みつよりの糸

たぶんHSPで、たぶん生活に困ってないASD(未診断。でも特性は結構当てはまる。)ただ…

みつよりの糸

たぶんHSPで、たぶん生活に困ってないASD(未診断。でも特性は結構当てはまる。)ただ、これらの特性からかPMS/PMDDが悪化。対応策を2年ぐらいかけて模索中です。たぶん生理前後だけ困ってるASDグレーゾーンです。

最近の記事

HSPとかASDグレーゾーンとしての社会性

「人は1人では生きていけない」は、たしかにその通りで、社会性も生きていくには必要です。 でも、発達障害があると 「1人では生きていけないが、普通の人とも生きていけないor生きづらい」のです。 だから普通の人の社会性とは違った 別の2つの社会性が必要だと思っています。 (主にグレーゾーンの場合) ・集団の役に立つ何か(スキルでも愛嬌でも)を提供する。 丸腰では集団に押しつぶされてしまいますから、何か武器が必要です。 人と人との関わりの間にワンクッションが入ると、だいぶ楽に

    • グレーゾーンとシステム思考

      自分がマジョリティ側ではないという自覚はありつつも、自分と他の人がどこまで同じで どれくらい違うのか 最近まで分かってませんでした。 システム思考も、大体の人はそう考えるんだと思っていて。 この記事にあるような、ジェフベゾスにはほど遠いにしても、客観視して分析して説明したいというあたりは誰でも持ってる欲求だと思ってました… 何でか分かんないけど、日本社会では それを抑えて、共感しつつ寄り添う感を出していかないといけないのね、なんかそれってすごく大変だけど。みんなそうやっ

      • 普通の人という病

        発達障害の特性がグラデーションになっているなら、定型発達もその定型具合というのはグラデーションになっているものなのでしょうか。 バランスが取れている真ん中あたりの人は、いわゆる「普通の人」として暮らしているんだと思います。「発達障害的な特性で困らない普通の人」として。 でも、発達障害とは逆側であっても「定型発達」の特性が あまりにもありすぎる人は、それはそれで生きづらさを抱えているんじゃないでしょうか。 カサンドラ症候群について調べた時に、特にそう感じました。 発達障害

        • 「普通の範囲がせまくなっている」という指摘の息苦しさ

          普通の人、マジョリティに属している人には 「普通じゃない」と言われることに 潜在的な恐怖があるのかなと思います。 神経発達症(発達障害)が有名になるにつれて ・普通の範囲が狭くなっている ・昔はそういう人がいても、病気や障害とは扱われず、ちょっと変わった人というぐらいだった。(だからそんなに気にしなくていい) と言った主張も目にするようになりました。 発達障害で困っている人にとっては、 普通じゃないことが日常なので、「普通」かどうかは、あんまり問題ではないというか…それよ

        HSPとかASDグレーゾーンとしての社会性

          年末年始から逃げたい

          イベント事が苦手です。 これもHSPとか発達障害グレーゾーンの特徴とかなのでしょうか。 学生時代も文化祭、体育祭、修学旅行は、ほんとに行きたくなかった… 文化祭はまだマシかな。 修学旅行は、なんとか行かずにすまないかと考えて親に聞いてみましたが、すでに旅行料金を積み立ててる(個人ではなく、学校費用として学校で)と言われて諦めました。 こんなこと言ったら、コロナ禍で修学旅行に 行きたくても行けなかった子どもたちに悪いなとは思いつつ… ほんとに、ああいった集団行動イベントが

          年末年始から逃げたい

          社会性とグレーゾーン

          発達障害の人に社会性と言われても できないものは出来ない。という内容で 前回のnoteを書きました。 では、グレーゾーンの場合はどうなのか? できるだけ周りに合わせて 自分をチューニングすることは出来ます。 でも、それを長期間やり続けると 体調を崩してしまいます。 私の場合もそうでした。 ある程度までは出来るんです。 でも、一回 歯車が狂いだして、体調が悪くなると もうあらゆる体調不良が噴出してきて大変でした。 周りに合わせると、なんで途中から 体調に支障が出るので

          社会性とグレーゾーン

          社会性と発達障害(ASD)

          発達障害について調べる中で どうにも「社会性」という言葉に引っかかっています。 引っかかるというか違和感。 特にASDの子どもを育てる、定型発達の親には、「社会性をもってほしい!」 という 強い願望があるようで。  でもそう思うのが、普通でマジョリティなんでしょうね。 ちなみに社会性って具体的には、 特性にあった教育と言われても やっぱり という思いは強いんだなぁと そういう親御さんのnote記事を見ていても思います。 私は精神科医でもないので ハッキリした事は

          社会性と発達障害(ASD)

          リアルな人間関係では、HSPだと言わないことにしている

          HSP的な匂わせ発言は、適度にはさみつつ 実生活では、 HSPだと絶対に言わないことにしています。 言っているのは、匿名のこのnoteだけ。 匂わせるのは、そうしておかないと 「ふつうに普通のことができる、ふつうの人」だと思われてしんどいから。 「ちょっと変人」ぐらいにチューニングしておかないと息苦しくて疲れてしまうので。 HSPだと言わない理由は、2つあって 1、HSPは病名ではない。 (精神科では、HSPという単語は存在しない) 全くエビデンスはありませんが、体

          リアルな人間関係では、HSPだと言わないことにしている

          体調不良の身代わりには、誰もなれない。

          無理をした結果しんどくなるのは私。 ということに、最近まで気づいていませんでした。 何かの作業や教会での奉仕は代わってもらえます。 でも、集まりに参加した後、頭痛になったり体調不良になったりする その「私の頭痛」「私の体調不良」は、 半分を分け合うことも、代わってもらうこともできないんです。 「地球には重力がある」と同じくらいの常識として みんな、集まりの後は頭痛になっているんだと思ってたので 無理をしてしまっていました。 みんな頭痛があっても出来るんだから、私も多少は

          体調不良の身代わりには、誰もなれない。

          ラクになる言葉、苦しくなる言葉

          正直、クリスチャン関連の本を読んでいると 時々、気持ちが苦しくなるような言葉に出会うことがあります。 聖書を読んでいてそういう事はほぼ無いけど。 やっぱりクリスチャンにHSPが少ないから、 合わない表現があったりするのかな。 私が苦しくなる言葉とそれに対応しそうな ラクになる言葉(こっちはビジネス関連の文脈で語られてる言葉) を紹介します。 楽になる言葉 苦しくなる言葉 「置かれた場所で諦めず、最善を尽くすことで、幸せになりなさい。それがきっとあなたの周りの人をも幸せ

          ラクになる言葉、苦しくなる言葉

          HSPクリスチャンの悩み

          日本でクリスチャンは少数派。 日本人クリスチャンでHSPは、もっと少数派。 もしかしたら、ASDグレーゾーンかもしれないので、そうなるとさらに少数派。 ASD、HSPの人は、群れることは難しい。 せめて似たしんどさを抱えた人、3人ぐらいに出会えたらと思って noteを始めました。 プロテスタントの教会って、 アメリカからの影響+日本の会社文化みたいなのが混ざって HSP気質や発達障害(ASD/ADHD)の人には、けっこう大変な習慣とか文化が多いなと思います。 クリスチャ

          HSPクリスチャンの悩み