見出し画像

毒親育ちの「呪い」が解けないなら、魔法をかければいい。

毒親に育てられた子どもは「呪い」をその身に受けている。
その「呪い」がいつ発動するかは人それぞれ。私は成人後。
次なるライフステージを目前にする度に「呪い」を目の当たりにする。

「毒親」語りも呪いだ。
私自身に対する戒めのように、呪いを補強する。
語らなくなる日がくればいいのに。解放される日がやってくればいいのに。


1.毒になる親 一生苦しむ子供

私が初めて「毒親」という言葉を知ったのは、学生の頃だった。
友人から「面白いから読んでみて」と一冊の本を紹介されたのがきっかけだ。スーザン・フォワード著『毒になる親 一生苦しむ子供』(講談社)という本。紹介してくれた友人は、身体障害者の子どもがいる家庭に育った第一子、「きょうだい児」だった。

開いて驚いた。
子どもの頃から思っていたこと、親が私にしてきたおおよそのことが書かれていた。私にとって「普通」がそこにはあった。下記はアマゾンページの商品説明から抜粋したものに過ぎないけれど、これだけでもほとんど当てはまる。

●子供が従わないと罰を与え続ける「神様」のような親
●「あなたのため」と言いながら子供を支配する親
●大人の役を子供に押しつける無責任な親
●脈絡のない怒りを爆発させるアル中の親 etc.

(1)子どもが従わないと罰を与え続ける「神様」のような親
子どもながらに思っていたことがある。「お母さんは神様だ」と。
私の母は美しい人で聡明で料理が上手く、周囲の人間とは違うものを持っていた。友人たちには羨ましがられた。私はそんな母が大好きだった。5歳の頃、真夏の日に帰宅すると母は冷たいウーロン茶をくれた。冷房のきいた部屋で母の膝枕で頭を撫でられ、母の声に耳を済ませていた記憶は今でも鮮やかに残っている。

それほど、母の愛を独占できることは滅多になかった。

母は大自然を支配する女神そのものだ。ひとから愛され、気まぐれに愛を返す。怒れば誰に対しても容赦はなかった。小さな子どもにとって親は自分の命を握るものだった。体罰を受けても泣き叫ぶことは許されない。集合住宅で母は「教育熱心」ではあっても「虐待する母」ではなかったからだ。裸で家を追い出されても他人に見つかってはいけない。母を貶めることになる。
母の逆鱗に触れれば、体罰を受け、物置部屋に閉じ込められ、1日中、食事を与えられない日もあった。引っ張られた髪は絡まり、顔はぐしゃぐしゃ。身体中のミミズ腫れをなぞりながら「何時だろう?」と考える。テレビの音。母と兄の笑い声。食器がカチャカチャいう音。時たま、兄がこっそりと扉の向こうで「大丈夫?」と声をかける。扉の隙間から光が入らなくなると、ようやく扉は開き、身嗜みを整えるように言われる。父が帰宅する前に「何事もなかった」ように振る舞うためだ。

母は私の神様だ。
愛をもたらし、怒りから命を奪うこともできる美しい女神様。

(2)「あなたのため」と言いながら子供を支配する親
私にとって「あなたのため」は、母の子どもへの依存を示す言葉だ。

「叩くのはお前のせい」
「こんなにお金をかけて習い事をさせてるのはお前のため」
「子どもたちのために離婚できない。お母さんが不幸なのは、あんたたちを産んだせい」

小さい頃は素直に受け取り、しくしくと悲しむ。だって私が大好きなお母さんを苦しめているのだから。しかし、学校で国語を勉強する年頃にもなれば徐々に察するわけです。「どうも、お母さんの言葉は聞いた通りの意味じゃない」と。

例えば「怒らないから本当のことを言いなさい」と言い、本当のことを言えばボコボコにされる=怒られる。「好きにしろ」と言われ、紙を取り出して絵を描き始めればボコボコにされる。世に言うダブルバインド。どれほど素直であろうとしても、母の気に入る結果を子どもは出すことができず、結果的にいつも裏切られて悲しい思いをする。

やがて「母の本心を汲み取りながらも悲しい結果に耐える」ようになれば、「あなたのため」という呪いの意味が変わってくる。「私が母を苦しめる原因なんだ」という悲しみから「私は一切の対象外なんだ」という絶望に変わる。

叩くのは私のためじゃない。私は単なるサンドバッグなんだ。
習い事を多くさせるのは私のためじゃない。親の見栄のためだ。
離婚できないの私たちのせいじゃない。言い訳に使われてるだけだ。

「子どものために離婚しなかった/離婚した」という言葉は、子どもは文字通りに受け取って悲しむから使うべきてないと度々聞く。私にとって悲しいのは、それ以上に、子どもが”子ども”であることを失うことだ。親に真心がないのだと気づく時、子どもは”親の子”でいられなくなる。10歳にもなってない子どもが、親の愛は無償でないことを知れば、親は他人よりも遠い存在になる。

(3)大人の役を子供に押しつける無責任な親
5歳になればひとりで商店街に買い出しへ行ってた。お風呂掃除やトイレ掃除もしていた。7歳になれば、食材を切って料理する準備をしていた。掃除機をかけ、洗濯物をしていた。8歳にもなれば父親のワイシャツにアイロンをかけていた。
それが当たり前だと大人になってからも思っていた。

夫婦喧嘩が起きれば、きまって私は深夜のメッセンジャーになった。4歳から高校生まで続けた。子ども部屋にこもった母に呼ばれ、父を罵る言葉を伝令するように言われる。父からの返事も同じ。両親の罵り合いを刻みながら、二人が早く仲直りできるよう、双方に互いの良さや”きっと本心はこうだ”と補足し、仲直りするよう説得する。
そうして深夜3時を過ぎると、ようやく母は子供部屋から出ていき、寝室へと戻る。二人がセックスすれば仲直りだ。

日常茶飯事だった。
両親を仲直りさせられる自分自身に誇りさえもっていた。

本を読み、毒親の典型と知って初めて異常さに気がついた。途端に嫌悪感が込みあげた。両親を仲直りさせたのは二人のセックスだ。私は喧嘩を楽しむパチンコ玉に過ぎなかった。泣きながら両親の間を往復した幼い子どもを、私の両親は何とも思わなかったのだ。大人になった私は、その子どもを他人事に感じてさえ、これほど胸を痛めているのに。


傷つきの体験は並べ立てれば尽きない。
何気ないことでフラッシュバックはやってきて、私は自分でも信じられないほど打ちのめされる。親が不在であってもだ。恋人との激しい口論に、パニックになった恋人が泣きながら弱々しく携帯電話を見当違いな所に投げつけた。体が震えて過呼吸になり、恋人が恐ろしくなって部屋の隅に逃げ込んだ。自分の体を抱きしめて縮こまりながら「また、あの耐え続けた子ども時代を大人になってさえ繰り返さなくちゃいけないのか」と絶望した。

たとえ恋人が尊厳を重んじる人でさえ、ちょっとしたことでも私の心と体は耐えられない。児童虐待のニュースが流れる度に苦しくなって鼓動は激しくなった。私にとって男女関係は愚かで浅ましく、未熟な人間が結婚して子作りをすることに、たとえ友人でさえも、不快感を覚えた。

毒親の呪いは壮絶だ。
兄は幼い頃からアダルト誌が大好きだった。親がそれを見て喜ぶからだ。その結果、セックスの意味を学ばずに育った。歳の近い妹は性を楽しむおもちゃになった。20代半ばになり、結婚を約束する女性がいても変わらなかった。妹のガードが厳しいとわかれば、よくわからない薬だって毎日盛り続けた。それを知らない妹が全身を硬直させて呼吸困難に陥るアナフィラキシーショックになってもお構いなしだった。

兄もまた毒親の犠牲者だ。
彼は呪いを知らない。平穏に会社で出世し、結婚してブクブクと太り、子どもが生まれ、自分は父とは違い良き父親になれると信じている。


理由なんて山ほどある。
私が立ち止まり、蹲って声を殺して泣きじゃくるのに。

「過去にとらわれず幸せになればいい」
「過ぎたことは仕方ない。前に進むしかない」
「必要なら頭の病院に行け」

誰もが口を揃えてそう言う。
頭がおかしいのは私なの?

異常なことを「異常だ」と気づいてしまったのは私だけだ。異常な人たちが平穏に暮らし、真っ当な人として幸福に生きている中、そんなのはおかしいと苦しみ続けているのは私だけだ。

傷ついた体験なんて山ほどある。
忘れていたことも、ちょっとしたきっかけで思い出され、自分が傷ついていることに気づかなかった子どもを見て、大人になった私が代わりに傷ついて泣いている。
どうしたいかなんてものはない。


人間は何のために生きているのだろう?
表面ばかり綺麗に取り繕って、中身は愚かで汚らわしい。
そう思い続ける私は幸せになれるのか?

自分自身に呪いをかける。
私は生きる意味を探している。ひとりで生きる意味を。


2.呪いを解くリセットボタンはあるのか?

タイトルに入った「一生苦しむ子供」。
え、こんなん一生続くの?無理やん人生詰んどるやん。と思うわけです。

我ら毒親サバイバー。
痛みや苦しみ、求めるほどに愛を得られない長い年月を生き延びた勢です。泣きながらも、生き延びる算段もほんわかしているから、こうして無事に大人になることができました。

明日に命を繋いでいるのは、根拠なき前向きさだ。
半分死んだと思っても生き残るしぶとさ。幸か不幸か簡単に人は死なないことも我々、知っているんです。親に存在価値を認めてもらえなくても、自分で認める術が色々とあることは知っている。

外のコミュニティーで実績を認められる。
友情や恋愛で唯一無二の存在価値を実感する。
自分を磨いて無敵な自己愛を高める。

誰に否定されようが、私は私を裏切らない。
私が立ち止まっていても世界は美しい。太陽の光と風、緑。音楽や絵画の美しさ。活字の向こうにある誰かの内省。私がいる世界はどこまでも広大で、私が閉じ込められている箱はあまりにも小さい。

私は無力で、この世界の中でなんでもない点でしかない。
だから、世界がこんなにも綺麗に見えるのだろう。魔王のように力の塊だったら、世界はきっとちっぽけでつまらない。自分を縛る箱と大差ないなら破壊してしまった方がいい。……それもいいけど、今は慎ましく生きていることに満足できる。

明日へと命を繋げる自己愛と前向きさは心地よい。
けれど気休めだ。毎日服薬しなくてはいけない薬。
恋人や気心の知れた人と向き合いながら、私が「人間としての私」として私自身を保つための薬だ。

効果が切れれば「人間としての私」は崩れ落ち、黒いドロドロとした液体になってしまう。「もう十分頑張っていきてきたんだから、人生後半くらい楽して生きてたい。というか、もういいんです。楽になりたい」と思うのである。

正直、社会生活を継続するのも面倒な時がある。多方面で人生がハードモードかナイトメアモードなんだよね。イージーモードに自ら切り替えて、ようやく最低限の人生を確保し、ささやかな幸福を享受できる。

何はともあれ、ここで気づくわけです。
「生きる」を選び続ける理由は、次の3つはあるのかなと。

(1)何らかの哲学(前向きさや愛、使命感など)
(2)人間関係
(3)何か

(1)や(2)は、自分で手探りの中、見つけなくてはいけないものだ。拾い上げても砂のように崩れて消えてしまうものもある。本物を得たと確信しても、月日が経てば風化していく。

この世に永遠なるものはない。

そう教えてくれるのも(1)と(2)だ。
真実は、信じ貫くことで私の「真実」になる。
毒親育ちの私にとって「信じる」ことほど、難しいものはない。

夢を見ているようにいつか消えるもの。本物のようでいて偽りでしかないもの。遅かれ早かれ壊れてしまうもの。脆く弱いものだから、自制しなければ一瞬で壊してしまう。

数年前まで毒を持つ人間に依存されやすかった。母親そっくりに恋人を傷つけようと必死だった。そんな自分に愕然とし、距離を置いて十分に休息をとり、自分がなりたい人間像を考え続けた。

そうしてやっと少し穏やかな生活を手に入れた。それでも何かあればパニックになる。フラッシュバック。泣いて閉じこもり、起き上がれなくなる日もある。

私が、呪いから開放される日。
真っ白になる日がくるとは思えないのだ。


3.魔法をかけてみる

私たちの体に染みてしまった毒が抜ける日が来るなんて、今は信じられない。
期待通りの結果が来ないことには慣れっこだ。我慢も失望も絶望も慣れっこだ。でも、それだけでは「何のために生きているのか?」「明日も生きている意味なんてあるの?」という問いに支配されてしまう。


だから、3番目の”何か”が必要だ。
それが何なのか?それはまだ見つけてない。セルフハックなりライフハックはいろんなものがある。色々と試せばいいと思うし、認知療法の本も読んだりもした。専門医のところにも行ってみた。

結局のところ、「信じる」ことのできない私には続かないものばかり。
もっとシンプルでいい。
もっと心にダイレクトなものでいい。
呪いを消せないなら、代わりに魔法をかけようと思う。

「優しさ」を素直に受け取れるようになる魔法だ。


他人とわかり合えることなんて不可能だ。
だって、それほど長い間、私たちは傷ついてきた。誰かの助けも得られず、ただ自分自身で自分を守るだけで精いっぱいだったのだ。大人になってしまった今、救えなかった過去の子どもを救うことなんてできやしない。

まやかしはもう要らない。

拒絶したって仕方ない。そうしなければ守れなかったのだから。
今だって自分をいろんなものから守る義務がある。
大人になった今だからこそ、余計に多くのものから自分の人生を守らなくてはいけない。そのために、どれほどの努力が必要か。

もう十分だ。よくやっている。
これ以上、何も求めないでください。

だから、自分に優しくすればいい
少し良いハンドクリームを買って、毎日じっくりと労わりながら塗る。
嫌ならシャワーを浴びなくてもOK。
入れる気分になったら丁寧に洗い、磨き、保湿する。
好きなものを揃える。
自分に優しい言葉をかけてあげる。


そして、誰かの優しさを素直に受け取るのだ。

これっぽちも私のことをわかっていない人でも、心配する言葉と思いやる言葉にかけている思いを素直に受け入れる。そのアドバイスがどれほど荒唐無稽で効果がないものだったとしても、助けになりたい、私に生きてほしいと願う気持ちは、受け取るに値するものだ。

世界を美しく思えるかどうかは、主観に過ぎない。
その主観を養ってくれる土壌は、私だけでは作れない。
他者を受け入れることで土壌は潤う。

知人じゃなくてもいい。会ったこともない歌手が歌う歌詞でもいい。
世界は広いから、分かり合えなくても私の苦しみの欠片はあちこちに散らばっている。だから、それを癒すものもあちこちに散らばっているものだ。

それを一つひとつ、見つけてみる。
毒や呪いを消せなくてもいい。そんなものに負けない豊かさを築こう。
だって、私たちはそうできる弱さも強さもあわせもってるはずだから。

そうしていつか。
大人になってもなお苦しむ私を救い出せる未来の自分になれるように、今日も生きることを決める。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?