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とても個人的な平成史⑥「記録メディアの急速な進化」 USBが“侵略の道具”に見えた日

 昔の話で申し訳ありませんが、薄れたとはいえ、今もその驚きとか、どこか別の世界にきてしまったような一瞬の恐怖は、覚えています。それは、冷静に考えたら、貴重な体験でした。

自分が見たことがない小さい金属片を、みんなが高く掲げていた

2010年4月某日。
 約10年間、仕事もやめ、家族以外には、ほとんど誰とも会わずに、家族の介護に専念する生活を送ってきたのだけど、この4月から、資格をとるために学校へ通い出した。

 私には子供がいないが、ちょうど子供世代にあたるような若い人たちや、ベテランのプロの方々など、いろいろな人たちが混在している中で、学び始め、わからないことばかりだし、緊張もあったせいか、何十年かぶりに時間がゆっくり流れ出していた。

 講義も新鮮だった。それまでできると思っていたことが、できないのだと、思い知らされるように分かってきた。辛さもあったが、少しずつ覚悟もできて、学ぶことは体質そのものを変えることなのではないか、と気がつき始めた頃だった。

 ある講義で、録音する実習があった。
 私は使ったことがない、カセットもMDも使わないデータだけで録音できる機械だった。
 それは、学校のものだから、家に持って帰ることはできない。それでも、その内容は個別に持ち帰ることができるかもしれない、という話になった。

 そういえば、みなさん、〇〇、持ってますか?
 と、私が知らない単語と共に問われると、
 そこにいる、私以外の人間が、小さく硬そうな、一部が金属で光っている機械を手に持って、掲げていた。

 ここは、すでに宇宙人に侵略されているのかと思った。
 みんなが、知らない小さい機械で操られているようにさえ、見えた。

 もちろん、そんなことはないのは分かっているのだけど、私は、その機械を見たこともなかったから、いつのまにか、本当に、自分が知らないうちに、世界が変わっている感覚だけは、一瞬だけど、間違いなく感じていた。

 それが、USBメモリというもので、記録メディアであると知ったのは、その講義が終わったあとだった。「同期」の若い人に聞いたからだ。
 そして、その機械は、どうして誰もが持っているのか不思議だったし、もしかしたら、学校に入る時に必要なものとして書いてあったのを見落としたのか、学校のどこかに売っているのだろうか。どこで買えばいいのか。そんなことを、「同期」にも聞いて、その時は、相手がとまどっているのが不思議だったが、今だったら、分かる。

 USBを本当に知らない人間が、現代の日本にいることを信じられなかったのだと思う。
 今なら、私も、そう思う。

社会から隔絶されていた10年間

 個人的には、レコードやカセットテープが基本で、MDは新しいという印象だった。
 コンピューターを買ったのは1999年で、いろいろな事情で、マックのパワーブックG3を買った。ノートブックでないと、持って行って、教えてもらうことができなかったし、知人で詳しい人はアップル派だった。

 その人の勧めで、フロッピーディスクドライブも買って、それから、記憶メディアは、フロッピーディスクしか知らなかった。2007年にG3が急に壊れて、白いマックブックを買った時には、内臓のハードディスクが100GBを超えていて、本気で驚いたのは、G3は2GBだったからだが、店員さんは、ちょっとひいていた、と思う。

 その時も、フロッピーしか知らなかったので、フロッピーディスクドライブを買ったのだけど、店員の反応も微妙だった。すでにUSBが出ていたはずだから、その対応も自然だとあとになると分かる。とにかく、そうやって、ただフロッピーディスクを使い続けた。

 個人的な事情だけど、1999年から仕事を辞めて、介護に専念していて、コンピューターは買って、教わっていたけれど、それも最初だけで、少し覚えたら、あとは、ほとんど誰にも会わずに、ただ介護だけをしていた。だから、USBのことは、本当に知らないままだった。携帯を持たないままの生活も続いていた。

 だから、2010年の4月から、学生になったのも、「社会復帰」という感じで緊張もしていたし、この10年間の変化を、何も知らないことに気がつき始める。USBメモリも、その一つだった。「さくら水産」が増えていたのも知らなかった。

 特に2000年代に入ってからの10年間は、いろいろな進化はとても早かったと思う。


記録メディアの進化の早さ

 人類の歴史という大きな流れで考えたら、音楽の記録メディアは、まずはレコードだった。
 それから、カセットテープが発売され、1970年代からはメジャーになったが、デジタルという言葉をよく聞くようになったのは、CDが登場した1983年以降だと思う。
 MDがソニーで発売されたのが、1992年(平成4年)。
 ICレコーダーが出たのが、そのあとになるが、その時に、カセットテープや、MDなどの記録メディアとしての「物質」ではなく、記録は純粋にデータとして扱われるようになった、と思う。

 そして、2000年代になってから、音楽もダウンロードで入手する方法が多くなってくるようだった。2007年にはiPhoneが登場する。音楽を携帯やスマホで聴く割合が増えて行った。今は、サブスクリプションだから、音楽を自分で個別に選ぶ、という行為さえもなくなっていくのかもしれない。記録、という概念が変わってきているのだと思う。


 コンピューターのデータの記録に長く使われていたのが、フロッピーディスクだった。特に1970年代から、1980年代は隆盛を誇ったが、USBメモリが登場した1990年代から下降線となり、2010年当時は、持つ運ぶ記録メディアとしては、おそらくはUSBが圧倒的だったようだ。iCloudのサービスが開始されるのは2011年のことだが、2010年4月に、他の人たちが、USBを持っているのは、当然の光景だったと思う。

 
 自分の記憶もあるが、今回、一応、少し調べてみた。もしかしたら、誰でも知っていることかもしれない。

 ただ、改めて、それまでは一世代かかっていたような変化が、10年単位で大きく変わっていくような印象だから、世代によって、記録メディアの記憶が、これだけ差がある時代は、珍しいのではないか、とも思った。
 特に、平成に入ったあたりからの変化が急速な印象がある。

進化の早さの必然性

 MDなどは、平成に入って登場したのに、平成が終わる頃には、ほぼ姿を消してしまっているのを見ると、変化が激しいことを実感するが、それは、ある年代以上の感慨に過ぎないかもしれない、とも思う。

 MDのコンパクトな録音機器を使って、学校へ行っている頃もインタビューなどに使っていたが、20代の人たちから、かなり珍しがられた。骨董品を持っているような気持ちになった。

 それなんですか?あ、これMDだ。見せてください。まだ、あるんだ。録音もできるんですね。

 これを購入した1990年代の後半は、まだ「新しい」ものだったのに、とは思った。

 それでも、より便利で、よりコンパクトになるのは、当然の流れだし、その流れの速さが、技術の進化で加速していただけだった、と思う。これからいろいろな進化は進んでいくだろうし、その速度は早くなっていくかもしれない。

 ただ、これ以上、便利になったり、スペックが高くなったとしても、人間がそれを使いこなせるかどうかを考えると、機械も、すごく簡単なものと、高スペックなものとに、さらに2極化していくかもしれない、とも思う。

進化へ適応することと、その負担

 2007年に、初めてコンピューターを買い替えることになり、秋葉原に行った。
 その時、店員にとっては、こんなに知らない中年ということで、あきれられたとは思うのだけど、すでに購入する人が少なくなっていたフロッピーディスクドライブが何種類かあって、説明してくれる時に、早い、遅い、という表現がたくさん出ていた。

 どのくらい違うんですか?
 と尋ねて、返ってきた時間の単位が、1秒の10分の1や、下手をすれば、100分の1だった。そんな単位は、オリンピックの決勝でしか気にしたことがなかった。
 人間は慣れれば、その時間の差が普通に分かるようになるし、その差を遅いと感じて、もしかしたらストレスになることがあり得ると考えると、適応のすごさも思ったが、常に一定の緊張感を持つようになり、負担が増えないだろうか、とは思った。

 何十年前かのニュース映像を見ると、今だとゆっくりしゃべっているように感じる。
 デビュー直後のサザンオールスターズは、すごく早口で歌っているように感じたのだけど、今聞くと、そんなに早くも感じない。
 自分自身でさえも、適応していることに、ちょっと感心はする。

 今、USBにパワーポイントを入れて、他の場所でスライドを見せることまでは出来るようになった。だけど、ひたすら静止画で、アニメーションを使うことは、まだ出来ない段階です。


この「とても個人的な平成史」シリーズについて

「昭和らしい」とか、古くさいという意味も含めて「昭和っぽい」みたいな言い方を聞いたことはありますが、「平成っぽい」や「平成らしさ」は、あまり聞いた事がないような気がします。
 新しい令和という元号が始まって、すぐに今のコロナ禍になってしまい、「平成らしさ」を振り返る前に、このまま、いろいろな記憶が消えていってしまうようにも思いました。

 だから、個人的にでも「平成史」を少しずつでも、書いていこうと思いました。私自身の、とても小さく、消えてしまいそうな、ささいな出来事や思い出しか書けませんが、もし、他の方々の「平成史」も集まっていけば、その記憶の集積としての「平成の印象」が出来上がるのではないかと思います。


(参考資料)


(他にも、いろいろと書いています↓。クリックして、読んでいただければ、ありがたく思います)。


とても個人的な平成史①「サンヨーの消滅」  充電電池は生き残った。

とても個人的な平成史②「変わらなさの象徴」 守りが堅い人・所ジョージ

言葉を考える①「ファーストフード」と「ファストフード」

いつもじゃない図書館へ行って、帰ってくるまでのこと。


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