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震災後の変わらない声に考えさせられる 「なーん」は控えて欲しいな

地震は、地震の規模だけでなく、そこに住む土地の人柄、文化、風習とも大きく関わりそうです。

震災の次の日も

先日の大きな地震で、母が親戚のおばさんに連絡を取る姿を横で聞いてました。耳の遠い母のスマホから、電話向こうのおばさんたちの声が聞こえてきます。

声とテンポが昔と変わりません。

「水が出ない、給水者の対応がない」も淡々と。のーんびり。

とはいえ「あらー、よわった」といった状態。

親の口癖でもあります。「よわった」というのは「困った」ということなのですが、困ったからと怒るのでもなく、一旦受け止める行為。すごいことだと今回はじめて思いました。

近くに住む親戚のお家の状況も「どうだろうね〜」と言った感じ。

結婚後、多くの親戚から大丈夫?と連絡があることを知ったのですが、ごく当たり前の親戚への「大丈夫?」の声かけ。ことばの優しい繋がり方は少ないように思います。我が家だけかな?

表面的には控えめなコミュニケーションですが実際には深い繋がりを持っているのだと思います。だからややこしくも思ってしまうのでしょう。

「なーん」
「氣の毒な」

という方言が染み込んでいます。大丈夫?と氣にかけたら謝られてしまうほど。そして氣にかけたらびっくりするほどのお返しを頂いたりします。

言葉ではない循環が巡っているように思います。

「なーん」と調べてみると軽い否定とありますが、「なーん」は私にも染み付いています。

受け取り拒否の言葉ともいえます。「なーん、大丈夫やちゃ!」と、どちらかというと遠慮寄り。

「これも食べられ!」
「なーん、いいちゃ、あんたらで食べられ」

「氣の毒な」というのは、私なんかにわざわざ氣を遣っていただいてどうもすみません。という感じでしょうか。

「なーん」は友達同士でも言っちゃってました。「えーー!すごいね!」の褒め言葉に「なーん」

振り返れば、大人なすごい中学生だったのかもしれません。

そこに居たら気づかないけれど、離れてわかることはありますね。

突然ひっくり返ったのか


昔はお正月の晴天を、雪降る中、テレビで見ていた矛盾。
まさか、都内の晴天の中、テレビ向こうで親戚のおばさんたちをみるお正月が来るとは思ってもいませんでした。

突然ひっくり返った!

ようでいて、以前noteで綴った記事を思い出しました。

私の宝箱は貝殻だったのです。
能登半島から富山県に続く海岸線。
海岸侵食問題で、昔遊んだ砂浜が今ではすっかり消えてしまってました。
じんわりじんわり。

センス・オブ・ワンダー

私にとってこの辺りは、とっても豊かな場所なんです。
大きな揺れの次の日の電話向こうの変わらないおばさんたちの声。
もしかすると根っこの根っこに本当の豊かさを自然の恵みで得ており、自然と共にいるのかもしれません。

以前読んだセンス・オブ・ワンダーも思い出します。

「子どもは小さな体で、恐怖や感動を伴う大自然を既に受け入れている。境界線など引かずに。」

私自身、のーんびり!な遠慮がちなこの土地に、わかりやすい「欲しい言葉」「欲しいカタチ」に囚われ、遠くにある光を見つけて、自らが変化して過ごしてきたのかもしれません。

そして元々あるこの場所で元々の自分で、大自然の変化を受け入れて、調和と共生の生き方がおばさんたちだったように今になって思います。

今回ばかりは「なーん」の優しいことばの否定をちょっとだけ引っ込めて、皆さんからの支援を遠慮なく受け取っていただきたいなと心から思います。






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