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読書感想 『じゃむパンの日』 赤染晶子  「純エッセイの力」

 いつも、同じような言葉を繰り返すのは、いつまで経っても自分が無知のせいなので、恥ずかしいのだけど、やはり、今回も知らない作家の作品だった。ただ、どこかで熱のある推薦のような言葉で紹介されていて、興味を持てた。

 これも、いつも同じようで申し訳ないのだけど、収入が少ないままなので、図書館で借りようと思ったら、予約がかなり入っていて、手元に来るまで3ヶ月かかって、さらに、次の予約も入っていた。

 それだけ、多くの人の注目を集めているのを改めて知ったのだけど、2010年に芥川賞受賞を受賞しているということを、申し訳ないのだけど、本当に不思議なくらい記憶になかった。

 そして、そのエッセーは、独特の感触だった。

『じゃむパンの日』 赤染晶子

一九七四年京都府舞鶴市生まれ。京都外国語大学卒業後、北海道大学大学院博士課程中退。二〇〇四年「初子さん」で第99回文學会新人賞を受賞。二〇一〇年「乙女の密告」で第143回芥川賞を受賞。二〇一七年九月永眠。著者に『うつつ・うつら』『乙女の密告』『WANTED!!かい人21面相』がある。

 このキャリアの中で、2006年から2012年までの作品が、この書籍の中に収められている。交換日記も含めて、56本。202ページで56本だから、一本あたり、4ページ足らず。

 それは、1950年代のポップスみたいだった。長くても2分くらいの曲が多かった時代。それだけの時間でも、決して短すぎる感じはしないし、聞いている時は、その世界に居させてくれてくれるように、赤染のエッセーも、その場所に連れていってくれる感じがした。

 例えば、「昭和のニート」

鶴吉さんはニートだった。鶴吉さんというのは仮名だ。鶴吉さんは今年、還暦を迎えた。団塊の世代だ。鶴吉さんはひきこもりやニートの先駆けだ。昭和の時代にはそんな言葉がなかった。鶴吉さんという人だけが、でんといた。鶴吉さんは学校を出てからずっと家にいた。今になっても、誰に聞いても理由はわからない。

 そして、そのエッセーの中で、鶴吉さんがニートになった理由などを考えたり、推測したり、探ったりするように近づきすぎるわけでもなく、さらには、見下ろすような距離の遠さから観察するのでもなく、とても絶妙な位置から描き切っているような感じになるが、そのことに読んでいる途中には気がつかずに、ただ、心地よく読む進むことができる。

 たとえば、「蝦夷梅雨」

北海道には梅雨がない。
「あります!」
 そうなのだ。実はある。「蝦夷梅雨」という。蝦夷梅雨の話をするとき、北海道の人は少し誇らしげだ。
「知らないんですか?北海道にもあるんです!」
 目がきらきらしている。その人はVサインまでする。一体、いつですか?
「今です。この数日です」
 首を傾げてしまう。3日前の夕食が思い出せないみたいに、いつが梅雨だったのか思い出せない。それもそのはずである。蝦夷梅雨は降水量が少ない。本州で梅雨の晴れ間に干しシイタケを作る時は要注意だ。雨が降ったらすぐに取り込まなければならない。集中豪雨になると悲劇である。干しシイタケからダシが出てしまう。蝦夷梅雨にはそんな集中豪雨の心配はない。 

エッセーの距離感

 とても個人的な、もしかしたら偏見も混じっている見方なのだけど、技巧的な小説家が、エッセーを書くときに、その技巧をあまり出さずに、素に近い表現をしようとして、だけど、そのさらけ出し方の具合いがつかめていないせいか、その作家のファン以外の人間には、ちょっと読むのは厳しい場合もあるように思っている。

 それは、もしかしたら、漫才をする時は、すごく面白いのに、フリートークは急に別人のように見えてしまうような芸人と似ているのかもしれない。

 だから、まだ、この赤染の小説を読んでいないので、そんなことを考えること自体が失礼なのだけど、このエッセーは小説家の技巧で書かれている上に、自分を出しすぎるわけでもなく、自分を守りすぎているのでもなく、絶妙な距離感で書かれていて、押し付けがましさもないから、穏やかな温かさのようなものまである。

 だから、今、改めて注目を集めているのではないかと感じたが、この距離感で書かれたエッセーは、自分にとっては、あまり経験がなかったから、独特で、不思議に感じたのだと思う。

 それでも、個人的には(そんな言い方をするのは、偉そうで申し訳ないのだけど)、素直に、とても面白いと思えたエッセーもあった。

 わたしの小学校の入学準備の話である。祖父はわたしのために、車に飛び出し注意を促す看板を作って、わたしの通学路に置いた。子供が走りだす格好をしているあの看板である。一般に「飛び出し坊や」とも呼ばれている。はたして、そんな勝手なことをしてよかったのだろうか。
「大事な孫のためじゃ」
 いかにも、手作りとわかる代物だった。祖父は名前までつけた。「しょうちゃん」。孫のわたしよりもかわいがった。雨の日はしょうちゃんが冷たかろうととても心配していた。わたしはあまりにも恥ずかしくて、しょうちゃんのいない道を歩きたいと心から思った。祖父はわたしの交通安全を祈って、しょうちゃんを三つも作った。全員、名前は「しょうちゃん」だった。
 困ったことが起きた。その頃、子供たちの間でぴんぽんダッシュといういたずらがはやった。人の家の呼び鈴をぴんぽんと鳴らして、家の人が出てくる前に走って姿をくらますのだ。我が家もこのいたずらの被害にあった。我が家の被害は尋常ではなかった。ぴんぽんと鳴ったので「はーい」と出ていくと、そこに祖父の力作「しょうちゃん」がいた。いたずらっ子も手の込んだことをする。最初のうち、祖父は笑っていた。だんだん笑っていられなくなった。家の前に置かれたしょうちゃんを元の場所に戻すのは祖父の仕事である。しょうちゃんは意外と重い。とうとう、祖父はしょうちゃんを家の前に置いたままにしておいた。いたずらはやまなかった。ぴんぽん。また、鳴った。2人目のしょうちゃんが連れて来られた。悪い予感は的中した。翌日には3人目のしょうちゃんも家の前に連れて来られた。祖父は怒っていた。 

(「しょうちゃん」より)

 ここからの展開も含めて、絶妙だった。

書き手の位置

 書いてあることそのものを楽しめるように、重すぎず、軽すぎず、細心の注意を払って、書き手のことも出しすぎないように、どのエッセーもつづられている。

 ただ、その中で、小児病棟のことについて書かれた何編かのエッセーだけは、これが書き手自身の経験なのか、家族のことなのか、それとも仕事などでの見聞なのか、さらには、伝聞なのか。

 その書き手の位置を、おそらくは意図的に明確にしないまま書かれているように思えた。だから、他のエッセーと比べると、距離感が近づきすぎるようなリアリティもあり、その微妙な混乱も含めて、作家の狙いなのかもしれないと、読んだあとだと考えてしまう。

 例えば、『病院の小さな秋』

 小児病棟で運動会の練習が始まった。夕方になると、子供達が体操服のまま病棟に帰ってくる。夏休みが終わっても、真っ黒に日焼けしなかった子供達である。最近はよく汗をかいている。
「早う、お風呂に入りなさい」
 看護師が言う。小児病棟は夕方4時からお風呂の時間だ。子供達は嫌がる。特に男の子はお風呂が嫌いだ。
「男の子は毎日、お風呂に入らんとあかんの」
 中学生の男の子達がしぶしぶお風呂の用意をする。小学生のちび君だけが首を傾げる。なんで、なんでー。女の子は毎日お風呂に入らない子もいるのにー。看護師は言葉を濁す。男の子は思春期になると、独特の匂いがする。

 そして、自らが暮らしていた京都の街についても、また、おそらくは、これまでの生活が大きく変わったかもしれない芥川賞受賞に関しても、そのエッセーの中での触れ方は、いずれも控え目で、書き手自身が自信ありげに立って、その場所や経験をガイドする、というような位置にいない。

 京都の小さな商店街に小さな本屋さんがある。わたしの母は娘時代にこの本屋に下宿していた。母は小さな海の町からひとりで出てきた。生まれて初めて髪にパーマを当てて、流行りのミニのワンピースを着てこの町に来た。この町について知っていたことは「一見さんお断り」。よそ者には冷たい町ではないか。不安でいっぱいだった。京都の家は間口は狭く、うなぎの寝床で一番奥は蔵になっている。その蔵に母は下宿することになっていた。店主が言う。
「娘さんを蔵に住まわすのは気の毒や。二階の部屋、空けたげるわ」
 本屋の人たちは「かまい」だった。人のことがほうっておけなくて、あれこれかまって世話をやく人の事を言う。こんな商店街には必ず「かまい」がいる。

(「かまい」より)

 芥川賞を頂いたとき、わたしの出身地京都府舞鶴市でわたしの出生地が話題になった。
「あの人はこんな小さな家で生まれたのか」
 そこはかつて海軍の宿舎だった。祖父・伊八郎はここから戦地に向かった。

(「男、伊八郎」より)

この夏、芥川賞を頂いた際の一番の懸念材料はわたしが慣れない取材に堪えられるかということだった。わたしは綿矢りささんと金原ひとみさんが芥川賞を受賞した二〇〇四年に笑える昭和路線で密やかにデビューした。新聞社もほとんど振り向かない。ましてやテレビなど全くの無縁だった。こんなわたしになぜかデビュー前にNHKの取材を受ける経験があった。  

(「NHKデビュー」より)

 こうした想像をすること自体が失礼だとは思うのだけど、前に出過ぎない姿勢のために、世の中に、それほど広く知られることがなかったのかもしれない。

 芥川賞受賞は、とても注目を浴びる機会であっても、それが商業的に成功することと、もちろんイコールではないのは「常識」でもあるだろうし、毎年、上半期と下半期で、芥川賞作家は次々と誕生していくのだから、そのタイミングによって、実力や作品の質とは関係なく、知名度が上がらないこともあるのは、他の分野と同じなのだと思った。(自分が知らなかったことは棚に上げているので、なんだか申し訳ないのですが)。

初のエッセー集

 それでも、2010年に芥川賞を受賞し、2017年に若くして亡くなってしまった作家の、それも初エッセー集が、2022年に出版されるのは、やっぱり不思議だった。

版元は加藤木礼(かとうぎれい)さん(44)が作った「ひとり出版社」。加藤木さんは新潮社の編集者をしていたころから、赤染さんのエッセー集を作りたいと企画をあたためていた。昨年6月に退社し、自分がおもしろいと思う本を世に届けたいと11月に出版社「palmbooks」をスタート。1冊目はこれ、と迷わず決めていた。翻訳家でエッセイストの岸本佐知子さんとの交換日記も収めた。

12月の刊行から、「こんなにおもしろい作家だったとは」と話題を集め、1月末で4刷となる。増刷に汗を流しながら「本の原点の力を感じる。言葉のおもしろさ、魅力です」と加藤木さんは手応えを得ている。

(「好書好日」より)

 小説の世界でも、再評価、ということはあると聞いたことはあるけれど、それは、もっと長い年月の後だったりもしそうだから、こうして10年単位での再評価を可能にしたのが、一人の編集者の情熱と力だと、初めて知った。

 という事実を含めて、まるで、『じゃむパンの日』の中の一編のエッセーのような出来事だと感じるし、このエッセー集を読むまで、赤染晶子という作家を知らなかった失礼な人間が言う資格はないとは思うのだけど、それでも、こうした経過は、この厳しいことばかりが続いている世の中で、明らかに希望といっていい出来事だと思う。


 対象との心理的な距離感、出来事の希少さ、書き手の思い入れ、読んだ後の覚醒の程度。何より、そのことを描くときの技術の高さも含めて、こうした完成度の高い作品を、アルコールなどを出さない喫茶店が「純喫茶」と名付けられたように、読み手を酔わせすぎないという意味でも、「純エッセー」と呼ばれるようになるのかもしれない。

 本のサイズは、通常の単行本より、一回り小さく、新書版よりは、少し横長、という手に取りやすいになっていることにも、出版した側の思いがこもっているように感じた。


(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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