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4歳と41歳、親子2人放浪の旅(紀行)


先日

4歳になる息子と2人で、4日間のキャンプに出かけてきました。初日だけ車中泊で、あとはカヤックをやったり、息子の好きな縄跳びをしたり、ボルダリングをしたり、とにかく、その場その場でやりたいことをやりたいようにやって楽しむキャンプです。

きっかけは、私自身が暇だったということもありますが、息子も「挑戦してみたいな」という目つきというか、雰囲気があったので、とりあえずやれるだけやってみようという感じで行きました。

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母親と離れて

息子は今までキャンプをしたことはあっても、母親と離れてというのはありませんでした。なので「2日ぐらいで寂しくなるのかな?」と予想していたのですが、見事に裏切られて、最終日の4日目にも「まだ帰らない」と言うセリフを聞くことが出来ました。

ちなみに最終日の外気温はマイナス5度を下回り、飲料水は全て凍っていて、靴も凍っていて、私の想像する4歳児は泣き出す状況だと思っていたのですが、朝目覚めてからもニコニコしながら私が火をおこすのをテントの中から眺めていました。

今回はそんな息子の様子を眺めながら、改めて小さな子供に自然と触れ合わせることの大切さを感じたのでここに記録を残しておこうと思います。

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1日目


日曜日午後。2歳の娘と息子と私の3人で近所の湖でピクニック。しばらくすると山火事が起きたらしく消防車が何台も湖畔に立ち寄っては去る。

そのうちに消防士が1人やってきて「ヘリが着陸するからダウンウォッシュに注意してほしい」と言われる。間近にヘリが着陸するのを期待しながら待ったが、山火事はおさまったらしくヘリが来ることはなかった。

急に静まりかえった湖畔で、このあとどうするかを息子と話し合っていると、息子が今すぐキャンプに行って焚き火をしたいと言う。ついでにカヤックも持っていくのが良い、と私。それならサッカーボールと縄跳びとカルタを持っていくと息子。まだ小さな娘を嫁に預けて、午後4時、私と息子は南へ下った。

この日は目的のキャンプサイトの手前にある小渋湖の湖畔で車中泊。
興奮して寝付けない息子と、月明かりの下でスケボーをする。外の気温は春のよう。


2日目


午前8時。テーブルと椅子を出して焼きそばを作る。文句ひとつ言わず鍋からがっつく息子。この日も暖かく、快適。

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カヤックを湖畔で組み立てる。息子、少し退屈そう。進水の時に少し怖がるものの、漕ぎ出してしまうと慣れてきたのか「怖い、面白い」とアウトドアスポーツの真意をついた感想。

30分ほど漕いで、広々とした入江の一部に上陸。陸地は大人の胴ほどの太さの流木がいくつも散乱していて歩きにくい。普段なら「抱っこ」の連呼だが、自分で流木を乗り越え、くぐりながらなんとか歩みを進めていた。

途中、鹿の白骨死体を見つけて凝視。頭や肋の位置を自分の体に置き換えて説明すると納得していた。あまり怖がっていないのは死の認識がないせいかもしれない。

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昼食は別の入江に向かう途中でカヤックの上でとった。バナナとスナック。何度かパドルを手に取って漕ぐ。4歳児にはかなり重いパドルだが疲れ切るまで漕いでいた。

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風が北に変わり強まってきたので、湖からあがった。私がカヤックを片付けている間、息子が石でできたスラブ状の壁を怖ろしい高さまで登り始める。普段クライミングはあまり好んでやらないが、恐怖の先の楽しさに気付いた様子。

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午後、少し移動した河原にテントを張る。
投げたサッカーボールを木で打つ遊びをしていると太陽が稜線に隠れた。

夕食の準備。私が薪を集めている間、息子は川に石を投げて遊んでいた。つい2日前まで娘と取り合いになりながら夢中になって遊んでいたおもちゃに全く手を付けない息子の姿が印象的だった。

夕食は定番のカレー。息子の食欲、日常の2倍。「なんでこんなに美味しいんだろう」と息子。カップラーメンは外で食べると室内の100倍うまい。この感覚は年齢問わずを立証。

夕食後はワインを飲みながらギターを弾き、息子の話に耳を傾けた。

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3日目


夜中に雨が降ったので、翌日の天気を心配したが快晴。昨日より風が冷たい。夜は寒気の入り込みの影響で雨が降ったのだろう。

この日は河原の散策。相変わらず川に石を投げるのが好きな息子。
この日、息子の歩くペースが早くなっていることに気付く。キャンプに来てから自分から抱っこをせがむことも無くなった。

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小さなボルダーを見つけて登る。私が裸足で登って、そのまま河原をうろうろしていると「なんで靴履かないの?」と息子。「この方が生きてるって感じがする」と答えると、真似をしてやっていた。


また鹿の死体。今度は死後それほど時間がたっていないものだった。ツノを切り落とされているところを見ると狩猟のものだろう。息子、またも凝視。「おメメはどこ行っちゃったんだろう?」と不思議そう。

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午後3時。空にうっすらと波状高層雲が広がっては消えるようになってきた。明日どこまで冷え込むかが心配だ。この日は早めの夕食にするため、まだ日が高いうちにテントサイトに戻ってきた。

私が昨日やっていたことを一通りやりたいようで、重い斧を振り上げ、野菜を炒め、焚き火に薪をくべていた。

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夕食は、羊の肉、白菜、白米。息子は肉をナイフで器用に切って食べていた。

息子は日頃から縄跳びが出来るようになりたいようで、日も傾きかけた頃に思いついたように練習を始めた。最初は全く飛べなかったが、徐々に成功していき、1時間以上かけて連続して飛べるようになった。今まで1日に10回も出来なかったのが、この日100回を超えた。

100回に近づいた頃はほとんど夜で、火の粉を散らして燃える焚き火の焔の赤に照らされた息子の顔の汗が光っていた。それは、園児の縄跳びの練習というより、八百万の神に捧げる舞のように神々しい光景だった。

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4日目


強烈に寒い朝。快晴。飲み水が凍っているので、焚き火を起こして溶かして飲んだ。息子もしばらくしてテントから顔を出した。あまりの寒さに泣き出すかと思ったが、笑顔。自分の靴が凍っているのを不思議そうに眺めている。

朝食は取らず、素早く撤収。途中、コンビニで朝食を取った。息子のリクエストを聞くと、「餃子、ご飯、バナナ」と言うことだったので、その通り買ってくると、餃子をおかずにバナナをとても美味そうに食べていた。

家路まで半分というところにある公園で少し遊んで休憩をとった。その後の車の中で「今日もカヤックに乗る」「テントの場所を探しにいく」などと言う息子の言葉を聞きながら、自然のありがたみを噛み締めた。

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