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「毒親が結婚生活を破綻させる」という仮説:パートナーを毒親から守るべきか?問題

嵐のような大雨とうだるような暑さが続く日々。
ビール片手に私は一人の時間をのんびりと過ごしていた。

同居している恋人は出張へ。
私が薄情なのか、デミセクゆえなのか。恋や人生にまつわるあらゆる悩みから解放された私は、植物の世話をしながら節制した心穏やかな生活を送っていた。

人間と違って世話をかけた分、必ず結果を返してくれる花木。
花の色は移りにけりないたづらに…とはいうけれど、水や空気に注意し、枝や根を管理してあげれば、葉の青さや色づく花々で植物は必ず応えてくれる。いたづらに移ろいゆくわけではない草木たちの愛らしさよ。

ひとりって本当に楽だな〜!

思想や価値観の違いをはじめさまざまな問題のある私たちが、結婚という一大プロジェクトに着手して数ヶ月。
やぁ…想像以上に大変。Google翻訳のほうが信用できるのではないかと思えるほど、二転三転する書類の種類。国際郵便で届く書類のミス。夫となる側、妻となる側、双方の協力や意欲の確かめ合い。家族への報告に神経を使いながら、我々二人の関係性に劇的変化をもたらしてくれるとは思えないのに対し、「家族」をめぐる関係性には確実に変化の兆しが見られ、「あれ…?」と私は予期していなかった問題に頭を悩ませ始めた。

彼の家族からは、まっすぐな祝福の言葉ばかりが返ってきた。

「おめでとう! それを聞く日をずっと待っていたよ!」
「私も書類集めを手伝って、必ず二人を入籍させるから安心して!」
「叔母さんがほしかったの! 嬉しい!」
「飾りたいから二人の写真を送ってちょうだい!」


私の両親からは、いつも通りに、永遠に続くスクロールで埋め尽くされる怒りの言葉が送られてきた。

「信じられない、勝手に決めて。あんたは娘なのよ? 普通は親に確認して、親が入籍日を決めてようやく準備するもの。こっちだって準備があるのにありえない! 非常識極まりない!!(略)」

非常識に生きる覚悟をもって生きているので反論はしないけれども、かといって非常識な家庭で育ったゆえに反省する気持ちもない私…。
無論、彼に私の両親からの反応を伝えるはずもなく、私はひとり無の境地でサンドバッグ化して受け流した。とはいえ、「夫婦としての信頼関係を深めたいなら、彼には隠さず関わってもらうべきなのか?」とも考えた。が、良い結果が出るとは全く思えず、防御壁として踏ん張ることに。

そして、再び脳裏をよぎる考え…。

ひとりって本当に楽だな〜!!!!!

私から結婚を提案した身ではあるのだが、手続きの大変さからつくづく「結婚は法律の一部に過ぎない」としか思えないし、私を家族として認めてくれた彼の家族の言葉に然り、私を通じてパートナーをコントロールしようとする両親に然り、結婚しない生き方も不自然でなくなってきた21世紀であろうとも「結婚=家族の結びつき」なのだ…と肌身に感じる。

結婚しないならしないで、恋人への怒りを私にぶつけていた両親だが、結婚するならするで彼への牽制を私にぶつける両親。

人生前半戦がサバイバル戦だった私としては、今後は細々とでいいから穏やかに生きたい。
定期的に流血事件を起こすのが当たり前だった両親の愛憎をスパイスに展開される夫婦関係しか知らない私は、入籍するのであれば、暴力を一切知らない、別れが訪れるまで心穏やかな結婚生活を守っていきたい。

別にドラマは求めていないので、「人間」を維持したいよね…。

我々の結婚生活で予期される破滅フラグは2本:

①一般的な、夫婦関係を破綻させる諸々フラグ
②毒親の毒がまわって夫婦関係がギスギスして終わるフラグ

②親の毒がまわって①諸々の問題をきたすことは経験済みの私にとって、我々の結婚生活が破綻し得るきっかけは、(はじめから他人のせいにするのは良くないのだろうけども)親の毒となる可能性を大いに予感させる日々。

「そんな真面目に考えなくても大丈夫だよ! 好き合って結ばれたんだから毎日仲良く過ごせてるよ〜」と結婚した友人は言うけれど、「それは君たちだからや…。我々は頭からイージーモードなんかじゃなかったんだぞ…」と思うわけで、自分たちの弱さや毒親の猛毒さを知っている私たちは、かなり慎重に、この2本の破滅フラグに対して協議を重ねてきた。


1.「支配によって愛を得る」という毒

互いに譲れない点を伝え合い、支障や不安の種を事前に確認して更新されていく婚前契約書の下書き。

けれど、パソコン画面の前で思うわけである。
どれほどリスクマネジメントしようが、現実で直面する問題に振り回されるか否かは自分たちの心の持ちようではないかと。この紙切れで守れるのは”自分”という一人だけで、”私たち”を守るのは相手を守れる強さを持ち続けることなんじゃないか。

結婚観に表れているように、私も彼も夫婦像は歪んでいる。
私の両親はドロドロの愛憎劇を繰り返す夫婦だった。彼の両親だって彼らなりの問題を抱えてきたし今だって存在する。

正解を知らないまま模索しながら、「夫婦」になることをさほど意識していない彼と、意識して頭を抱える私の温度差は、出張という離れた期間でますます広がっていった。

帰宅後、疲弊しきった顔をしながら荷物を投げ捨て私を強く抱きしめる彼。
大切な人だという認識を持ちながら、「寂しかった」と連呼して私の存在を確かめるように片時も離れんと触れる彼に対し、おひとりさまを謳歌しデミセクリセットボタン起動済みの私との温度差。

ひとりって本当に楽だったな〜……。


と考えていた中、母から電話がかかってきた。

彼の近況を尋ねて”助言”する母。
「会社名で検索して平均年収を調べたけど、実際にいくらもらっているの?」「向こうの親御さんはちゃんとあんたたちに家を残してくれるんでしょうね?」「たとえ病気でも子づくりに励みなさい。子どもがいれば離婚なんてできないんだから」etc.。

「社内・社外でも頑張ってるみたいだけど、調子に乗らせちゃだめ。社外活動なんてやめさせるべき。もともと調子に乗ってるんだろうから、プライドも今から潰さないとダメよ!男なんて図に乗らせるとすぐに下半身で動くから今からコントロールしないと。結婚とはそういうもの!

中でも母が執拗に繰り返すのがこれだ。

吹き矢の針で身を刺されるような感覚。チクリとした痛みがじわじわと体にまわっていく。私が誠実であろうとしても彼も同じとは限らない。私の前で彼に色目をつかう女性たちは現に見てきたし、彼の友人には私のクソ男認定を受けている人もちらほらいる。裏切られることは私のプライドが許さない。父や母のようにはなりたくない……惨めな思いをしたくない…… 重く深く沈んで塗りつぶされるような感覚。

もし彼に対して歪んだ愛で執着することになるとすれば、それは私が彼を愛しているからというよりも、毒からくる強迫観念のせいだ。
おひとりさま時間で悟りの境地を開いていた私のなかで、彼への執着心がさらさら起きなかったのは、今の私の心はかなりヘルシーな状態の証。だが、こうして母は警鐘という名の毒矢を吹きかけ、私たちを「男女」として縛りつけていく。

私は異性として彼を愛しているわけじゃない。
彼という人間を、私という人間が、共に生きていく伴侶として求めているのだ。


私に対しても母がよく口にする「調子に乗るな」という台詞。

確かに、謙虚さや誠実さは美徳だ。人間関係の潤滑油にもなるし、先達は謙虚さの大切さを説く。けれども、「誰に対する調子なのか」を考えれば私は「調子に乗ってもいいじゃん」と思ってしまうのだ。

根拠なき自信で生き抜いている私に対し、自信のなさを痛感しながら頑張って生きている恋人は、心配性でよく腹もくだすし睡眠も絶えず悪い。そういう人が、ささやかに調子に乗ったからといって罰でも当たるというのか。

大手企業でブイブイ言わせて、散々女を買ってきた男の妻である母は、私に同じ轍を踏ませぬように助言する。

--「男を調子に乗らせてはいけない」と。

調子に乗らなければ彼が私を裏切らないという保証はどこにもないし、調子に乗ったからといって私を裏切るとも限らない。逆も然りで、私が彼に対して調子に乗って、あるいは調子に乗らずとも、裏切る可能性だってある。

私と彼は、互いに傷つけない生き方をしようと話す。
相手が何に傷つくのかは、互いに、一緒にいた年月を通して超えて体の一部のように理解している。
だから、私たちの互いを思いやる愛情を破綻させる理由は、もっと個人の奥深くに根ざしているよう思えるのだ。調子に乗るとか乗らないとかではなく、自分自身から、今の人生から抜け出したいという弱さから、相手を傷つける。


母が父をよりいっそう「支配」していれば、愛に過ちはなかったのか?

支配したからこその結果かもしれないし、しようがしまいが、倫理観の欠如した父では同じ道をたどったのではないか。

ifの答えなんてない。
ならば、私は彼と互いを育て合えるような関係を築きたい
そういう私たちになりたいから、私は手放しで彼に「すごい! やったね!」と笑顔で言いたいし、ストレスと戦いながら自信を得ようと、なりたい自分になろうと頑張る彼を応援したい。

その結果に悲しい末路が待っているのであれば、それは彼の人間的な問題であって私が招いた結果じゃない(たぶん)。私自身が彼にまっすぐな愛情を向けて生きてこれたなら、私は胸を張ってその後を生きるしかないのだ。そういう強さを、ブレない強さを互いに持てるよう支え合おうと決めた相手だからこそ、私は彼と二人でたいへん面倒で重い約束=結婚を決めたんじゃないか。

開いた心の距離を、一歩埋める。
当たり前のように彼が私を抱きしめる度に、当然のように結婚に向けて彼や彼の家族が準備に協力してくれる度に、私の胸を締め付ける不安感にも似た違和感。

それが「私はひとりじゃない」という言葉に脳で言語化された瞬間、ぶわりと涙が溢れた。

毒親育ちは本当に厄介だ。
だってこんなに、自分の気持ちも心もわからないのだから。
どうして涙がこみあげたのかわからないまま涙を拭い、私を大切にする人たちがいるという現実に混乱して、また涙がこみあげる。

子どもの頃からひとりぼっちは慣れてきた。
兄を溺愛する母に嫌われていることも、真っ暗な物置に閉じ込められることも、アパートの廊下の隅まで引きずられて置き去りにされることも。理解できない理不尽さをただ受け入れ、自分なりに自分を励ましてきた。
寂しさも不安も、殴られる痛みや恐怖に比べれば、なんでもなかった。

受け入れなければ、生きていけない。
受け入れなければ、前には進めない。

だけど、愛されることや大切にされることに、こんなに戸惑ってしまう。
寂しかったという彼の言葉も、抱きしめられる温もりも、彼の家族の支援も、すべてが私にとっては、経験のない=リアリティのないもので、時差を置いて私の体が私の心に教えてくる。

愛とは何か。
ひとりでは決して得られないものとは何かを。


2.毒親・私・パートナー… 「家族」は誰?

無の境地で休んでいた私の心身は大忙しだ。
親の吹き矢を払う術を身につけながらも、「では、パートナーもまた共に毒に抗う仲間にすべきなのか」「それとも結婚するからこそ、パートナーと実の両親を結ぶ努力を私はすべきか」という問題に悩みはシフトしていった。

というよりは、以前から抱えていた悩みではある。
彼は明白に「毒質的な人間とは絶対に距離を置くべき」と考えている人だ。見つけ次第、肉親や恋人、はたまた親しかった友人であろうが容赦なく切り捨てる。

だからこそ、私は彼と両親の接点をつくらなかったし、両親もまた彼を避けていた。一方で、私が双方を分離することで緊張を生み出していることも、親がそれ以上、私に近づかないよう距離=均衡を保つために利用しているのも事実だ。私の両親と彼が理解し合える機会や親しくなれる機会を私が奪い、不信感を双方に植えつけている…とも言える。

親の毒は変わらないだろう。
時に優しく愛情を示しながら、自分たちの言いなりにならないと知れば苛烈に牙を剥く。物を投げつけ、罵詈雑言を口にし、執拗に傷つけようとする。

そんな経験のない彼を遠ざけたい気持ちは、そんな両親を彼に体験=リアリティをもって知られたくないという気持ちでもある。罪悪感は割り切れない気持ちになって、モヤモヤと私の目を曇らせていく。


彼のほうも、彼のお父さんが病気になったことで将来についても具体的な計画を考えるようになっているらしかった。もちろん、近い将来を考えているのは私たちばかりではない。

両親も同じだ。

介護が必要になったら、娘であるあなたが面倒をみてくれるんだよね?
お父さんかお母さん、どちらかが先に逝ったら、残ったほうと一緒に暮らしてくれるよね?

絶句する私。
嘘もつけない。

毒親介護」という四文字が頭に浮かぶ。
何かにつけて長男を溺愛してきた母だが、嫁との折り合いが悪く、かわいい孫とも嫁のせいでなかなか会えないらしい。だから娘である私に孫を産んでほしいと切望しているのだろうし、母が怪我や病気のをした際に風呂から下の世話までしていた経験のある私ならば任せられるとも思っているのだろう。

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・

えーーーーーーーーーーーー・・・・・

えーーーー・・・・・・。

長らく両親と離れた彼が父親の病気のために本帰国することを決断した場合は「その時はついてきてね」と彼に言われ、迷うことなく私は頷いたし、彼の両親と暮らすことも、介護の面で何か手伝えることがあれば手伝おうと思った。

他人だからかもしれないし、彼の両親が本当に心根の良い人たちだからそう思えたのかもしれないし、現実にまだ起きていないから安易に考えているのかもしれない。

一方で、実の親の老後について言えば、心はかなり複雑だ。
子どもを虐待するフィクションの映像に過去を重ねて心が硬直する私が、老いていく親に「親孝行したい」と心身と人生の時間を捧げ、パートナーにも同じものを求める……そんなことが、全くできそうにない。

家族でしょう。娘でしょう。

その言葉に何度も心が縛られ、その都度に頭が振り払う。それを何度も繰り返しながら生きている。家族だから支配され、娘だから親の暴力に無言で耐えることを徹底的に教え込まれたから、その言葉や考えを振り切るのは容易ではないのだ。

ならば、家族なのに実の親なのに、どうして私は虐げられたのか、兄と差別されて育てられたのか、私への兄の性虐待を許した母が私の頬を叩いたのも、私より年若い女の子との性行為を話す父の様子も、なぜ私はなかったこととして水に流し、父や母の老後を共に暮らす約束を、両親を安堵させる言葉を口にすると、本気で親は思っているのか…?(本気で思っているだろうけども)


今は介護の心配はなくとも、近い将来にこの問題に直面する。

兄と和解する気のない私は、両親の葬式まで考えてすでに気が塞がる。両親の死に対してではなく、嫌悪感でだ。親が私を薄情だと罵る度に、私は否定しない。事実、薄情なのだ。家族愛という幻想を捨ててしまったから、すべてが茶番に見え、ゾッとしてしまう。


親からの問いに対し、私は絶句し、やがて長い間を置いて「その時が来ないと何もわからない。その時がくれば、答えは必然的に出る」と答えた。母は、少し黙って話題を変えた。

彼にこの話をした。

「家族ならばという思いもある。親なのだからとかね。でも、子どもの頃を思えば、本心ではものすごく抵抗感がある」
「どちらにしてもプロじゃないと面倒はみれないよ。僕のお父さんも介護鬱で病気になった。お母さんは『面倒をみすぎ』とすでにプロから注意を受けてるし、僕もお姉さんも同意。子どもにそれを求める親の認識が大間違いだ」
「私たちは治療や介護のプロではないもんね」
「うん。それに誰が子どもたちを苦しませたい? 会って楽しく過ごせる家族でいたいなら、わざわざ苦しませて病気にさせかねないことを、どうしてする?」

苦しませることで、思いを傾けてもらっていると感じる人がいることを、彼は絶対に理解しようとしない。苦しませることが愛だと本気で信じる毒質さを、彼は徹底的に否定し続ける。老後や病気、何を挟んでもその真実はねじ曲がらないと断言する。

お父さんが介護鬱でおじいさんを専門の施設に預けることになったとき、お父さんのお姉さんは批判したそうだ、「実の親なのに」と。医師をしている親戚がお姉さんに説明し、今は理解してお父さんに謝罪した…という話も、彼は続けてした。

血のつながった肉親。
血のつながらないパートナー。
血のつながった、あるいは血のつながらない家族。

「家族」という言葉の前に、私の思考は停止したままだ。
ひとりはあれだけ楽で思考も心も健全で明瞭なのに。

心の奥底で、私はとうの昔に血のつながった家族から自分を切り離してしまったし、長く一緒にいて自分の価値観よりも私を選んで結婚の準備をすすめる彼に対してさえ、今はまだまだ「家族」だと思えていない。

自分の、自分で見出すべき答えがわからない。


3.「家族」になってもならなくても、別にそれでいい。

閑話休題。

勢いよく伸びる新芽に対し、古い葉が弱ってきた植物を眺め、私は根にかかる負担を考えて天へと強く伸びていく新しい枝を切り落とした。
様子を見ていると数日でどんどんと葉が元気になっていく。これで正解だったようだ。切り落とした枝も水にさして一緒に生活をしている。

私の”根”とは、「私が私であるための心」だ。
私たちの関係に与えられる客観的な名称が変わることで、何が変わるのか、あるいは何も変わらないのか。予感や迷いに伸びていく新芽を、結局のところ私は切り落とすことにした。

今わからんものは、わからん。

良いか悪いかではなく、事実として私の両親は私を案じて毒を吐く。
「恋人/夫=あかの他人を疑い信じてはならない」と啓蒙し、両親が私の「家族」であることを教え諭す。

そういう親もいる。
事実のひとつだ。

その事実に対して、今の私は「毒と心を切り離す」ことが私の心身の健康を、今の生活を守る道だと考えているのもまた事実のひとつだ。「毒親が結婚生活を破綻させる」という予感に対して、今の私ができることは、これまでのように私の内側に毒を侵食させないことだ。

私自身を守ることが、彼との関係を守ることでもある。
今はまだ、それでいい。
両親の老後に、私の人生は再び集約されるのか?
両親はいつだって、私ではなく兄を選び続けてきたのだ。
今でもきっと親はそう思っているに違いないのだ。振り回されるのは十分だ。


家族が「形態」だというなら、子どもである私は確かに両親の”家族”だ。
夫婦が家族形態のひとつだというなら、今の私と彼はまだ”家族”ではないし、法的に認められれば”家族”になり、その後、法的に離婚が認められれば”家族”でなくなる。

彼の家族が私を”家族”だと思うか。
私の家族が彼を”家族”だと思うか。
彼が私の家族を”家族”だと思うか。

そして、私が彼を、彼が私を”家族”と思うようになるのか。

その心までを、法が規定することはできない。
ならば”家族”は幻想で、共同で”愛”を築くメンバーがシェアする”つながり”なのかもしれない。

だったら。

「完璧な家族」を求めなくてもいい。
私は「お嫁さん」になりきれないだろうし、彼も「お婿さん」にはなりきれないだろう。「夫」や「妻」の役割なんて考えもせず、「父」や「母」になることもなく、私たちは「私たち」として共同生活を送って互いの悩みや考えを伝えて何かを通わせ、社会的な危機や外部から訪れる襲来に並んで立ち向かったり、あるいは彼/私が逃げる姿に呆れながらも生活を守るために踏ん張るだろう。

それは「ひとり」のままの「ふたり」なのかもしれないし、「ひとりじゃない」私や彼をめぐる「家族」の物語になるのかもしれない。


本を読んでいたら「毒親サバイバーと呼ばれるものがあるらしいけれど、そんなものをアイデンティティの要にしてはいけない。手放して自分の人生を生きなければいけない」と書かれた文章が目に入った。

そんなものは当人もわかっているのだ。
できないから、こうやってそうでない人が苦労せずになんなくできることに、いちいち葛藤しながら一歩ずつ確かめるように生きているんじゃないか。

「手放す」という表現は、とても変だ。
だって「受け入れる」ことを通さなければ「手放す」などできやしないのだから。

子どもだった私は、苦痛や悲しみを受け入れながら生きてきた。
大人になった私は、そういう生い立ちも含めてここにいる私--気が滅入ることを考え込んだり、諦めて放置してみたり、冷めたり立ち戻ったりする私を受け入れながら生きている。

私を手放すことは、私を受け入れることでもあるのかもしれない。
どんな”家族”が私を待ち受けている/待ち受けていないにせよ、私が、彼が、あるいは血のつながった/つながらない”家族”が対話や共有する経験を積み重ねていった先に、それぞれの答えがあるのだろう。


互いに結婚に必要な書類を集めながら、お互いの、そしてその両親や祖父母の歴史を公文書の活字から知った。

「いつか、お互いの生まれた場所を訪れてみようか」

どれくらい本気かはわからないけど、お互いにそう言う。
不思議と二人とも、生まれた場所を覚えていないし訪れたこともない。
若い父と母が一時期暮らしていた場所に、私たちは偶然に生まれただけだ。

Googleマップを開いて、彼の生まれた街を、私の生まれた街を、互いに想像しながら、幸福であふれた家族を--あるいは不安と戦う家族を思い描いた。
結婚が決まったせいなのかは知らないけれど、同時期にそれぞれの祖父母がどのようにして出会い、結ばれたかの話も別々に聞いた。

戦時中に両思いだった人と引き裂かれて、見合い結婚をさせられた祖母の話。
母に捨てられて孤独に暮らしながら異国の青年と恋に落ち、船に乗って異国へ移り済んだ祖母の話。

必死に生き抜いた男女の歴史の果てに私たちは生きている。
「家族」と呼ぶには、縁を感じられないほど疎遠な人たちの、どこか他人事のような現実味のない物語をお互いに語って聞かせながら、一緒に暮らしながら日々改善をくわえている我が家を見渡す。

きっといつか、私たちもこの時を、この場所を、同じように思い出すのかもしれない。悩みながら、葛藤しながら、相手を選んだ私たちの物語を。誰に聞かせるでもなく、老け込んだ互いの横顔を見て、私たちの物語を語り合えるように、互いを大切にできる私たちでいたい。

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