内澤笑太朗

内澤笑太朗

最近の記事

保育に携わる人への尊敬を、言葉以外の形で示したかった

 先日、僕にとって4回目となる保育士試験の合否が届いた。結果は合格だった。  嬉しさや喜びより、安堵の気持ちが強かった。試験を終えてから結果がわかるまで約1ヶ月ある。その間は正直不安しかなく「また落ちたらどうしよう……」と、考えたくないことばかりが頭をよぎった。  4回目ということは、すでに3回不合格になっているということだ。保育士試験は1次の筆記と2次の実技があり、その両方に受かれば晴れて資格取得となる。  2回目の不合格までは、さほど落ちこまなかった。筆記試験に関し

    • 別れが、ひとりじゃないことを教えてくれた

       先日、墓参りに行った。僕の父方のお墓は、盛岡のお寺にある。最後に行ったのは、約2年前。その2年前の墓参りに至っては、5年ぶりとかだったはずだ。なぜそのときは、5年ぶりに行こうと思ったかというと、記憶が正しければだが、祖父の死を人伝に聞いたからであった。それで行っておかなければならないような気がして、初めてひとりで岩手へ足を運んだ。つまり、2年前に祖父は他界したことになる。  2年前、祖父の死を知ったのは、実際に祖父が亡くなってから、いくらか時間を経ていた。その事実を聞かさ

      • 名前のような生き方をしていきたい、と強く抱いた一年だった

         2022年も間もなく終わりということで、今年一年が、僕にとってどんな年だったかを振り返ってみたい。  どんな年だったか。それをひとことで言い表すと「名前のような生き方をしていきたい、と強く抱いた」年だった。 「笑太朗」という名前。これまで初対面の人ほとんどに、まず名前を褒められることが多かった。また、誰かに名前を書いてもらうときは「朗」でなく「郎」と間違えられることも多かった。朗は「ほがらか」と読む。親は、僕にどれほど笑っている人になってほしかったのだろう。あるいは、周

        • 隠されたノイズに触れるために

           僕はここ数年、本を電子書籍で読んでいた。手軽で便利。風呂、トイレ、真っ暗な部屋だろうと、いつでもどこでも読める。「いい時代に生まれたなぁ」。電子書籍を始めて使った日、そんなふうに思ったことを覚えてたある。  ところが、つい先月、ある本を読んだのをきっかけに、再び紙で本を読むことに意図的に変えた。その本とは、作家・平野啓一郎さんが書かれた『本の読み方 スロー・リーディングの実践(PHP文庫)』である。  僕はこの一冊を読みながら、残りの人生で読めるであろう本の数量を、自然と

        保育に携わる人への尊敬を、言葉以外の形で示したかった

          実現されていない可能性

           ミラン・クンデラの著書『小説の精神』を読んだ。  正直僕にとっては難しい一作だった。それでもつまらなくなかった。難解ながらも好奇心が刺激されているのを感じ、頁をめくる手は止まらなかった。  作中では「実存」という言葉が多用されている。僕自身、この言葉を目にしてきたことは幾度となくあったが、その度に、ほぼ無意識にスルーしてきたと思う。しかしクンデラが本書のなかで「小説は実存を探るもの」と述べているため、もう少し僕なりに意味を理解しておく必要があるかもしれないと思い調べてみ

          実現されていない可能性

           誰しも一度は自分の声を録音して聞いたことがあるだろう。僕も子どもの頃、カセットテープに意味も無く吹き込んだその声を再生し「これが僕なのか……」と、不快とまでいかない違和感を覚えた。カラオケに何年も足を運んでない理由も、マイクを通して狭い空間に響き渡る自身の声を耳にするのが、何より耐え難いからだ。僕にとって極力避けて通りたい音は、自分の声と心臓の鼓動。心臓の鼓動は、手触りに近い。胸に掌を添えると刻まれている一定のリズム。あの瞬間ほど時間の儚さを感じるときはない。僕の内側から発

          「ない」が「ある」

           子供の頃、僕は「なる」ことに夢中だった。保育園にいたときは仮面ライダーになりたくて、よく友達とごっこ遊びをしていた。小学校に上がるとサッカーを習いはじめ、プロサッカー選手になるのが夢となった。土日の練習だけでなく、平日も放課後は泥だらけになりながら、ひたすらボールを追いかける毎日。高校では陸上部で長距離走をはじめ、全国高校駅伝に出場できるくらいの選手になりたかった。  結果僕は、仮面ライダーにも、プロサッカー選手にも、全国高校駅伝で走れるくらいの選手にも、そのどれにもなれ

          「ない」が「ある」

          日常に転がる物語

           僕はジムに行ったことがない。なぜなら体重を経験上、自分で管理できると思っているからだ。また、筋肉を増強したいという思いもない。一度モテたいが故に、意図して食事量と自主トレーニングの量を増やしたことがある。結果、個人的適正体重からプラス5キロ増えたが、それ以上はなかなか行かず、何より身体が重くなったことで全身の感覚が鈍くなった気がした。だから、再び個人的適切体重に戻した。その際も、すぐに体重は戻った。そして、20代後半になっても、10代と変わらず体重の著しい変化がないことに気

          日常に転がる物語

          名前と自己の間

           物心ついてから今日まで、おそらく最も耳にしてきた僕自身への褒め言葉は「名前」に関してのことだ。 「笑」という字が名前に入っていることを人は褒めてくれる。たしかに言われてみれば僕自身、僕以外で「笑」という字が名前の一部である人と出くわしたことがない。  けれどもいつからだろう……、いつからかこの名前を背負っているような感覚が生まれてしまった。背負うという表現は大袈裟かもしれないが「よっこいしょ」といった吐息とも溜息ともつかない、声にならない声が、身体のどこかしらから常に漏

          名前と自己の間

          無知。初体験。忘れる

           先日、スタジオジブリ鈴木敏夫さんの著書『禅とジブリ』を読んだ。  僕自身この本を手にとったのは、ジブリに興味があるというより、禅について知りたかったからだ。鈴木さんのことも当然認知はしていたが、語れるほど詳しいわけではなかった。ところが本を読みはじめるとページをめくる手は止まらなくなり、進めば進むほど鈴木さんという人物に魅了されていっている僕がいることに気づいた。 「なんて人間味のある人なんだ」  少しずつ読んでいこうと思っていた本は、数時間で読み終えてしまった。風呂

          無知。初体験。忘れる

          生きる哀しみとは

           2022年、最初に手にとった本は、瀬戸内寂聴さんの『花芯』だった。  本作は、親の決めた許嫁と結婚した女性が、自らの本能に抗えず、とある男と恋に落に落ちていく物語だ。ヒロイン園子の複雑な心境を緻密に赤裸々に語ったこの作品は、「新潮同人雑誌賞」を受賞。ところが「子宮」という言葉が作中で多用されることから、当時、瀬戸内晴美として執筆した著者は「子宮作家」と侮蔑され、その後およそ5年ものあいだ文学雑誌から干されることになる。  先月は宮本輝の『錦繍』を読み、そして今回の『花芯

          生きる哀しみとは

          感情の波を読み解く

           先月、ある人との会話のなかでこんな質問を受けた。 「ストレスを感じないように何かしてることってある?」  僕は事前に準備していたわけじゃないが、スッとその質問に応えられた。 「怒りや悲しみとかも含めたあらゆる感情を、一日、もしくは一週間のうちに、バランスよく感じれるようにしてるかな」  言い終えたあとに初めて僕は、「そっか。いま自分はこんな考えを持ってるのか」と気づいた。というのも、僕自身ストレスについて日常的に思考をこらしてるわけではないからだ。性格的にストレスを

          感情の波を読み解く

          Fitbitを使いはじめてから寝ることが楽しくなった

           僕は今年の9月ごろ肺炎を患った。症状に気づいたのは仕事の昼休憩から帰ってきたとき。なんとなく頭がボーッとし、身体のふしぶしが痛かった。熱を測ってみると37度台前半だったが、このくらいなら大丈夫だろうと思いほうっておいた。ところが時間が経つにつれ、身体の体温がどんどん上がっていくのがわかり、意識も朦朧としていった。結局仕事は通常通り終えたのだが、帰る前に再度熱を測ったら39度台まで上がっていた。いちばん辛かったのは帰りの電車。日頃トレーニングも兼ねて、どんなに座席が空いてても

          Fitbitを使いはじめてから寝ることが楽しくなった

          自由意志について

          『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。』を読み終えた。本作のまとめでは、次のようなことが書かれていた。  加えて自由意志についても書かれている。  僕が自由意志という言葉を意識的に考えるようになったのは、たしか20歳前後。カート・ヴォネガット・ジュニアの『タイタンの妖女』を読んでからだ。  この物語の主軸となる人物たちは、自由意志というものを信じながら生きている。ところが彼らの人生は、一見なんの因果関係もないような出来事とつながり、運命づけられていた。そのこと

          自由意志について