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“今”の私には・・・

「何でそんなに行動力あるの?」
「本当すごいね」
「自信持ってできるのすごいね」

なんやかんやよく言われる。
ありがたいことでもあるけれど…

当たり前かもしれないが初めからこうだったわけではないし、何なら今だって不安とか怖さとかないわけじゃない。

転機となったのは中学3年生の春から高校1年生にかけての1年間。

その頃の私はよくこう言っていた。

「今の私には到底できない」

いつからか無くした自信

子どもの頃は怖いもの知らずなものだ。
自分の意見を言うことも、人前に立つことも、誰かと正面からぶつかることも…

“いつからか”とは書いたが、きっかけがあったのは中学に入ってからだろう。

何をするにも否定され、嘲笑われ、、、
ちょっとしたことであればよかったが、それが状態化してしまっていた環境だったこともあって、ある時何かが崩れ落ちる音がした。

やってみない?

環境を変え、やりたいことに全力を注に始めた頃、ある先輩に出会った。

生徒会の外務活動に飛び込んで間もない私に、全国の生徒会役員が集まって討論する会に、ファシリテーターとして参加しないかと声をかけてくれた。

その連絡を見た私の開口一番は、

「そんなの無理。今の私じゃ到底できることじゃない」

一旦は私ができるのかと返信したが、それに対して返ってきた言葉は、当時の私にとっては想定外のものだった。

「とりあえずやってみない?」

目を見張った。そんな心持ちで踏み込んでいいんだろうか。
上手くできないことなんてわかりきっているのにどうして…

けれど、なぜかその先輩の言葉は臆病な私の背中を押した。

少しでも近づきたい

ほとんど上手く議論を回すことのできなかった全国の討論会。

やっぱりこうなったとはならなかった。
ただただ悔しさが残った。
力をつけたい!その気持ちが大きかった。

その後も大学で行う討論会や他団体の会などあらゆるところにファシリテーターとして先輩に声をかけてもらった。

参加しては泣いて、参加しては泣いて…
今回はここで躓いた、ここが足りなかった、でもここはできるようになってる!
とひとつひとつ分析して、次やってみて、また考えて。

少しでもその先輩に近づきたかった。その先輩の思考や視点で考えられるようになりたかった。

それが私の原動力だった。

自分を信じること

1年後。臆病だった私が走り出すことになったあの討論会がやってきた。

ファシリテーターとして参加した私は、どこか落ち着いていたところもあった。

それはきっと、ここまで頑張ってきたんだから大丈夫と、信じられたからだと思う。

意見をまとめること、プラスアルファの視点を提示して議論を促すことなど、形になっていることが自分でも掴めて嬉しかった。

1年前の私は言葉を発することが精一杯だったことを考えると、このことは私にとって1つの成功体験になった。

そして自信が持てると、他者から見ても安心感と頼もしさが感じられるということも実感した。

運営の先輩から「貫禄出てきたね!」と言われたり笑

その後、その先輩からも「あの時声をかけて良かった」と言ってもらえて、嬉しさで胸がいっぱいになった。

できないのは当たり前

誰だって最初はできないもの。
今の私じゃなんて、よくよく考えれば当たり前な話だ。

ならばもう思い切ってやって、それから考えて、改善して走り続ければいい。

「今の私じゃ」と心に浮かんだら、それはやってみよう!という合図だ。

今の自分にとって負荷のかかることをやると、自分を強くする。

そういう意識が私を強く支えている。

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