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ラクになる言葉、苦しくなる言葉

正直、クリスチャン関連の本を読んでいると
時々、気持ちが苦しくなるような言葉に出会うことがあります。
聖書を読んでいてそういう事はほぼ無いけど。
やっぱりクリスチャンにHSPが少ないから、
合わない表現があったりするのかな。

私が苦しくなる言葉とそれに対応しそうな
ラクになる言葉(こっちはビジネス関連の文脈で語られてる言葉)
を紹介します。


楽になる言葉

「今いる場所が嫌なら居場所を変えた方が良い。木ではないのだから。」
“If you don’t like where you are, change it. You’re not a tree.”

ジム・ローン/Jim Rohn

苦しくなる言葉

「置かれた場所で咲きなさい。」

本の題名(著者:渡辺和子)

「置かれた場所で諦めず、最善を尽くすことで、幸せになりなさい。それがきっとあなたの周りの人をも幸せにするから」

という意味で、
「置かれた場所で我慢しなさい」ではないようだけど。

それにしても、この言葉を言われたら苦しいなぁと思っていた。

しかし、元になったラインホルト・ニーバーの詩を調べてみると


"Bloom where God has planted you."

Please bloom where God has placed you.
 Rather than give up, make the best of your life and bloom like a flower.
To bloom is to live happily.
Let your joy make others happy.
Your smile is contagious.
When you are happy and show it by your smile
Others will know it and are happy too.
God has planted you in a special place.
If you know it share it with others, your personality will shine.
 It is that "shine" which we call "Bloom"
 When I bloom in the place
 where God has placed me
 My life becomes a beautiful flower
 in the garden of life.
 Bloom where God has planted you

「神があなたを植えた場所で咲きなさい」
神があなたを置かれた場所で咲いてください。
 あきらめるのではなく、自分の人生を最大限に生かし、
花のように咲いてください。
咲くということは、幸せに生きるということです。
あなたの喜びで人を幸せにしましょう。
あなたの笑顔は伝染します。
あなたが幸せで、それを笑顔で示せば
あなたが幸せで、それを笑顔で示すと、他の人もそれを知って幸せになります。
神様は、あなたを特別な場所に植えてくださいました。
あなたがそれを知れば、他の人と分かち合うことで、あなたの個性は輝きます。
 その "輝き "を私たちは "Bloom "と呼んでいます。
 神様の置かれた場所で咲くとき
 私の人生は美しい花となる。
 私の人生は美しい花となり
 人生の庭に美しい花を咲かせます。
 神があなたを植えた場所で咲きなさい

ラインホルト・ニーバー(Deep Lの自動翻訳)


えっ、「神が」なのね。「God has planted you」 なのね。
そうなるとクリスチャン的には、意味合いが変わってくるし
クリスチャンじゃなくても、結構ニュアンスが変わるのでは?

やっぱり、「置かれた場所で咲きなさい」だけでは
「今いる場所で我慢しなさい」という意味合いに聞こえるし

なんで、題名に「神が」を入れてくれなかったのかな…。
この題名、意味合いが間違って伝わって
苦しくなった人は多いんじゃないだろうか。

「咲きなさい」というのも、翻訳すればそうだけど
命令されるとなんともいえない「しんどさ」がある気がする。

どうしたらいいだろう。

「神が私を置かれた場所で咲くことにした」では題名として長すぎるし、
「この場所で咲くことにした 〜神が私を置かれたから〜」
あたりなら苦しくならなかったかな。

クリスチャンなら、今いる場所が苦しい場合に
本当にここは神が置かれた場所だろうか?と祈れる。
クリスチャンでなかったとしても、神が置かれたかは分からないよね。って
思えるはず。「神が」と付いていれば。
でも、付いてないとその発想ができないかもしれない。
(もちろん、この本を読めば分かるはずだけど。)

クリスチャンではない場合、この「咲く」という単語の
ポジティブな感じが、余計にしんどさ加減を増している気がする。
我慢して幸せそうに明るくふるまえという感じがして。
詩の中では、咲く=幸せに生きることと言ってるのに。

考えすぎかな。

クリスチャンではない日本人的な受け取り方で、
しんどくない表現をするとしたら

「ご縁のあった場所で頑張ってみたら?」

あたりかな。
ニーバーの詩の意味とは違ってくるけど、間違って受け取るぐらいなら
まだこっちの方がしんどくない。
ダメだったら、ご縁が無かったって言えそうだし。

ということで、クリスチャンの私としては
苦しくなる言葉だと思っていた「置かれた場所で咲きなさい」を調べることで
苦しくならないニーバーの詩と出会えました。


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