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読書感想 『私はあなたの瞳の林檎』 舞城王太郎 「“世界”に巻き込む圧倒的な力」

 舞城王太郎を読んで、面白いと思って、その後に微妙に不安になることがある。

 すでに安定したベテランの書き手になっているはずなのだけど、読むたびに、新鮮な印象があって、ただ、そう感じる自分が、「心の若づくり」をしているのではないか、という自意識過剰な不安に襲われる。それだけ、読んでいる間は、その書かれている“世界”に自分がいて、いつもと違う感覚になっているから、余計に、そんな気がするのだと思う。

『私はあなたの瞳の林檎』

 2018年に、舞城王太郎は、2ヶ月で2冊の本を続けて出した。その最初の1冊で、「恋愛」をテーマにしている、という。このいろいろなものが出尽くしたような現代に、わざわざ「恋愛」を打ち出しての作品は、返ってハードルが高くなるのではないか、と勝手に微妙な心配というか、意地悪な見方をしてしまうし、「恋愛」をテーマにした小説はほとんど読んだことがないから、自分に読めるのだろうか、みたいな、またいつもと違う小さな不安はあったが、読み始めたら、そんなことは忘れていた。

 中学校の三年のときだったか、英語の時間の雑談で「You are the apple of my eye」ってイディオムの意味が《あなたのことは目に入れても痛くないほど愛してる/大事だ》だと教えてもらったとき、皆はリンゴがどうしてそんな意味を持つのか判らなくて混乱していたようだったけど、僕がそうじゃなかったのは、隣のクラスにいる鹿野林檎のことがもうずっと好きで好きでその慣用表現にぴったりだったからだ。クスクスと笑っている奴がいたのは、僕がそれを公言していて最初っからからかいの対象だったからで、もう馴れていたので全然気にならなかった。その授業が終わってから「お、戸ヶ崎直紀の瞳のアップル」と阿呆の高村聰がからかったときとき林檎が平気だったのも、同じく僕のことで皆にからかわれることに馴れてるからで、でも僕はやっぱり申し訳なく思うし高村つまらんこと言うなよな、ふうくだらない、とげんなりする。

 この本は、3つの短編で出来ていて、「私はあなたの瞳の林檎」の書き出しの最初の段落で、すでに自分が、中学校の教室という“世界”のスピードに同調しかかっていて、そこからさらに、この“世界”に巻き込まれていくことを感じていた。

 主人公は小学生から高校生まで成長するものの、1人称で物語が進んでいるから、異性はずっと謎のままで、急に心変わりしたり、突然、そんなことを考えていたのか、という意外さにぶつかったりするけれど、その“世界”に入り込んでいるので、自分も主人公の年齢になっているような感覚になれる。

 気持ちは、主人公と一緒に揺れる。
 こういう体験は、貴重だと思う。

「美大生女子」の気持ち

   最初の短編は、「男子」が主人公なので、同じ男性だから、入りやすいのかと思っていたら、次の「ほにゃららサラダ」は、主人公が「美大生女子」だったのだけど、美術作品を制作する時の迷いや焦りや確信なども一緒にたどれる。

 いろいろな意見を、若さのある断言をされて、短い時間に、主人公と一緒に、あっちに行ったり、こっちに向かったり、と本当に揺さぶられるし、この物語の中で流れる時間は美大に入学してからの1年半くらいのはずだけど、若いだけに、その成長が早いことまで実感できる。

 自分とは全く違う存在のはずなのに、その“世界”にいられるのだから、その巻き込む力が圧倒的に強いのだと思う。それは、やはり書き出しが重要なのだと、改めて感じる。

 ビンちゃんが高槻くんのことをワカメのっけたゆで卵みてーだなーと言った。私とビンちゃんは学食のテーブルで二人で座っていて、二つ前の隣、桂馬のテーブルにいる高槻くんたちを私がぼうっと眺めてるのに気付いてビンちゃんはちょっと茶化したのだ。ビンちゃんが上手いこと言うのでちょっと笑ってしまった。

違うスピード、異なるリズム

 舞城王太郎の小説の登場人物は、何しろ饒舌で、そのことによって、読み手は、その“世界”に巻き込まれていく。

 そして、その人物は、それぞれ独特なのだけど、性別や年齢だけではなく、違う存在だということが分からされるのは、今回の「私はあなたの瞳の林檎」の3編それぞれの書き出しが、どれもスピード感はあるものの、その口調だけでなく、微妙に違う速度で、異なるリズムのおかげで、これから入っていくのは、確かに違う場所であることが、体感として伝わってくるような気がする。

 3編目の「僕が乗るべき遠くの列車」は、他の2編に比べると、明らかに少しだけスピードが遅く、それによって、主人公の内省の度合いが高めで、心の中は別としても、やや口数が少なそうな感じが強調されるように思う。

 そして、主人公が受け身で、恋愛だから、というだけでなく、周囲の登場人物に翻弄される感じもより強くなるのだけど、それは書き出しから表れているように思った。微妙にスピードが遅いせいなのか、この物語の中に流れる時間も、この3編の中ではもっとも長く7年くらいになる。

 なんとなく十五歳になる前に死ぬんだろうと思っていた。うちの親も僕と同じくらいの年の頃自分たちが十八まで生きられないと思っていて、それはノストラダムスの大予言なるものを信じていたせいで、一九九九年の7月のどこかで空から恐怖の大王が降りてきて人類を滅ぼすと真面目に想像していたのだ。どうしてそんなふうに頭が働いたのか理解できないが、人は条件次第で何でも信じるということだろう。あるいは子供なら、ということかもしれない。それにしてもサンタクロースの夢から覚めてそんなメルヘンチックなことはあり得ないと悟ったはずの脳はどうしちゃったのか。

体験できる小説

 あまり外出もできない現在、それでも、気持ちが動くような体験をしたい時に、読書は有効な手段だということを、改めて思い出させてくれるような作品集でした。

 私のように、「恋愛」がテーマとする小説が苦手な人にも、人を好きになったり、好きだから不安になったり、相手の気持ちを知りたいのに分からなかったり、気持ちが変わったり、といったことも、体験できる小説なのではないか、と思います。



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