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つながりがつながりを生む
今回、気仙地域を巡り、いろんな方にお話を聞くことができたのは、この地で地道につながりを増やし、つながりを大切にしてこられた先生方や、コミュニティを守ってきた地域の方々のおかげだ。
近くを通りがかったら挨拶をしたり、他愛もない話をしたり、何かあればすぐ駆けつけたり、お手伝いをしたり、地域のイベントに参加したり……
そんな何気ない日々の関わりが、ちょっとした心配りが、人と人とのつながりを強くする。
“行ってらっしゃい”
誰かと別れる時に何て言うだろうか。
きっとほとんどが、「さよなら」か「また会おうね」だと思う。
今日かけられた言葉は「行ってらっしゃい」だった。
どうして「行ってらっしゃい」なんだろう。
でも何でだろ、とってもあったかい。嬉しい。
陸前高田でお世話になったその方はこう語った。
「さよならは言わないようにしているの。またいつでも帰ってこられるように、おかえりって言えるように、”行ってらっしゃ
笑顔と暖かさに包まれて
陸前高田の人たちの暖かさに包まれた1日だった。
笑顔で出迎えてくれ、東京から来た学生というよりも、近所の人と話すみたいな雰囲気で話をしてくれて。
ゆっくりしていきなぁ、高田を満喫してね、
優しさと高田愛をたくさん感じながら。
椿油、組子細工、碁石海岸、穴通磯…
まちへの想い、愛、今とこれからへの想い。
まちの様子、防潮堤、海の景色・・・
それらを見てき聞きながら、そして、この3日を振り返
何気ない1日が幸せだということを
“何気ない1日は何気なくない。何気ない1日が幸せだったんだとすごく痛感した”
震災遺構として残し続けている商会の建物の中で語られた言葉。
陸前高田の中心市街地の中に今も佇む、米沢商会さん。
建物の周辺、建物内部、屋上、津波到達地点で語られる当時の話を聞いていると、まるであの日の追体験をしているようだった。
震災遺構が語ること。地域の方々が語ること。
肌身で感じることの強さ、重さ。
その瞬
陸前高田に降り立って
東京から一ノ関へ。一ノ関から大船渡線に乗って気仙沼へ。気仙沼から大船渡BRTに乗って、奇跡の一本松駅へ。
約4時間半かけてたどり着いたこの場所は、誰もが知っている、奇跡の一本松がある場所だ。
陸前高田には震災遺構が5つある。
タピック45(道の駅高田松原)、奇跡の一本松、気仙中学校、旧陸前高田ユースホステル、下宿定住促進住宅の5つだ。
遺すこと、壊すこと、語ること……
様々な思いが、感情が入
真実はひとつじゃない
「真実はひとつではありません」
大学附属の高校へ大学の学びやリーダーシップについて講演した時に言ったことのひとつ。
「あのアニメのキャラは嘘言ってるの!?」なんて声が飛んできた笑
それは置いとて。
“真実は人の数だけある”
どういうことだろうか。
事実と真実の違い
端的に言えば、事実は名詞で、真実は動詞だ。
どういう意味なのか。
つまり、事実というのは「起きた出来事」を指し、真実は
日本語の美しさ・趣深さ
和歌や古語はえも言われぬ余情がある。
また、情景描写も余韻を残し、想像を掻き立てる。
言葉を知ると表現の幅が広がる。
日本語は表現できる世界観がとっても広い。
雪を表す音ひとつ取っても、「しんしん」「はらはら」「ふわりふわり」「さくさく」などなど、景色や降り方によって様々。
表現豊かだからこそ、余韻の感じられる文章からその風景がありありと浮かぶ。それだけではなく、その者の想いすらも表してしま
名もなき人の優しさに包まれて
とても好きで、特に高校時代の私を励ましてくれた歌。
誰にも知られず、けれど誰かを想って、その誰かのために動いている人たちの存在。
感謝されることもほとんどなく、それでも誇りを胸に、誰かの笑顔に幸せを感じる。
報われない
高校時代の生徒会活動なんてまさにそうで、みんなに見えている活動の裏で、細やかな心配りやら地味で地道な活動やら、見えない部分で活動をしている。
もちろんその中には見せないよ
“今”の私には・・・
「何でそんなに行動力あるの?」
「本当すごいね」
「自信持ってできるのすごいね」
なんやかんやよく言われる。
ありがたいことでもあるけれど…
当たり前かもしれないが初めからこうだったわけではないし、何なら今だって不安とか怖さとかないわけじゃない。
転機となったのは中学3年生の春から高校1年生にかけての1年間。
その頃の私はよくこう言っていた。
「今の私には到底できない」
いつからか無く
偶然の出会いでできている
7歳の私は今の私を見てきっとびっくりすることだろう。
では、12歳の私はどうか。
この時の私からしてもびっくりするだろう。
中学受験、大学受験、大学生活、就活している現在……
最初に見ていた世界とは違う道を歩んできた15年。
それは偶然の出会いやきっかけでできている。
中学受験
小学生の私にとって1番地獄だったのは、お先真っ暗な状態が2年続いたことだ。
よく聞く名前の塾に通っていた私