ゆり

読書と美術館と絵画が好きです。世の中の方々が何を思いながら日々の暮らしを営んでいるのか…

ゆり

読書と美術館と絵画が好きです。世の中の方々が何を思いながら日々の暮らしを営んでいるのか聞いてみたい。内面にある景色を言葉として形にしてみたい。

最近の記事

オメガ城の惨劇 感想

森博嗣のオメガ城の惨劇の感想。 感想というか辛抱たまらず書き散らした。 以下、スクロール、ネタバレ全開注意喚起です。 いや、保呂草さんやん!!!怪しいとは思ったよ。フランスのあたりで、おや?っておもったし犀川先生はこんなことせえへんやろ…とかおもったけど、いやいや、何してるの!もう!!サイン!!! 久しぶりに会えてめっちゃ嬉しい、相変わらずすぐどっか行くし紅子さんとの関係が最高なんだが…最高なのは知ってた…。紅子さんの言うことは聞きますもんね。やだーもー、たまらん。 紅子さ

    • 住宅地の中にある美術館

      ずっと気になっていた、桑山美術館に行ってきた。というのは昨日だったかツイートしたけれど、やはり改めて素敵だったわという感想を。 閑静な住宅地の中に、ぽつんと現れる感じのこじんまりした規模が良い。ひっそりとした宝物を見つけた気分になった。 鬱蒼とした木々の下に構えられた入り口も、また、素敵だった。 新緑の季節なので、美しい緑で溢れていたけれど丁度、入り口にかかる木々の葉が逆光になって、明るいのに暗くてそれが良かった。 とにかく、建物が好み過ぎた。 作品も良かったけれど。 自分の

      • 前を向くこと

        結果的に貢いだ形になったお金は返ってこないし、返されても裏がありそうでトラブルになりそうだから受け取りたくない。 過去は過去。相手から受けたものも確かにあった。 過ぎ去りし過去を悔やんで呪って絶望して、何もかもどうでもよくなって、でも、ふと思った。 なんで過去にまでいつまでもこんなにつかまらないといけないのか。 彼がいないから、もう何もかもどうでもよくて、だからって なんで自分を虐げているのか。 後ろばかりみて、暗く落ち込んで愚痴で呪って、でも、それって何も解決しないし疲れる

        • 明日、私は誰かのカノジョ

          を、読んだ。最新巻の10巻。 この作品、個人的には萌ちゃんやゆあがメインはってた話しからが特に好きで今に至るわけだが、まずは萌ちゃんが再スタートを無事に送れているようで安堵の涙だ。我が推しの、ゆあは次いつ出てきてくれるのか。 さて、この作品を読んでいると身に覚えがあることが少なくなく、出来ればもっと早く出会いたかったとも思った。 お金は大事だ、お金は裏切らない。という話しが前半で出てくるが、これは本当にそうだ。かくいう私もかつて、決して高くはない手取りの生活にも関わらず、付き

        オメガ城の惨劇 感想

          須賀敦子さん

          の、作品が好きだ。須賀さんの本に出会ったのは社会人になってからで、偶然である。誰かに紹介されたわけでも、ブックフェア中だったわけでもない、偶然。 初めて読んだのはユルスナールの靴だ。 そこから、片っ端から須賀さんの本を読み、須賀さんをきっかけにシモーヌ・ヴェイユに繋がった。 須賀さんの本を読んでいると、深く深く精神的な方へ潜りたい気持ちになる。静かな気持ちで考え事をしたくなる。 神聖な書物だ、と思っている。 できうることなら書かれようとしていた作品を本当に読みたかった。

          須賀敦子さん

          瞳の中の暗殺者

          ただいま、劇場版名探偵コナン『ハロウィンの花嫁』が絶賛上映中だが、まだ観に行けてない。予告を観る度に観たくて暴れそうになる。 さて、そんななかでも劇場版は私はダントツで瞳の中の暗殺者が好きだ。もう、大変に好きである。 記憶喪失の蘭ちゃんがもう、たまらんのである。 小学生の頃、某デパートの映画館で観た。大人になってから改めて観て、やっぱ好きだなあと思う。 でも、コナン君ファンには申し訳ないが、そんなに深々とハマりはしなかった。瞳の中の暗殺者はダントツで好きだけど、真面目に原作を

          瞳の中の暗殺者

          名前について

          あなたも彼も彼女も、みんな名前がある。 それが不思議でたまらないときがある。 私につけられた名前があるから、私は私だと認識している。 少なくとも自分はそうだ。 この名前が取られたら、自分は誰になるんだろう。 ところで何かを行っている自分とそれを離れて見ている自分、という図はわりとよくあると思うが、最近、仕事しているときに強くなっている気がする。 それどころか、これをやっている自分は誰だったかしら。なんて思うときもある。鏡をみて、こんな顔だったかしら。と思うときもある。 さて、

          名前について

          リアルの私はどこにいる?

          森博嗣の『リアルの私はどこにいる?』を読んだ。 私は真賀田四季が好きで好きでたまらず、ひざまづきたいしひれ伏したいし一生付き従いたい存在で、何ならS&Mシリーズは真賀田博士を追いかけるためだけに読んでいた。 なので、リアルの私で、四季の名前が出たときには微笑んだわけだが、さて、共通思考。読み終わって、四季はやはり優しいんだなと思った。 人間とは何か、存在するのは何故か、って、この話しに限らず森先生の作品には頻発する投げ掛けだと思うが、私は、生きているから生きているのである、死

          リアルの私はどこにいる?

          ルポ 女性用風俗

          菅野久美子さんの『ルポ 女性用風俗』を読んだ。 自分自身は今のところ女性用風俗を利用する機会はないものの、書かれていることに頷く部分が少なくなかった。 自身が処女を喪失したのは30になるか、ならないかぐらいだった。その頃より一年ほど前に、振り返ってみればただ都合のいい相手だっただけ(例えば高いライターやピアスを頼まれて買ったりしていた、自分にもそんな高いものを買ったことないのに、たまのデートらしきもので十分だと自分に言い訳していた)のような、付き合ってるのかそうではないのか分

          ルポ 女性用風俗

          メンタル強め美女白川さん

          の最新巻を読んだ。3巻。白川さんみたいになりたいと思いながらもなかなか難しい。梅ちゃんには共感しかない。わかりみがすごい。町田さんと林檎ちゃんは毎回癒される。梅ちゃんな、彼女みたいな先輩が欲しかった。自分のことを大事にするってよくわからない。だから、白川さんの姿勢は尊敬だけど、何がどうしたらああなれるのか。自分で自分の価値を見出だせない。私の場合は他者の評価ありきだから。誰かが見ていないなら評価してもらえないならどうでもいい。と、なりがちだから。でも、誰かに評価されたいならな

          メンタル強め美女白川さん

          オートクチュール

          という映画を観た。ディオールの美しいアトリエ、お針子さんたちの繊細な指先の動き。夢のようなドレス。でも、美しいだけではない映画だった。自分の人生について考えさせられる内容だった。自分がしたいことって何なのか分からないまま生きてきた。ただ、生きてきた。信念もなく、理想も目標もなく。生きているから生きているに過ぎず、棺桶に早く入りたいと願う日々。別に寂しくないし、楽しいこともある。他人から寂しいでしょとか言われると勝手に決めつけんな。と思ったりする。でも寂しいかは別として、婚約破

          オートクチュール

          顔に泥を塗る

          『顔に泥を塗る』という漫画がある。最新巻の4巻まで読んだが、ヒロインの美紅ちゃんの心境が分かりすぎる。何故ならほんの少し、自分に似てるからだ。この人の言うことは絶対的に正しい、言うことを聞いていれば間違わない。彼が必要としてくれることがうれしい。だから彼が必要なら、お金も出そう。✕年ぐらいそんな状態だった。数百万ほどは結局、お金を負担した。何故ならそのときはそれが正しいと思ったから。今にして思えば、逃げたら良かった。逃げても良かった。どれほど才能があり頭が凄まじく良く、学んだ

          顔に泥を塗る

          乖離

          自分をもて余している、乖離している。そう思うことがよくある。崩壊してしまいたい。

          情報について

          世の中、情報量が多すぎる。ノイズも多すぎる。気が狂いそうになる。これ以上もう脳みそに書き込みができない。入らない。世の中、速すぎる。過呼吸になりそうだ。情報過多で加速しまくって、みんなどこへ向かっているのか。向かう先は最終的には棺桶ではないのか。進化に進化を重ねたらどこへ辿り着くのか。再び一気にアナログな世界に戻るのではないか。そしてまた繰り返し、繰り返し。

          情報について

          感受性について

          毒の花の君がいなくなってから、寂しいという感情が消え失せた気がする。あんなに寂しい寂しいと言っていたのに。感受性が破壊されたのだろうか。死ぬべきは私だった。もちろん、そうだ。君は死にたがりだった。もちろん、私もだ。けれども君は生きたがりでもあったのかもしれない。悪いがそれは理解できない。僕は生きたい気持ちが今のところは分からない、ごめん。消えたい気持ちなら多分、わかる。お互い刺し合えば良かったのだろうか。僕は毒の花の君になりたかった。そのものになりたかった。なれるはずがないと

          感受性について

          意味について

          こうして生きているわけだが、生きていることについて本当は意味なんて無い。意味があると思っているものは幻想。違うだろうか。無から生まれ、死ぬために生まれ、またやがて無にかえる。そこに意味はない。意味があると思うからつらくなるのではないのか。死は救いになりうると思っている。生きていることの方が異常。間違っているだろうか。真理は死の側にあるとシモーヌヴェイユが言っていた気がするが同感だ。生きているから生きているだけであり、それ以上でも以下でもない。死んでないから生きているだけに過ぎ

          意味について