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自己紹介⑤仕事辛すぎ。それを乗り越えた私がやったこと。

こんにちは、ふるはしかおりです。

私が公務員だった頃、都議会への異動後、仕事と職場の環境に馴染めずに精神をすり減らしてしまったというのが前回までのお話です。


議会局に異動し、私は議会特有の雰囲気やルールに馴染めず、躓いてしまいました。いわゆる5月病の時期は、職場に着いて、仕事をして、些細なミスでも涙が止まらず、その日はずっと涙腺崩壊して涙を堪えながら仕事してました。

局間交流で来た若い職員は良い意味でも悪い意味でも注目されることが多いです。そんな中で、自分らしさを失ってしまった私は悪い意味で注目される存在になっていました。


例えば、私宛にきた電話を取るときも、
「きっと電話で話している内容をみんなが聞き耳立てていて、あいつ仕事できないわーって思われてるんだろうな」
などと、今考えてみるとありえないような自意識過剰な思考回路に陥っていたり、

上司と話すときも
「私の報告の内容、きっと内心笑われてるんだろうな。。。」
ということを考えてました。


別に誰かから嫌がらせにあったとか悪口を言われたとか、そのようなことは全くありません。新規採用時代も御局様×2から結構な嫌がらせを受けましたが、議会局に異動した時のメンタルの方が崩壊していたと思います。

このように、私は勝手にダークサイドに落ち、朝の通勤では動悸や吐き気に悩まされる日が続きました。もう一度言います。全部私の思い込みです。誰からもいじめられていたわけでは決してないのです。しかし、この時ほど私は「自分の見え方」をマイナスの意味で意識していたことはなかったと思います。こんな調子だったので昇任試験にも落ち、数ヶ月間低空飛行をしていました。

ボーッと仕事行って、テキトーに仕事して、家に帰ってもやることなくボーッとする。。。のような、生産性のかけらもない生活をしていました。


しかし、そんな私にも自分を取り戻せる時間がありました。それは視察に来られる各地の議員の接遇をしている時でした。私が担当していた仕事には、各地の議会から視察に来た議員の対応がありました。


議会に異動するまで、正直なところ私は世間から刷り込まれていたイメージで議員の皆さんを見ていました。しかし、都庁に視察に来ていた議員は、各地域の政策課題を認識し、その課題の解決のために都の執行機関へ丁寧にヒアリングを行っていて、その心意気や姿勢は私がこれまで抱いていた議員のイメージを一転させました。地域の課題や都への期待など、私に対して熱く語ってくださった方もいました。まあたまに「あなたたち東京に来たいだけですよね?」みたいな人もいましたが汗


そんなある日視察に来られたある議員の方から言われたんです。


「きみ、ゆくゆくは議員になってみたら?」


と。議員なんて、今までそんなこと考えたことなかった私は、
「いやいやー、なりませんよ。」と言ってその場は終わりました。


当時私は26歳。その年に行われた統一地方選では、私と同じように若い、そして問題意識と信念を持った議員がたくさん誕生していました。また私はこれまで行政や議会の現場にいて、自治体運営や議会運営にそれなりに問題意識を抱えていたのも事実でした。その上、社会に対する謎の反骨心のようなものを昔から持ち合わせていたこともあり、


「政治家という選択肢も、ありなのかもしれない」と思い始めてしまったわけです。(※今はイメージコンサルタントが天職だと思ってます)


異動した4月から10月まではドン底でしたが、10月以降、私は徐々に元気を取り戻していきました。例えば以前から「受けたいな」と思っていた色彩検定1級に合格したり、志の高い議員を多く輩出している日本政策学校に入学して、私なんかよりももっと政治の現場を知っていて、熱い思いを持つ仲間に刺激を受けてみたり、そして、4月から働きながら公共政策大学院に行くことを決め、試験の情報収集や研究計画書の準備などに忙しい下半期を過ごしました。受験することは職場に黙って、受かったら事後報告しようと決めて。

結果は合格。翌年の4月から念願の社会人大学院生としての生活がスタートしました。私が通ったのは、早稲田大学大学院政治学研究科公共経営専攻という専門職大学院です。学部からそのまま大学院に来たストレートマスターが半分、私のような自治体職員、現職議員、経営者や会社員などの社会人が半分という構成でした。
平日の夜と土曜を使い、仕事と両立しながら課題をこなす毎日は何度も挫けそうになりましたが、大学院に通ったことでこれまで知らなかった多くの視点や物事を考えるための手法を身につけることができました。大学院で得たことは、データや研究の対象を冷静に捉え客観的な視点をもってリサーチクエスチョンを紐解くという作業の楽しさでした。私の周りにあふれていた規範的な意見だけではなく、客観的なデータや分析の結果から得られることこそ、信頼度が高いということも分かりました。といっても私は計量分析苦手でなんですけどね。。立場や役職に関係なく対等な立場で議論することができる環境が本当に楽しかったことを覚えています。
そして、私の研究対象は「議会基本条例」でした。
修士論文の執筆に伴い、多くの識者や議員の方との交流がありました。この時からのご縁は今も繋がっていて、地方自治体や議会についてだけではなく、進路のことや自分のことなど何でも相談できる間柄を築いています。
将来議員になることを念頭に置いて入学した大学院ですが、様々な背景を持つ社会人学生を見て、将来の選択肢が大きく拡がりました。
その中でも、大学院の研究活動で出会った議員の方々は、誰にも負けない信念で動かれている方たちばかりでした。そういう様子を実際に見たこともあり、果たして私には、他の人から何を言われても絶対にやってみたいという信念や熱意があるのかな、、と大学院に通いながら自問自答してました。


議員の活動で1番大事な根っこの部分が不完全なままでは選んでくれる人に申し訳ないし、何より信念のないまま議員になって先生先生と言われていたら、それこそニュースによく出てくるような議員のようになってしまうのではないか。。と考えていました。


そして悩んだ結果、私が選んだのは博士課程への進学でした。政治家になるのはもっと自分に経験値がついたらにしよう、と思ったんです。
(※今はイメージコンサルタントが天職だと思ってます(2回目))

そんな時にまさかの妊娠が分かり、私の人生は「子育て」という新たな世界に突入するのでした。。。

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