遠すぎたアメリカ……「大 リーグボール」という名前の意味を、50年ぶりに考える。
すでに知らない人が多くなってしまったと思いますが、昔、「巨人の星」という野球漫画、そしてアニメがありました。
アニメにもあった「昭和の空気」
1968年にテレビで、アニメ放映が始まっています。週に1度の放送で、3年半続きました。主人公の父親はプロ野球の選手でしたが、戦争に行き、命は落としませんでしたが怪我をし、それが元でプレーに支障が出て、そのために苦肉の策として編み出した方法も、卑怯と指摘されて、引退します。
その後、長屋で貧乏暮らしをしながらも、2人目の子供が男の子だったため、幼い頃から経済的には恵まれない中で、野球の英才教育を施します。母親は、生活の苦しさの中で、亡くなってしまいます。その2人めの男の子が、主人公の星飛雄馬(ほし ひゅうま)です。今だと、ダンサーにいそうな名前です。でも、ストーリーの基本は、根性という精神力頼みです。
このあらすじは、今だに何も見ないで書けるくらい、ある年代から上には、覚えたくなくても覚えてしまっている記憶だと思います。
やたらと人間関係は熱く、大声を出し、よく滝のような涙を流します。今でも、たぶん、どこかで映像が見られると思いますので、よかったら、見てもらえると、昭和のある時期の空気感が、理解しやすくなるのでは、と思います。
「無茶をさせる」と鍛えられて力が伸びる、という思想
「巨人の星」の続きです。
経済的には恵まれないのですが、星飛雄馬は、父親の厳しすぎるトレーニングもあって、ほぼ超人的な野球の技術を身につけます。家の壁に、野球のボールぎりぎりの大きさの穴があいていて、その外には太い樹木があります。星飛雄馬は、家の中で座りながら、その壁の穴にボールを通し、外にある樹木に当て、再び、穴を通って、自分の手元に戻ってくるようなことを、日常的にできるようになります。(まだ中学生くらいのはずです)。
さらに、「大リーグボール養成ギプス」という、強力なバネでできている「装置」を腕につけさせられます。満足に食事の動きもできません。今なら、虐待といわれます。それで日常的に筋力を鍛える、という思想です。「何しろ無茶をさせれば鍛えられる」という発想で、このアニメでもたくさん出てくる「うさぎ跳び」という練習も、辛いわりには効果があがらない、という理不尽な方法です。
こうした数々のエピソードはもちろんフィクションですが、ある年齢以上の人の中には、この「無茶をさせると力が伸びる」という思想で、今も生きている人は、そんなに少なくないのではないか、と思うことがあります。これは、パワハラに結びつきやすい発想でもあると思います。
「大リーグボール」という「魔球」
さらに「巨人の星」の続きですが、そんなとんでもない日々と、今でいえばBL風のライバルの存在のおかげもあり、高校中退というアクシデントはありましたが、主人公の星飛雄馬は、10代でプロ野球の選手となります。とても速いボールと、すごく正確なコントロールを武器に活躍しますが、すぐに致命的な欠陥があらわになってしまいます。
それは小柄なため、(これは経済的なことや、大リーグボール養成ギプスのせいでは、と思うのですが)球質が軽い、という欠点です。この球質が軽い、というのも、どこか真偽が定かでないことなのですが、球は早くて正確でも当たれば飛ぶ、みたいな言われ方をされプロでは使えない、みたいなことになってしまいます。
球速が速くて、コントロールが抜群であれば、そもそもバットに当たりにくいのでは、といった素朴な疑問が出てきますが、その致命的な欠陥は、次の展開のために必要な事でした。
このままではプロ野球の選手としては続けられないと追い詰められた星飛雄馬は、奇策に出ます。それが、「魔球」である「大リーグボール1号」です。それは、バッターが構えているバットに、星飛雄馬が投げたボールが(バッターが逃げようとも)当たり、ピッチャーゴロになってしまう、というとんでもない「魔球」を、ものすごく無茶で理不尽な努力の末、身につけます。
正攻法で行き詰まると、その正攻法を改良して、なんとかしていく、というよりは、いきなり「奇策」に出る、という「昭和スタイル」は、実は平成でも生き延びて、それが、ゆっくりした沈下に影響していると思うのは、考えすぎでしょうか。
「大リーグボール」という名前
その「魔球」は、父親がライバルチームのコーチになって、打たれてしまう、という複雑で理不尽な展開になり、そのあとに「魔球」である「大リーグボール2号」そして「3号」まで無茶な努力で開発し、その「大リーグボール3号」は自らの肉体にあまりにも大きい負担があり、最後は…という展開なのですが、今回、改めて考えたいのは、この「大リーグボール」という名称です。
この「大リーグボール」というのは、本場・アメリカの選手にも通用するように、という思想で開発されたのですが、(考えたら、子供時代に、「大リーグボール養成ギプス」をつけさせられていのたですから、伏線を回収しています)、どうして「大リーグ」という名称になったのでしょうか。
その理由は、「メジャーリーグ」の別名である「ビッグリーグ」を訳したもの、という説明がされているのですが、この「大リーグ」という呼称は、時代が進むほど、使われなくなっていった印象があります。野茂英雄がアメリカに渡った頃は、すでに「メジャーリーグ」ですし、イチローが「大リーグ」でプレーしているという表現はされていなかったと思います。
つまり、「巨人の星」で、「大リーグ」という名称が採用されことに関して、「メジャーリーグ」のほうが一般的であるのに、わざわざ別名の方を使ったのは、どうしてなのだろうか、という疑問が、50年後の今でもあります。
本当にアメリカを意識するのであれば、「メジャーリーグボール」にすべきだったのかもしれません。ただ、その頃の視聴者(子供)の一人として、その名前のほうが「正確」なのでしょうが、たぶんピンとこなくて「大リーグボール」の方が「魔球」に近いように思っていたのかもしれません。
それに、アメリカには「メジャーリーグ」と「マイナーリーグ」があり、それは、日本のプロ野球の「1軍」と「2軍」とはまったく違ったもの、といったことが、本当に理解されていなかったように思います。
そして、「メジャー」は、「主流」という意味合いの方が正確だと思われるのですが、「大きい」という意味もあるようなので、「巨人の星」では、「ビッグリーグ」を訳したのかもしれませんが、「メジャーリーグ」を翻訳したとしても、「主流」よりも「大きい」という意味合いを優先させて、「大リーグボール」にしていた可能性はないでしょうか。
とても遠かったアメリカ
もしかしたら、島国の特徴かもしれませんが、特に明治以来から昭和まで、日本では、何しろ「大きい」の価値が高い時代が続きました。
ちょうど、「巨人の星」のアニメ放送が始まる頃の、テレビCMでは「大きいことはいいことだ」というコピーが話題になり、注目もされ、肯定的に捉えられていました。
そんな時代の「魔球」ですから「主流リーグボール」や「メジャーリーグボール」ではなく、「大リーグボール」という名前にしたのは、自然な選択だったのだと、改めて思います。
同時に、「メジャーリーグ」ではなく「ビッグリーグ」を翻訳することを選択した頃は、アメリカはとても遠く、そして、メジャーリーグは、日本のプロ野球とは完全に別物として考えられていた時代でした。
その象徴が、おそらくは「大リーグ」という訳し方であって、何しろ「すごいことは、大きい」という発想は、その対象が縁遠いほど、選択しがちだと思います。
それに、「メジャー」と「マイナー」の違いを、アメリカの文化に合わせて丁寧に考え、違う文化として日本の視聴者に説明するような環境もなかったので、「大リーグボール」という名前を選択したのではないでしょうか。
そして、アメリカの野球でも通用する、という思想のもとに開発された「大リーグボール」が、消える魔球だったりしても、その頃のテレビの前で見ていた子供としては、もちろんフィクションと分かりながらも、遠いアメリカは、どうやらすごいらしい。そして、そこで通用するということは、ボールが消えるくらいじゃないと無理なのではないか、と何となく思っていたから、そうした無茶な設定に対して、どこかシリアスにとらえることができていたのかもしれません。
それだけ、アメリカは、違う文化は、遠かったのだと思います。
遠くなった昭和
そんな昭和の発想が遠くなったと思うのは、日本の選手が、アメリカでも一流として活躍するようになったこともあり、「大リーグ」という言葉は使われなくなり、すっかり自然に「メジャーリーグ」といわれるようになったと感じる時です。それは、やはり、気持ちの距離感が縮まったせいだと思います。
ダルビッシュの投球は映像で見ると、あまりにも多彩で、どこか「魔球」に近い印象もありますが、もちろん「消える魔球」を投げなくても、十分以上の活躍を続けています。
大谷翔平は、メジャーリーグにとっても、稀な二刀流の活躍を、今も継続しようとしています。(二刀流という表現に、大リーグという言葉の残り香みたいなものは感じますが)。
そう考えると、遠すぎて、よくわからなかったアメリカは、とても近くなったのかもしれません。そして、その距離が近くなるごとに、昭和も遠くなっていって、それは健全な変化だと思います。
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『さよなら、俺たち』 清田隆之 「進化のための痛みの記録」。
「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」。①「コロナは、ただの風邪」という主張。 (途中から有料noteです)。
「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」③ 2020年5月 (有料マガジンです)。
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