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とても個人的な平成史①「サンヨーの消滅」  充電電池は生き残った。

 「昭和らしい」とか、古くさいという意味も含めて「昭和っぽい」みたいな言い方を聞いたことはありますが、「平成っぽい」や「平成らしさ」は、あまり聞いた事がないような気がします。わたしは昭和の生まれです。それでも、生きてきた時間でいえば、平成の31年間の方が長かったのですが、平成の全体の印象は、あまり変化がなかった、という粗い印象しか語れません。個人の能力の問題もありますが、時代は過ぎたあとに、その意味を考えられるはずなのに、その「平成らしさ」がまとまってくる前に、今の恐慌のような状態になってしまいました。

 その時の印象や気持ちは、どんどん忘れていってしまいます。それを自然に任せる「美学」もあると思いますが、様々なバリーエーションを持つ個人の記憶や思い出が集積されて、全体の印象が作られていく様子も見たい気持ちもあります。

 ということで、個人的に「平成史」を少しずつでも、書いていこうと思いました。私自身の、とても小さく、消えてしまいそうな、ささいな出来事や思い出しか書けませんが、もし、他の方々の「平成史」も集まっていけば、その記憶の集積としての「平成の印象」が出来上がるのではないかと思います。

とても個人的な平成史①「サンヨーの消滅」充電電池は生き残った 

 充電電池が本格的に発売されたのは、エネループという商品だったというのは、覚えています(2005年・平成17年 発売)。それまでの充電電池は、たとえば電動カミソリなどに内蔵されていて、まる1日くらい充電にかかるのに、実働時間が1時間に満たないような印象でした。

 太陽電池と一緒で、家庭で使えるほどに実用化するには難しいのでは、と思っていたら、一人の消費者としては、突然、発売された印象でした。2005年の発売から、何年かたって、初めて、おそるおそる、単3が2本充電できる充電装置と一緒に購入しました。値段ももちろん高めでしたが、その時は、『1000回充電できる』という謳い文句でした。

 それは、夢のような数字で、下手をすれば、永遠に近いのではないか、というくらいの印象でした。特に、マメに取り換える必要がある場所では、ありがたかったですし、充電電池があることで、電池交換しなくちゃ、電池の予備を用意しておかないと、という微妙なストレスが、それまでに、意外とあったことに気がついたりもしました。

 それから、少したち、大手の電気屋さんに行った時、そろそろ充電電池を買い足したいと思って、もちろん一本あたりは百円均一ショップよりはかなり高くなるので、家の中の必要な電気機器の数を頭で数えて、あと何本、と考えて、買おうとしていました。

店員さんに「新しいエネループが出ました、今度のは1500回大丈夫です」と笑顔で、言われました。もちろん、新しいものは、旧型よりも高い。ふと、思ったのは、もう自分は1500回使えないんじゃないか、そんなに生きていられるのだろうか、と思いました。1000回も、1500回も自分にとっては、変わらないんじゃないか、思ってしまって、「あ、古いほうでいいです」と答えていました。

 できたら長生きしたい、という気持ちはありますが、40歳を過ぎると、確実に自分にも寿命があることを実感できるのだと、充電電池に教えてもらったようにも感じました。


 それから、何年かたって、また充電電池を買い足そうと思って、たぶん、同じ電気店に行きました。エネループは、白いボディだったので、目立つはずだったのに、電池が並んでいる大きい棚を見ても、見当たりません。青いボディの電池がたくさん並んでいます。近くで見たら、パナソニックだったので、違うのかな、と思って、店員さんに聞きました。

『あ、今はこれです』
「じゃあ、以前、サンヨーのエネループの充電器を買ったんですけど、それも、この電池で使えますか」。
『はい、使えます』という返事だったので、買いました。

 そのやりとりの中に、知らないの?みたいなニュアンスを感じてしまったのは、こちらのひがみだったかもしれません。そして、それからは、充電電池は、青いパナソニックを買うようになりました。


 エネループを開発した三洋電機は、2011年(平成23年)に、パナソニックに吸収されていたことを、あとで知りました。個人的には、子供の頃から知っている大手の電機会社の一つだったはずの「サンヨー」は、気がついたら、なくなっていました。それを知らないのは、バカにされても、仕方がないことだと、思いました。


 それまで大手といわれる会社が、なくなっていったのが、平成だったのかもしれません。
 
 サッカーの日本代表が、初めてアジア予選を突破して、岡田監督がこれ以上ないほどまっすぐに両手をあげている映像を見て、自分が生きている間に、日本代表がワールドカップ に出られるとは思っていなかったので、不思議な気持ちになりました。この感覚は、1970年代からサッカーに少しでも興味がある人だったら、おそらくは共通するものだと思いますが、気持ちの中にあたたかい喜びが、テレビを見ているだけで、こんなに広がるとは思いませんでした。
 その翌日、1997年(平成9年)11月17日、月曜日に、北海道拓殖銀行が経営破綻したことを知りました。

 私が、就職をした1980年代後半は、就職先としてトップクラスの人気だったのが、銀行でした。それも、都市銀行は「つぶれない」象徴として語られていたことがウソのようでした。だけど、その都市銀行が破綻して、完全に、時代が変わったと思ったのは、覚えています。

 その翌週、1997年(平成9年)11月24日には、大手証券会社の山一証券が廃業しました。
 社長が泣きながら、あやまっている映像を何度も見ました。


 サンヨーのエネループの充電電池を、Panasonicの電池と一緒に、2020年(令和2年)の今も、家で普通に使い続けています。
 開発された時は、企業の方が先に、事実上、消滅するなんて、考えてもいなかったはずなのに、と、エネループを使う時、思ったりしたことは、あります。



(参考資料)
ウィキペディア 

「eneloop」https://ja.wikipedia.org/wiki/Eneloop
「三洋電機」https://ja.wikipedia.org/wiki/三洋電機
「北海道拓殖銀行」https://ja.wikipedia.org/wiki/北海道拓殖銀行
「山一証券」https://ja.wikipedia.org/wiki/山一證券

Panasonic ホームページ  エネループ/充電式エボルタ
https://panasonic.jp/battery/products/charge/eneloop.html



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