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読書感想 『すべての男は消耗品である 最終巻』 村上龍  「歴史の定点観測」

「カンブリア宮殿」を久しぶりに見たら、村上龍に、急に老いを感じた。

 それは、とても勝手で、失礼で、しかも、生きていれば歳をとるのは当然のことなのに、そんなふうな外見的なことばかりに注目をするのは、どこか浅ましいことだという自覚はある。

 村上龍は、もう70歳になるのだから、と思いながらも、それでも、去年、この番組を見た時と比べて、その老い方が急過ぎるように感じていた。

 そして、同じ頃、「すべての男は消耗品である」というエッセイ集が最終巻を迎えたのを知ったのだけど、それは、すでに何年か前、2018年のことだと知った。

『すべての男は消耗品である 最終巻』  村上龍 

 1984年、連載開始。村上龍、32歳。 キューバから、中田英寿がいたイタリアから、パリ・ダ・カールのサハラ砂漠から、34年間送られたエッセイ。その最終巻、68歳の村上龍は、政治を語らず、メディア批判も止めた。 だが、現代日本への同調は一切ない。本作は、澄んだ湖のように静謐である。だが、内部にはどう猛な生きものが生息している。

 連載の最初は、バブルの前からで、景気も良くて、文章も明らかに若かったし、エネルギーもあった。
 今の基準で言えば、「炎上」になりそうな表現も少なくなかったけれど、それは、その時代にとって、いつも、ウソがない感触はあった。

 このエッセイは、最初は、K Kベストセラーズの「ザ・ベストマガジン」というヌードも載っている若者向けの雑誌に連載がされていた。それは、確か、村上龍に対して、死ぬまで連載してください、という依頼だった、というエピソードを覚えている。

 だから、どこか、ありえないのはわかっていても、半永久的に、少なくとも村上龍が生きている限り、続くものだと思っていた。

 だけど、この最終巻が出てから、個人的には、3年ほど経って、その「一つの時代の終わり」を知った。

 コロナ禍になる前に、連載が終了していた。

誠実であること

 息継ぎしないで何百メートルも疾走するような小説の文章と同様に、エッセイにも勢いが明らかにあったが、それと比べると、最終巻では、明らかに、その勢いは減っていた。

 ただ、「わからないことは、わからない」と率直に書く部分などは、本当に変わっていないと思った。その、何より自分に対しての誠実さをベースに、この長い間、ずっと書き続けてきたのは、想像以上に貴重なことなのかもしれない、と改めて感じる。

 何度も書いているが、このエッセイで政治に言及することがなくなった。書かなくなったのは、内外の政治がねじれにねじれて、どこに注目すればいいのか、何をテーマにすればいいのか、非常に面倒になったからだ。たとえばトランプ大統領だが、率直に言ってよくわからない。

 今の自分に関しても、冷静で正確な見方をしている。この視点を保つのも、実は想像以上に難しいことなのではないか、と思う。

 34年間続けてきたエッセイの連載が終わり、「単行本・最終巻」がこうやって出版された。読み返すと、さすがに時の移り変わりと、加齢を感じるが、当然のことなのでしょうがない。だが、わたしの考え方、好みは充分すぎるほど反映されている。これまで反省は多々あるが、後悔はない。

現在への視点

 それでも、ノスタルジーだけに浸るのを拒否するように、現在について、過去を知っている上で、突き通すような見方をしていて、それは、この最終巻全体としては、静かなトーンなのだけど、急に鋭角的な感触を感じさせる部分もある、ということで現れている。

 バブル期を知っている人間についての冷静な見方は、私自身も該当する世代だけに、少し怖さもあるほどの正確さを感じる。少し長いが引用する。

 もちろんまっとうな自信を持つ人もいるが、単に好景気のせいで画期的なパフォーマンスが可能だっただけなのに、その実感の積み重ねが自信となり、血肉となって刷り込まれている人もいる。そういった人は手に負えず、若い優秀な後輩たちは「がまんできない、早く辞めて欲しい」と思っているはずだ。
 ただ、わたしが言及したいのは、そういったバブル期を引きずるダメな50代ではない。ダメということではなく、参ったなという思いであり、それは、彼らが狭い業界に長い間いて、それなりに成功と評価を得てきたことに起因している。彼らには、骨身に染みるような危機感がない。「仕事ができない」のではなく、ひょっとしたら自分にはこの仕事はとてもむずかしいものになるかもしれないという意識がない。「できる」という過信があるというわけではない。「できないかもしれない」という不安がないのだ。そしてそれは、たとえば異業種とのビジネスにおいては、かなりのリスク要因となる。
 この仕事は不慣れなので自分にはできないかもしれないという不安がない場合、異業種とのコミュニケーションは、とてもむずかしくなる。不安は、好ましいものではないが、危機感を生むので、大切なモチベーションとなることもある。まず、コミュニケーションを取る際に、徹底して相手の立場に立つという基本を常に留意するようになる。それがないと、異業種との作業は大きなリスクを生む。 

歴史の定点観測

 このエッセイは、30年以上続いてきた。
 それも、その時代に対して、村上龍自身として、まっすぐ残してきた記録という印象がある。私も、雑誌で全てを読んだわけではないけれど、単行本のほとんどを読んできて、それは、本当に時代の流れを感じるものでもあった。

 その時代のことを知りたいときに、村上龍という作家を基準として、まるで「歴史の定点観測」のように、嘘のない表現になっていると思います。よかったら、初期のものから読んでもらえると、その時代の空気みたいなものも、感じられるのだと思いますので、特に、初期の「全ての男は消耗品である」は、昔のことを知らないけれど、知ってみたい、という方には、強くおすすめできると思います。

(第1巻↓は、1984年から、1987年の連載がまとまっています)。 





(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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