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保育に携わる人への尊敬を、言葉以外の形で示したかった

 先日、僕にとって4回目となる保育士試験の合否が届いた。結果は合格だった。

 嬉しさや喜びより、安堵の気持ちが強かった。試験を終えてから結果がわかるまで約1ヶ月ある。その間は正直不安しかなく「また落ちたらどうしよう……」と、考えたくないことばかりが頭をよぎった。

 4回目ということは、すでに3回不合格になっているということだ。保育士試験は1次の筆記と2次の実技があり、その両方に受かれば晴れて資格取得となる。

 2回目の不合格までは、さほど落ちこまなかった。筆記試験に関しては、3年以内であれば合格科目を次の試験に持ち越せるため、最初の試験で受かろうとは思ってなかったからだ。というより、自分の知識量と実力と働きながら勉強に費やせる時間を考慮したら、とても1回では受かれないだろうと想定していた。

 他にもっと倍率が高く、合格率の低い資格試験はあると思うが、少なくとも僕にとっては、保育士試験はそんな甘い課題ではないと捉えていた。

 それでも3回目の不合格に至ってはだいぶ落ち込んだ。なぜなら3回目ではたしかな手ごたえを感じていたからである。

 筆記試験は3回目で受かり「よし!」という勢いで、そのまま実技も突破できるはずだと考えていた。実技は3科目のなかから2科目を選択する。それぞれ「音楽」「造形」「言語」とあり、僕は「造形」と「言語」を選んだ。

「造形」は提示されたお題を45分以内に色鉛筆で描写するというもの。「言語」はいわゆる素話で、事前に提示された童話を3分以内で道具など何も用いずに話す。

 僕はこれまで試験を受ける際、あるときから倍率は敢えて見ないようにしてきた。高ければ不安が煽られ、低かったら低いで慢心になりやすい。そのような性格だと自覚していたからだ。

 保育士試験も倍率は見ずに臨んだ。たが何人かの試験を受けた人によると「実技で落ちる人はほぼいない」との話だった。

 実際、筆記試験に比べると実技試験はあっという間に終わった。そして「これは受かっただろう」といった安心感が湧き、合否通知の届く1ヵ月は試験のことを考えずにいれた。

 ところが蓋を開けてみると、不合格という文字が僕の目に飛びこんできたわけだ。僕は自信を失った。それは手ごたえに対する自信だった。

 手ごたえというのは誰から見ても客観的にわかるものではない。手ごたえはたしかにあるにはあるだろう。子どもの頃、好きなサッカーをしていたときも手ごたえのある試合ない試合というのはあった。

 しかしながら手ごたえは常に正確に感じ取れるわけではない。ただの「思い込み」だったりする場合もある。そして僕が保育士試験で感じたと錯覚した手ごたえは、「思い込み」だったのだ。

 3回目で不合格となった自身を省みて、「舐めてはいけない」と口にしながら、言葉以外の行動は舐めてしまっていたことに気づかされた。その気づきが大きな収穫だった。

 そして4回目にしてやっと合格の文字を目にすることができた。「終わった……」という言葉と共に息が漏れた。四度目の正直もあるのだな、と僕は思った。四度目の悪あがき、といった表現のほうが正確かもしれない。

 そこから「なぜ僕は保育士資格をここまでして取りたかったのだろう?」という問に改めて立ち戻った。

 もともと僕は保育士資格を「取りたい」という思考だったが、ある時点から「取らなければならない」といった思考へ自然とシフトしていった。なぜなのか?

 その要因はいくつか考えられたが、僕なりに納得したのは次のような答えだ。

保育に携わる人への尊敬を、言葉以外の形で示したかった

 僕が頻繁に目にする保育業界のニュースは、ネガティヴな内容が多い。資格試験の勉強をしていても、個人的に改善した方が良いと思う所はいくつも見つかった。

 ただ僕は勉強をしている間、実際に保育園で働いてもいた。そもそもは資格を取りたいから保育園で働こうと思ったわけでなく、保育園で働きだしてから自分にできることは何かと考え、資格の取得が思いついたという、そんな淡い理由がスタートだった。

 ところが保育園で働く日々を重ねていくにつれ、子育てに携わるからには必然的に通らざるをえない大変な経験を、断片的にだが味わった。同時に子育ての喜びも断片的に知れた。

 そしてあまりにも朧気な僕自身の乳幼児期を振り返り、僕を抱っこし、ミルクを与え、オムツを替えてくれた保育士に思いを馳せた。その人の顔と名前は覚えていない。けれども存在していたのは事実で、僕にとってはそれが大切だった。顔と名前を忘れたその人を、一日のうちのどこかで考えるようになった。

 保育園にいるのは保育士だけではない。離乳食や食育を担う栄養士や、毎日の健康を管理し突発的なケガに対応する看護士もいる。また僕が子どものときにはなかった、地域の人々との関係性を築くコーディネーターもいたりする。

 その誰一人として欠けては成り立たないと僕は考えている。

 僕が働いていた保育園でもトラブルは常に起きていた。しかし少なくとも僕が関わっていた保育園では、一人一人が自分なりに課題を見つけ、解決しようとしていた。開き直って課題を他人事だとほったらかすような人はいなかった。少なくとも僕の目にはそう映った。

 その貴重な経験から僕は、僕自身の生き方として、光のあたりづらい場所に、光をあてる努力をしていきたいと思った。

 そのような意志に自覚し始めてから、僕は保育士資格を取らなければならないと思った。社会の容認する形を自ら掴み取りにいくことが、保育に携わる人への尊敬のあらわれになると考えた。

 世の中には声にできない生きづらさを抱えている人がいる。保育業界でもそのような人は一定数いると僕は想定している。

 声にならない声に耳を傾け、手を差し伸べていく。以前からその意志はあったが、今回、保育士資格を得たことで、より強く、僕がそれをするべきだと自覚した。

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