへの見方は変わった。

 よく見ると、ブドウ糖は、頭脳の働きをよくする、といった説もあるらしいので、このボトルには、「集中力 スイッチON」という文字も見えるし、鉛筆のイラストや、大吉という言葉もあるので、この冬の時期に、受験生向け、という狙いもあるようで、だから、桜の花びらが散っているのだと思った。

 さらに、そのことと関連して、「GO WITH YOUR STUDY」という英語まで、目立たないけれど書いているので、よく見ると、これでもか、と受験生や、この季節にアピールしているのだから、それは、ダサいとも言えるのだけど、不思議なもので、好感度が増した後だと、そんなに気にならなくなっている。


 それよりも、このソーダは、安く売っていたから買ってきたのだけど、その味は、妻は知らないから、今度、そのスーパーに行ったら、買おうと思っていて、1週間くらい後に寄ったら、その姿は、すでに一本も残っていなかった。

 そういえば、こうした飲料は、安くなって、次は、また違うものが売られて、の繰り返しで、そんなに長く売られる商品ではないのかもしれない、と思った。

 結局は、その商品には、その後、お目にかかっていないので、妻に飲んでもらって、味のことも含めての感想は聞けていないままだ。




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