「書くことが、仕事になるために」①
毎日のようにnoteに投稿をしている。
それは、一つには「書くことが、仕事になる」ためだった。
書くことが、仕事
「書くことを、仕事にする」という表現にしなかったのは、自分だけがそう思っても、他の誰かから必要とされないと、「仕事」にはならないのではないかと思ったからだ。
ただ、「仕事」になるためには、ただ書いているだけだと、やはり難しいと、noteを始めて3年が過ぎて、思うようになりました。
読んでくれる方に対しても、具体的に働きかけなくてはいけないのだと感じています。
そう書くと、なんとなく気持ちを構えさせてしまうかもしれませんが、いろいろと試行錯誤をして、本当に「書くことが仕事になるのか」も含めて、これから考えていきます。
少しお付き合いしていただければ、ありがたく思います。
具体的に、何をするのか?に興味がある方は、「書くことが仕事になるために その1」にとんでいただければ、と思いますが、もし、よろしかったら、個人的なことですが、「ここまでのこと」も関係してくると思いますので、それも読んでいただければ、幸いです。
よろしくお願いします。
コロナ禍
2020年からコロナ禍が始まり、外出があまりできなくなった。
個人的な事情に過ぎないのだけど持病を持つ家族がいるので、今でも、感染しないのは大事なことのままだ。
資格をとって始めていた仕事は、もともと少なかったのだけど、余計に、それ以上増やせなくなり、だから「書くことも仕事にできないだろうか」という気持ちもあったので、noteを始めた。
ライター
以前、といっても、もう20年以上前の昔にフリーで「ライター」をしていたが、その頃は「書くことが仕事」と言える状況は、比較的シンプルだった。
雑誌でも、新聞でも、マスメディアや、もしくはミニコミと言われる場所であっても、そこから原稿を依頼され、文章を書き、そのことで支払いが発生すれば、「ライター」と言えた。
さらに、できたら、「ライター」としての仕事で定期的に収入があって、生活もできていれば「プロのライター」と、やや自信を持っていえた。
私は、主にスポーツの分野を、取材して書くことを続けていた。取材方法は、スポーツの現地に行き、そして、インタビューをすることだった。
そんな生活を10年ほどしていたが、介護を始め、自分自身も心臓の病気を持つようになったので、仕事はやめることにした。
もし、もっといわゆる「売れっ子」であったら、仕事を続けられたかもしれないけれど、当時は、取材をして書くという方法をとっていて、その頃、仕事を依頼してくれる出版社などの仕事を、事情を伝えて断っていたら、そのうち仕事はなくなり、無職になって、ただ介護を続ける生活になっていた。
それが長く続いた。
書き続けること
その間も、書くことは、特にどこかへ発表することもなくても、毎日続けていた。
とにかく、続けていないと、スポーツと一緒で、書く行為をいったんやめてしまったら、もう書くことはできないと思っていたからだ。
その途中で、いわゆる公募される賞には、何度も送ったことがある。
すべて「ノンフィクション」と言われる分野で、小説と比べると、一般から公募をしている賞は少なく、しかも、介護に専念するような生活だと、他の何かをすることも難しかったけれど、それでも、少し追加取材をしたり、スポーツの現場に行ったり、もしくは、介護を中心とした自分の経験を書くしかなかった。
1年に一作以上は送るようにしていた生活を、介護をしながら、何年も続けた。
まったくダメだった。
ただ送って、何の反応もなかった。受賞した人の作品を読むと、今も現役で伝える仕事をしながら、海外で長い取材をしたり、特別なことがテーマになっていることが多かった。
自分にはとても無理だと思いながらも、書き続け、ただ送った。
反応
一度だけ、反応があったのは、介護を続けて10年くらい経った時だった。
自分が20年ぶりに、大学時代のサッカー部の人間と一緒にフットサルを始めることができて、それがとてもうれしかったので、そのことを書いて送ったら、その応募先から電話が来たことがあった。
選ばれて、今度、出版する本に載ることになりました。
最初はそんな話に聞こえたので、正直、とてもうれしかった。入選のような言葉自体を聞くことがなくて、そのうちに、応募した書類は本当に届いているのだろうか。そのまま捨てられているのではないか。
そんなことはないと思いながらも、つい、そういう妄想をしがちな頃だったから、自分が書いた原稿を、読まないとわからない細かい話をしてくれているだけで、ありがたかった。
ただ、途中から、少し内容のトーンが変わった。
応募した原稿は、400字詰めの原稿用紙(こういう数え方をするのは古い人間の感覚だとは思うけれど)で20枚の原稿を送ったが、そうした応募作品を何編かまとめて本にする。そして、私の原稿も、そこに掲載予定なのだけど、その費用として14万円払ってください。そういう話になった。
金額の大きさではなく、受賞したら賞金をもらえる、というつもりで書いていたし、こちらからお金を払って、掲載してもらうのは、とてもプロにつながることとは思えなかったし、金額も高かった。
最初、喜んだ分だけ、すごくがっかりした。
自分には、何かを書いていく価値がない。
そんなことを言われたような気もした。
note
それでも介護を続けながら書くことは続けて、その間に、資格をとって支援をする仕事も細々と始めたが、それでは生活をするレベルの収入は難しいままだった。
2018年に、突然、約19年間の介護生活が終わってしまったが、介護のための午前5時就寝の昼夜逆転の体質を変えようとしたが、急ぐと負担がかかり病気になってしまいそうだったので、少しずつ修正し、やっと少し通常の生活が出来そうになった頃に、コロナ禍になった。
21世紀のライターは、より難しくなったのはわかっているつもりだった。特に、この時代に「プロのライター」(この表現自体も微妙かもしれない)であり続けるのための条件は、よくわからなくなっていた。以前のようにマスメディアに原稿が載れば、といったシンプルなことではなくなっていたようだった。
少し考えると、なんだか、未来がまた暗くなったので、毎日書くことは続けていたので、それを人の目に触れやすくした方がいいのかも、と思った。
携帯もスマホも持たない生活で、それまでSNSにも一切関わっていなかった。Twitterなどでの炎上や攻撃性を見ていると怖くて始めにくかったが、「noteは平和」という情報を、ハヤカワ五味氏に教えてもらった。
「20年」と「1000日」
それで、noteを始め、3年以上がすぎ、一時期、コンピュータの故障で連続投稿が途絶えたこともあったが、先日「1000日連続」が達成できた。
さらに、もっと個人的なことだけど、とにかく毎日書こうと決めてから、20年欠かさず続けられたのも、この前、達成できた。
自分にとっては、区切りの出来事でもあったので、ここから、具体的に「書くことが、仕事になるため」を始めようと思いました。消極的な自分にとっては、大変なことなのですが。
「書くことが、仕事になるために」 その1
今のように毎日、noteを書いていく生活は変わらないと思いますので、それがそのまま収入にもつながれば、現時点では、自分にとって、それが「書くことが仕事になる」につながると思いました。
そのために、まず地道で基本的なところから、少しずつ変えていきます。
最初にプロフィールを少し内容を変えます。
『大人になってから、3回目の大きな変化を迎え、いろいろなことを伝えたい、と思うようになりました。2020年3月14日投稿開始。ジャンルごとに、マガジンにまとめる予定です。2020年8月から、一部、有料化を開始しました。東京都在住。』
これ↑が、これまでのプロフィールですが、ここをまず変えます。
『2020年3月投稿開始。現在、記事数は約1500。大人になってから3回目の大きな変化を機に、「書くことが、仕事になるため」を目指し、毎日noteに投稿を続けています。記事は、少し長めのことが多いです。東京都在住』。
それから、やはり、「書くことが仕事になるため」には、俗な表現になりますが、「この人の文章はお金を払ってでも読みたい」と思えるような書き手になることだと思いますので、その方向へも試行錯誤を始めたいと考えています。
まず小さな変化として、サポートの欄に文章を加えようと思います。
「記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります」。
やや硬い文章ですが、さらに説明を加えれば、このような表現になるかと思います。
1つの記事だけではなく、いくつか読んだ後でも、しばらくの期間読み続けてからの結果としてのサポートでも、書き続ける応援という意味でも、サポートをしてもらえるとありがたい、という気持ちを込めています。
まずは、この小さな変化から始めてみます。
その後の経過については、また報告する予定です。
いろいろと至らないことが多そうなので、もし、よろしかったら、疑問やご意見などもいただけたら、ありがたく思います。
よろしくお願いします。
おち まこと
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