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【障害のこと】興味をもって聞いてくれていいよ

大きな荷物は運べないので、食料の調達や大きな商品の買い物はネットスーパーや通販に頼むことが多い。

ある日、飲料24本ケースが届いた。
配達してくれたのは東南アジア系の若者だった。
肌が浅黒くて、慣れない日本語で頑張っている。
大変そうな素振りも見せず、笑顔で名前の確認をする。

部屋の廊下からわたしが玄関に向かってくる様子を見ていたのだろう。
「足、どうしたの?」
と屈託なく聞いてきた。変わらない笑顔。
「生まれつきこうなんですよー」と返す。
特になんともない、日常会話だ。

嫌悪感もなにも感じなかった。

そうしたら、もう一人日本人の配達員の人が出てきた。彼が新人で外国人だからだろうか、
研修指導をしていたのかもしれない。

間髪いれず「すみません!」とだけ言われる。
何がすみませんなのかは、言われなかった。

わたしは「いえ、大丈夫です」と言ったが、外国人の彼は何が悪いのかわからないようすで、そのまま怒られていた。

彼らが帰ったあと、わたしは申し訳ないような、納得行かないような、釈然としない気持ちになった。
おそらく彼は純粋な疑問を聞いただけなのに、
(確かに日本人と比べるとフランクな距離感だが)
叱られてしまった。

彼の気持ちはなんでもなかったのに、怒られる理由を作ってしまったことに、申し訳なさも感じた。

同時に疑問も思い浮かぶ。

①なぜ日本人に足のことを聞かれたら嫌な気持ちになるのに、わたしは海外の人だとそう思わないのか?
②なぜ日本人の配達員は、彼を叱ったのか?


これまでの経験から、障害や足のことを聞いてくる人は2種類いると思っている。
1つが「障害者に思いやりがあって優しいのだ」と自分が気持ちよくなりたい人。

もう1つが、について興味をもって聞く人。

何をもって二者を見分けるか、というのはうまく説明できない。
だが、小さい頃からどちらの視点でコミュニケーションを取ろうとしているのか、話ぶりや、私以外の人への対応から見極める癖がついた。
他人が気持ちよくなるための、対象物になるのは嫌だ。

海外から来た配達員の青年は、私と初対面だしもう会うこともない。

心からのふとした興味で聞いているのだ。

そりゃ歩き方がおかしかったら疑問にも思うし、素直に質問するだろう。
「遠慮する」という日本の文化がいい意味でまだわからないだろうし。

わたしは自分の一部である障害について、屈託なく単なる疑問として聞いてくれることが嬉しかった。


例えば、子供がわたしに「なんでその足なの?」と聞くと、大抵の保護者は「こらっ、なんてこと聞くの」とその子を叱って、叱った理由も言わずにわたしに「すみません」という。

すごく残念だし、わたしは傷つく。
なぜ、普通に生活して質問されてるだけなのに、謝られたのだろう。

小さい子どもが、自分と異なる存在に疑問や興味を持ったりするのはごく自然なことだ。

かれらの疑問を否定してしまうと、将来、障害者や自分と違う人たちに萎縮したり、「知ろうとすること=タブー」と刷り込まれてしまうかもしれない。

親も、きっと障害(その人のマイナスの部分)について聞くことはタブーだと思っているのだろう。
マイナスでもなんでもなく、そのまんまの姿で生活しているだけなのに。

わたしは、少なくとも私個人は、海外の配達員みたいに、わたしの足について聞いてほしい。
疑問をもったり、興味をもってほしい。

わたしみたいな人が世間にいっぱいいて、それは当たり前のことだと知る窓口になれたら嬉しいと思っている。

同情や、結論ありきの対応ではなく、その人への興味や疑問をもって接すること。

それが、障害や、違いのある人
(つまりあらゆる全ての人)に対する理解のファーストステップだと思うから。

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