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HSPクリスチャンの悩み

一人なら打ち負かされても、
二人なら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない。

聖書・伝道者の書4:12

日本でクリスチャンは少数派。
日本人クリスチャンでHSPは、もっと少数派。
もしかしたら、ASDグレーゾーンかもしれないので、そうなるとさらに少数派。

ASD、HSPの人は、群れることは難しい。
せめて似たしんどさを抱えた人、3人ぐらいに出会えたらと思って
noteを始めました。

プロテスタントの教会って、
アメリカからの影響+日本の会社文化みたいなのが混ざって
HSP気質や発達障害(ASD/ADHD)の人には、けっこう大変な習慣とか文化が多いなと思います。

クリスチャン系の雑誌に「洗礼を受けても、そのまま教会に来なくなった人」の事を信仰の問題として捉えた記事があったりします。

でもそれ、本当にそうなのでしょうか?

案外、聴覚過敏で賛美の音が大きすぎて会堂に行きづらいとか、
スモールグループでのコミュニケーションが苦手で、
参加した後は頭痛で寝込んでたとか。
賛美フラダンスを踊りたくないが、どうそれを表明したらいいか分からなくて
必要以上に悩むとか。

家族と一緒に通ってたり、子どもの時から同じ教会だったら
多少緩和されるかもしれませんが。

HSPとかASD/ADHDの人が1人で行ってると、キツイかもなぁ。

上記のような症状を言っても、そういう人は少数派なので
あまり共感してもらえません。しかも、毎週繰り返すうちに症状は悪化したりするので、そっと会堂に行くのをやめるしか方法が無い人もいるのかも。

もちろん、洗礼は受けたけど信仰は持ってなくて教会に行かなくなったパターンもあると思いますけどね。

私の場合、家族(両親+3人姉妹)と教会に行っているので
なんとなくやり過ごせてたのが、20代の時に

もうちょっと人間関係を増やしてもいいのでは?

と思ってしまって。

教会での集まりに参加する回数を増やしたところ
体調が徐々に悪化。自分のキャパシティが、人よりも少ないのだと知りました。


そういえば、冒頭の聖書箇所は
ただの人間が3人集まれば…(三人寄れば文珠の知恵?的な)ということではなく
「2人の人間(主に夫婦)+ 神」の三者だと、切れにくく丈夫になるという
意味のようです。
でも、文脈的には夫婦に限らず、3人とも人間として読めなくもない気がするんですが。どうなんでしょうか。2人で寝ると温かいという部分は夫婦のようですけど。「二人」という単語が原語では「夫婦」と同じ意味とかそういうことなんでしょうかね。どなたか知っている方いたら教えてほしいです。


  二人は一人よりもまさっている。
  二人の労苦には、良い報いがあるからだ。

  どちらかが倒れるときには、
  一人がその仲間を起こす。
  倒れても起こしてくれる者のいない
  ひとりぼっちの人はかわいそうだ。

  また、二人が一緒に寝ると温かくなる。
  一人ではどうして温かくなるだろうか。

  一人なら打ち負かされても、
  二人なら立ち向かえる。
  三つ撚りの糸は簡単には切れない。

伝道者の書4章9節〜12節


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